遠イ昔の話(上)




【私はこれからも生きていく】

 




 01





 これは遠い昔に生まれた一人の女のモノガタリ。


 その女は周りを山に囲まれた村の中で、しがない村人の夫婦の間に生まれた。

 彼女は生まれつき持っていたその美しい紫色の瞳と紫黒の髪にちなみ『シノ』と名づけられ、村中の人々からその生誕を祝福された。


 決して裕福ではなかったが、両親から沢山の愛情を受けて大切に育てられた彼女は、時が経つにつれ、道行く者が皆振り返ってしまうほどに美しい女性へと成長していった。

 それに、彼女は誰にでも分け隔てなく接し、だれにでも優しかった。

 だから心優しく美しいそんな彼女に村の男たちは惹かれ、彼女に次から次へと求婚していった。

 しかし彼女はなぜか誰からの求婚もうけることもなかった。

 その理由は誰にもわからなかった。

 

 やがて彼女は独身のまま孤独に二十代を終え、三十代へさしかった。

 そのあたりから、次第に村人たちは彼女に違和感を持ち始めた。それは、彼女が年齢に対してあまりにも若すぎるからだ。

 この時代の人間は平均年齢が50歳ほどでその人生を終える。

 その半分以上を超えた人間が、まるで成長が止まったかのようにいつまでも美しいのはおかしいのだ。

 彼女が年齢を重ねるにつれ、その違和感は次第に大きくなっていった。

 しかし、心優しい彼女のことを村人の誰一人として、告発しようとは考えなかった。

 村の者は皆、暗黙の了解として、彼女のことを半ば匿っていた。

 

 だが、団体の中では必ず何かしらの問題が起きるものだ。

 どんなに皆が協力しあっていたとしても、必ず例外が一人は存在する……




 *




 良く晴れ渡ったある日、いつものように穏やかな朝を迎えた彼女のもとへ教会の者だと名乗る男達が訪れた。

 男の数は五人。

 五人の中で最も高齢だと思われる、黒い衣服に全身を包み首から十字架を下げた老人が口を開いた。


「あなたがシノさんですね?」


 突然の訪問に驚きながらも、この村にシノという名の人間は自分しかいないので「ええ、そうです」とシノは頷く。

 すると老人は「あなたに異端の疑惑がかかっています」と重い声で告げた。


 シノは「異端ですか……」と呆然としながら、老人の言葉を繰り返す。

 「ええ」と老人はニコリと笑った。


 そして次の瞬間、シノは突如腹部に強烈な痛みを感じた。

 「うぐぅ……」と思わず声が漏れる。

 

 遅れて自身の腹部を確認すると、ナイフが深々と突き刺さり溢れ出した血液が服を紅く染めていた。ナイフは、老人の手に握られている。

 シノは絶望に歪んだ表情で、老人の顔を再度見た。

 やはりそこには、先ほどと変わらずニコリとした笑顔があった。


 「ど、どうし て……」


 苦しそうに、シノは自身へ向けられた不条理の理由を問う。

 老人は短く答えた。


「ですから、貴女は異端者なんですよ?」


 全く答えになっていない彼の応えに納得することなど、シノはとてもできない。

 だが、そんなことにかかわらず彼女の意識は次第に薄れていった。



「村は焼き払え」

「住民は皆殺しにしろ。ここは異端の村だ」

「ああ、あの密告者の女か。あいつも当然殺せ。当たり前だ」

「このシノという女は教会へ」




 完全に気を失うまでの間にシノは、そんな恐ろしい言葉の数々をただただ聞かされていた。






 02






「いやぁあああ あ あ」


 四方を石のレンガで囲まれ、蝋燭の光だけに照らされた薄暗い部屋の中、何処までも悲痛な女の叫び声が鳴り響く。

 その部屋で叫び声をあげた女はどこもかしこも血にまみれ、口にするのもおぞましい拷問をその身に受けていた。


「うぅ……」


 あまりの激痛に彼女は朦朧とする意識の中、必死に正気を保つために耐えた。

 彼女は途切れ途切れになりながらも言葉をガタガタと震える口から発した。

「どうし て、こんなことを……村の皆 はどう なって……」


 その彼女の問いに、家を訪れたあの老人はいやらしい笑みを再び顔に浮かべて応えた。

「それはあなたが異端者だからですよ、シノさん。異端者に教会は何をしてもいいのです。それに、あの村は貴女を庇っていたでしょう?非常に悲しいことですが、あれは仕方なかったんですよ」


 その言葉に、シノは絶望の淵に叩き落された。

 みんな殺されてしまった。みんな……私のせいで。私の……


「そ んな……」


 絶望に染まるシノの顔をまじまじと愉快そうに見物しながら、老人は無慈悲に告げる。

「いいえ、本当ですよシノさん。みんな殺しました。大人も子供も。女も男も」


 そして、今度はシノのパックリと開いた傷口へ視線を移し、中を覗きながら続けた。

「それにしても、もう傷が再生してきていますよ。噂は本当なんですね、あなたが不死身だということは。それじゃあ続きを再開しましょうか」


 シノは首を横に何度もふり「嫌、嫌、もうやめ て」と懇願した。

 しかしその願いは受けいられることはなく、その薄暗い部屋には彼女の絶叫が再びこだまし始めた。




 *




 地獄のような拷問の日々が始まって早くも五日の時が経過した。

 その間シノは様々なおぞましい所業を幾度となく繰り返され、どの程度の痛みに耐えられるか、本当に不死身なのかどうかということを何度も何度も執拗に確かめられた。


 鉄格子に区切られた独房の中、シノはわずかに開いた窓から覗いている月を呆然と眺めている。

(もう嫌……)

 来る日も来る日も繰り返される悍ましい残虐な仕打ちに、シノはもはや精神が崩壊する寸前まで追い詰められていた。


(いったい、いつまでこの日々が続くのだろう……

 私がいったい何をしたっていうんだ……

 私はただ静かにあの村で暮らしていただけだ。

 なのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならない。

 こんな、望んだわけでもない力のために……

 あいつらは狂ってる。

 一人残らず、端からは端まで狂っている。

 よくも、村の皆を……

 赦さない、赦さない、赦さない)


 次から次へとそんな怒りとも、呪詛ともとれる言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。


 正直もう死んでしまいたかった。一刻も早くこの苦痛から解放されたかった。

 しかし、どうやら自分は決して死ぬことが出来ない体らしい。

 それはこの五日間で嫌というほどよくわかっていた。


 きっと、このまま自分は永遠にこの地獄を味わい続けるのだろう……

 暗い独房の中、シノはそんな何処までも暗い思考の深淵へ沈んでいく。


 その時、不意に「コンコン」と鉄格子を控えめに叩く音が外から聞こえてきた。

 シノはどこか虚ろな光の消えた瞳を音のした方へ動かした。

 そこにはまだ若い、フードをかぶった十代後半ほどの少年が立っていた。

 

(この男は何をしに来たのだろう。私を嗤いに来たのか、それとも私を犯しに来たのか……)


 以前の自分ではありえなかった、そんな歪んだ思考をする。

 この五日間でシノは人間というものすべてを憎悪するようになってしまっていた。

 もう誰も信じることができないほどに心が萎縮しきっていた。

 

 だから、シノは自分からその少年に話しかけようとも、何か行動を起こそうともしなかった。

 もうそんな気力は彼女には残っていない。


 それから、二人は黙ってしばらく睨み合うだけの時間が流れた。

 とうとういつまでも動かない彼女の様子にしびれを切らしたのか、少年が先に口を開いた。

「あ、あの……これ、パンです。もしよかったら食べてください」


 彼はローブの中から腕をだし、その手に握られているパンをシノの目の前に掲げた。


(パン……食べ物……)


 捕らえられてから、当然食糧など彼女には与えられていなかった。

 それどころではなかったし、空腹を気にかけている暇もなかったのだから。

 シノは少年から食べ物を渡されてもしばらく反応することが出来なかった。


 しかしいつまでも黙っているというわけにはいかない。

 彼女は「どうして?」と疑問の言葉を少年に投げかけた。

 

 すると少年はパンを掲げたままに答えた。

「あなたがとても苦しそうだったからです。きっと、食べ物を与えられていないのだと」

 

 そのあまりにも純粋な受け答えから、この修道士と思われる少年はきっと、彼の上の人間たちが私に何をしているのかを知らないのだろうな、とシノは思った。

 それどころか、この少年はまだこの場所にいる人間の本性すらも知らないのかもしれない。

 だからこんな善意を他人へ向けられるのだろう。

 

 正直、シノは喉から手が出るほどにそのパンが欲しかった。

 だが結局、弱弱しく首を横に振り、彼の善意を断わった。

「大丈夫よ。それに、私に何か与えたことが他の人に知られれば、君が何をされるかもしれないわ。だから、いらないわ」


 自身でもまだこんな人を思いやる言葉が出てくるんだと彼女は驚いた。

(まだ、完全には私は壊れてはいないらしい。

 でも、きっとそれも時間の問題だろう……)


 少年は「でも……」と呟いてパンを渡そうとしたが、遠くから聞こえてきた音に振り向くと「また来ます」とだけ言い残し、逃げるように去って行ってしまった。


(こんな場所にも、あんな子がいるんだ……)


 そうだ。誰もが皆、あの老人の様な悪人ではない。

 シノはそんな当たり前のことを思いだし、久しぶりにその顔にほんの少しの弱々しい微笑を浮かべて、少年の背中を見送った。


 彼のおかげで、もう少しだけ耐えられそうだと思った。





 03





 翌日、シノはいつものように牢から連れ出され、あの暗く冷たい灰色の部屋へと連れていかれた。 


(また今日も地獄が始まる……今日はいったいどんな人が私のことを痛めつけるのだろうか)


 彼女はそんなことを思いながら、その誰もいない暗い部屋の中で一人待たされた。

 すると、しばらく経って四人の男が部屋の中へ入ってきた。

 シノはその中の一人を見て、ひどく驚いて目を見開いた。

 それはそこに昨日の心優しい少年がいたからだ。

 彼も鎖につながれたシノのことを驚愕の目で見つめかえした。


 二人のそんな様子を知ってか知らずか、老人はいつものような笑みをその醜い顔に浮かべて、言った。

「シノさん、今日は新人の教育教材になってもらいますね。彼にはあなたの拷問を見ていてもらいます」


(この子に見せるのか。あんな残虐なことを……)


 シノは怒りで震え、老人のことを睨みつけた。

 しかし老人はそんなシノの眼を見ても一切ひるむことはなく、少年の他に入ってきた二人の三十代ほどの男たちに命じた。

 ここ五日間、毎日繰り広げられている地獄を再現するように……




 *




 それから3時間ほどの時が経過し、シノへの一連の拷問は終わりを告げた。

「うぅ……」


 全身血にまみれたシノはすっかり弱り切り、もうそんな掠れた声を上げることしかできない。

 朦朧とする意識の中、最後に彼女は少年のほうを見た。

 彼はガタガタと震え、顔を涙と恐怖でぐしゃぐしゃにしていた。

 そして「もういやだ……もうやめて……」と、本来シノが言うべきであろう言葉をぶつぶつと呟いていた。

 その様子にシノは

(あの子には見られたくなかったな)

 とだけ思い、気を失った。




 *




 (私のあんな姿を見てしまったあの子は……

 私が不死身の化け物だと知ってしまったあの子は……

 きっともうここには来てくれないな……)


 再び牢へつれ戻されたシノは、昨日と同じように小さな窓に浮かぶ月を眺めながらそんなことを思っていた。

 彼女が座っている石畳の地面は冷たく、傷ついた彼女の心をさらにせめたてる。

「…………」


 いったいそれからどれくらいの時間が経っただろうか。

 不意に昨日と同じように「コンコン」という鉄格子を控えめに叩く音が外から聞こえてきた。


 (まさか……)


 彼女はもう二度と聞くこともないと思っていたその音にひどく驚きながらも、鉄格子の外をみた。

 そこには、フードを目深にかぶった少年が立っていた。

 彼の表情は陰に隠れてみえない。

「どうして……」

 シノは弱弱しく震える声で彼にそう聞いた。

「……」


 少年はシノの疑問に答えることはなく、しばらく押し黙っていた。

 だがあるとを境に、まるで堰を切ったかの様に突然強い意志のこもった声を放った。

「シノさん。ここから逃げましょう」


 自分が予想していたもののどれにもあてはまらなかった少年のその言葉に、シノは「なっ」と短く声をあげ、絶句してしまう。

 驚いて未だ次の言葉を口にできないシノに、少年はまるで自身の罪を告白する様に訥々と続けた。


「僕は知りませんでした……この教会であんな残虐なことが行われているなんて……

 もし、本当に神様がいるんだとしたら、きっと僕にあなたを救うべきだと言うと思います。

 あんな行為を許さないと思います。

 だから、逃げましょうシノさん。

 この教会は腐っている……」

 

 先ほどまでシノの拷問を泣きながら見ていたあの彼との変わりようにひどく困惑したが、シノは純粋な疑問を彼にぶつけた。

「でも、どうやって……」


 すると、その問いに答えるように彼は腕を上げてその手に握られているカギをシノに見せた。

「カギはここにあります。ですから、早く。もうそろそろ見回りの者が来るでしょう」


 そう告げて少年はカギをそのまま鍵穴に差し込み、牢の扉を開いた。

 ギィという鈍い金属が擦れる音が暗い地下に響く。

「さあ、早く」


 彼はシノの目の前に手を差し出す。

 その様子は何処か有無を言わさぬ迫力があった。

「で、でも……」


 しかし、シノは彼の手を掴むことをためらった。

 それは、こんなことをして彼は大丈夫だろうか。

 今度は彼があの老人たちに酷い目に合わせられるのではないか、という恐れからだった。


 だがその反面、もうここまで来てしまったら引き返すのも危険だとも考えられる。

 今私がこうしてうじうじとしている間にも、彼の命の危機は刻一刻と迫り続けている。


 事態は一刻を争う。


 だからシノは決心した。


 彼の手を恐る恐るシノは掴む。

 すると彼は「さあ、こっちです。早く」と言い、シノの手をシッカリと力を込めて握った。

 シノも負けじと彼の手を握り返す。


 そして力強い彼の手に引かれ、シノは走り出した。

 教会の地下道を進んでいく。


 前を行く彼の足に迷いがない事から、どうやら逃走経路はあらかじめ定めておいたらしい。

 しかし、それからしばらく道を進んだときシノは気がついたことがあった。

 それは、自分の手をつかんだ少年の手がガタガタと震えていることだった……




 

 *





 あれから少年とシノは奇跡的にだれからも見つかることなく教会を無事に脱出した。

 それは、散々な目にあい続けてきた彼女にとって本当に久しぶりの幸運だった。

 

 地下道を抜けた二人は今、暗い森の中を進んいる。


 少年はその足を一切休めることなく、シノの手を引き続けていた。

 そして、彼は一度も彼女の方を振り返らなかった。そのことが気にかかり、彼にシノは一度確認のために声をかけた。

「ねえ、少し休まなくて大丈夫? どこへ向かっているの?」


 少年はシノのその問いを聞くと急に走る足を遅め、やがて立ち止まった。

 シノもそれに倣い立ち止まる。


 それから彼は突然シノのほうへ振り返った。

 その顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「ごめんなさいシノさん……僕、シノさんをあそこから一刻も早く助けたくて、脱出した後のことを考えていませんでした……」

 そして、申し訳なさそうに彼は頭をうなだれた。


「そうだったの……」

 

(やっぱり無理をしていたのね……

 こんな小さな子ならばこうなっても仕方がないわ……

 それに、あんな恐ろしい光景を見せられ続けて、彼の心労はきっととてつもないはず。本当はここで一度休みたいけれど、今はそんな暇はない。

 ひとまず教会から少しでも距離を今は稼がなければ……)

 

 先ほどからうなだれたままの少年の頭を優しくなで、シノは言い聞かせるように優しい声音で言った。

「でも、私は君があの場所から助け出してくれて本当にうれしかったわ……今は、ひとまずここから離れましょう」


 すると、少年は全身の力が抜けたように突然その場へ、へたりこんでしまった。

 シノは急なことに驚き「どうしたの」と彼の体を支えた。

「すいません。なんだか力が抜けてしまっ て……」


 少年はそうシノに返すと、そのまま気を失ってしまった。


(過度の緊張とストレスで気を失ってしまったのね……)



 シノは動かなくなった少年のことをおぶり、再び走り出した。


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