とある行商人





【何故かって?それは、愚問ですよ】




 01




 季節はうつろい今は秋。

 数多の木々や植物達がその色を緑から赤や黄、そして茶色へと変えていく。


 美しい色彩に彩られた広野の中に、まるでキャンパスに誤って落としてしまったかのような色が一つあった。


 その正体は一人の女性だった。

 顎先程に切り揃えた紫黒の髪を秋の冷たい風になびかせ、時折その髪の隙間から覗く眼は凛々しく、瞳の色はアメジストのような美しい紫。


 彼女の名は『シノ』という。

 シノは一人、広野に乱雑に引かれた道を進んでいく。道の果ては未だ見えず、どこまでも延々と続いていた。


 次第に日は傾き始め、辺りは薄暗くなっていく。

 するとシノは不意に突然進路を変えて道から外れ、傍にポツリとあった平たい岩の上に背負っていた荷物を降ろした。


「ふう」と彼女は一息つく。

 その後、辺りをキョロキョロと見渡して、シノは大小様々な木々を拾い集め始めた。

 拾い終えるとそれらを焚き火の形に組み、今度は岩を拾い集めてその周りを囲う。


 それから彼女は、焚き火型に組んだ木々の前にしゃがみ込んで「パチっ」とライターで火を灯した。

 火を宿された木々は次第に燃え広がって行き、その暖かい温度と光を暗い広野に放ちはじめる。

 それを見届けると、彼女は焚き火の近くの岩に腰を下ろし、炎が揺らめくのをその美しい瞳で眺めた。


 時折鳴る「パキッ」という焚き火の木々が弾ける音と風の音のみが、それからしばらく鳴り響いていた。


 だが、それらの音の他にもう一つの音が次第に混じり始めた。「パカリパカリ」という馬の蹄のものだ。

 シノは音の方へ視線を向ける。それは、彼女が先程歩いていた道の先だ。


 少し離れたところに、大きな荷馬車と思わしき影がこちらへと向かってきているのが見えた。

 影は次第にこちらの光に照らされていき、その姿を露にしていく。


 白い布を張った箱型の荷馬車と馬二匹を手綱で従えている長身の男性が一人。おそらく、行商人か何かだろう。

 彼はシノのいる場所のすぐ近くまで来ると、手綱を引き、その場で馬を止めた。

 それから、荷馬車から飛び降り、行商人とはとても思えない甘いマスクに人当たりの良い笑みを浮かべながら、彼はシノのいる場まで歩いてきた。


「こんばんわ。夜遅くにすいません」


 紳士然とした立ち振る舞いで、商人はシノに挨拶をした。


「こんばんわ」


 出来るだけ、シノも人当たりの良い笑みを浮かべ、彼に挨拶をする。


「貴女は……旅の方ですか?」


「ええ、そうです」


「なるほど、女性一人旅とは今どき珍しい……

 ああ、名乗り遅れました。ワタシはエド・ケインと申します。よろしくお願いします」


 エドと男性は名乗って、手をこちらへ差し出してきた。

 シノは、一度立ち上がって彼の元まで行き

「エド・ケインさんですね。私はシノと申します。よろしくお願いします」

 と名乗り返して、握手をした。


 そんな社交辞令的な一連の自己紹介を終えると、シノは

「それで……」と切り出した。


「エドさん、どうされました?」


 彼は頭の後ろに手をまわして、大袈裟に「ははは」と照れを隠すように笑い、答えた。

「いや、偶然遠くから明かりを見つけましてね。近づいてみたら綺麗な女性が休憩されているではありませんか。ですから、ご挨拶をと思いまして」


「なるほど、それはわざわざありがとうございます」


 綺麗なというお世辞をシノはまったく意に返さずそう受け答えをした。

 それから、エドは「それで……」と少し言いにくそうに言葉に詰まった。


「どうしました?」と、シノは先を促す。


「いや、あの。シノさんは、夜ご飯はもういただいてしまいましたでしょうか?」


「まだです。お恥ずかしいながら、今何にしようかと、一人思案にくれていたところです」


「おお、そうですか。ワタシも丁度晩御飯にしようと思っていまして。ですが、一人で食べるのは寂しい。

 もし、よろしければなんですが、ここは一つ、ワタシに振舞わせていただけませんか。いいお肉が手に入ったんです」


 それは素敵な提案だった。

 シノは「なるほど……それは大変ありがたいお話です」と少し悩む。

 

 現状大した食料を持ち歩いているわけではないし、今日の晩ご飯も味気ないパン切れがいいところだ。それに、折角彼が勇気を出して言ってくれたことを断るのは気が引ける。


 だからシノは少し間を置き、承諾した。

「では、ご馳走になりたいと思います。お願いします、エドさん」


 エドはというと、まるで自分のことのように喜び

「おお、それはよかったです。でわ、ちょうどいいのでこの焚火を使って鍋料理にいたしましょう。それでは、食材等をとってきますね。失礼します」

 と言って、荷馬車へ道具をとりに戻っていった。




 *




 美しい星空の下、「ぐつぐつ」と二人が囲む焚火の上に置かれた鍋からは、食材が煮える心地よい音が響く。

 あれから、シノの目の前でテキパキと夕食の準備をしていったエドは、シノが手伝うという提案も断り、もう大方の作業を一人で終えてしまった。

 今は鍋の中に放り込まれた食材たちが煮えるのを待つのみだ。

 その間、シノが少し手持無沙汰にしていたのを見かねたのか、エドは先ほど鍋などと一緒に持ってきたバックを下ろし、提案をした。


「食材が煮えるまで、もしよろしければワタシの商品をご覧になりませんか」


 さすが商人というべきか、この辺りは抜かりないな、なんてシノは思う。

 興味があったので彼女は頷き「ぜひ見てみたいです」と答えた。


 すると、エドは「ぜひご覧ください」と次から次へと商品をバックから取り出していった。

 商品は首飾などのアクセサリーや蝋燭、石鹸、ランプ、などの品々。

 エドは胸を張って、誇らしげに言う。


「これらはワタシの手作りなんです。どれも、一つ一つ丁寧に作っていますので、質には自信があります」


「驚きました。全て、手作りなんですか……どれも素晴らしいですね」

 シノは純粋に関心した様で、品々を見ながらそう声を漏らした。


 褒められたエドはとても嬉しそうで、「ははは、ありがとうございます」と再び頭の後ろへ手を回して笑った。

 コレが彼の癖なのだろう。


 それからエドに「是非是非」と促されたシノは、彼の商品の数々を手に取り、色々と観察した。その時、シノは一つの共通点を発見した。それはどの品も動物由来の物からできているということだ。


「これは……動物の骨や脂などを用いて作っていらっしゃるんですか?」


「ええ。ワタシは行商人をやる傍、猟師もやっていましてね。国から国へ渡り歩く時に動物を仕留め、それらを用いて作っているんです」


「成る程……素材調達もご自身で行われているんですね。驚きました」


 再びシノは感心する。


 するとエドは「いえいえ、これが仕事ですから」と謙遜すると、一度立ち上がり、先程から煮ていた鍋の蓋を取って中身を確認した。


 蓋が開かれた鍋からは、白い湯気と共に肉や野菜のいい香りが広がった。

 シノは久し振りにこんなご馳走を目にしたので、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。


「とても美味しそうですね」


「ええ。自信作なので、絶対にシノさんのご期待に添えます」


「それは楽しみです」


「ええ、期待しておいてください」


 エドはしっかりと食材たちに火が通っているかどうかを目視で確認すると、木でできたボウルにスープを具材たっぷりによそった。


「でわ、どうぞシノさん。是非召し上がってください」


 シノは彼から差し出されたボウルとスプーンを慎ましく受け取った。

 そして「いただきますね、エドさん」と一言断ると、スープを早速口に運んだ。


 数多の食材を乗せたスプーンが口に入ると、そのあまりの美味しさにシノは思わず頬を緩めてしまった。食材の新鮮さと、うまみがしっかりと感じ取れる。


 目の前で、ニコニコとこちらを伺っているエドにシノは純粋に感想を述べた。

「エドさん。本当にこのスープ美味しいです」


 すると、まるで自分の事のように嬉しそうに彼も頬を緩めて喜んだ。

「そうですか。喜んでいただけてワタシも良かったです」


「ええ…………」


 それからしばらく食を進めていくと、次第にシノは自身の身体に違和感を感じた。

強烈な眠気とだるさに襲われる。


「シノさん、どうされました?」

 異常を感じ取ったのかエドは身を乗り出し、シノの下まで駆け寄った。

 今にも倒れそうな彼女の身体を彼は支える。


「なんだか、酷く眠くなってしまいました。一体どうし たん でし ょう……」


 心配そうに見つめるエドの顔を、今にも閉じてしまいそうな瞼を必死に持ち上げて、シノは自身の状態を訴えた。


「そうですか……それは大変だ」

 すると彼は顔を背けて、小さな声でそう呟いた。

 彼の表情は髪に隠されてしまってうまく読み取れない。


「エド さ ん?」

 シノはもう一度、彼の名を呼んだ。

 すると彼はその顔を上げて表情を明らかにした。


「あな た……いった い」


 先程からうつらうつらとしていたシノはその言葉を最後に、とうとうそこで意識を手放してしまった。



 彼女が最後に視界に入れたのは、彼の邪悪な笑みだった。






 02





「シノさん?」

 幾度彼女の名前を呼んでも、やはり反応は帰ってこなかった。


 これは素敵なを手に入れた。


 オレは目の前で、ピクリとも動かなくなった、美しい女を眺めながらそう思った。


 彼女のこの白磁のような皮膚は何に使おう。

 この黒紫の髪は何に使おう。

 このアメジストのような瞳は何に使おう。

 彼女の骨を、爪を、肉を何に使おう。


 次から次へと、彼女の加工方法が頭を駆け巡っていく。

 もう、今からその光景を想像するだけで、オレはたまらなくなった。


「ははは」

 思わず下品な笑いがオレの口から溢れ出る。


 だが、すぐにそんなものは収めた。

 早く彼女の息の根を一度止めてしまわなくてわ。

 まずあり得ないが、目でも覚まされたらたまったもんじゃあないのだから。


 オレは一度彼女の事を優しく地面に下ろし、横たえた。

 それからオレは彼女の上に馬乗りになり、ゆっくりと首元へ両手を添えた。


 首を切り裂いたり、毒を飲ませたり、心臓を突き刺したり、様々な殺し方をオレは今までやってきたけれど、やはりそれらはどれも折角の材料の状態を悪化させてしまう。

 だから、首の一部は傷んでしまうが、この方法が1番いい。


 次第にじわりじわりとオレは両の手へ力を込めていった。

 彼女の細い首に手が食い込んでいく。気管を塞がれて、彼女は苦しそうにその美しい顔を歪めていく。


 ああ、この瞬間はたまらない。

 オレの手によって、命が破壊されていく感覚。

 もはや、絶頂すら覚える。


 メシメシと、彼女の首が軋む。

 あと少し、もう少し。

 それで彼女は死ぬ。





 だが次の瞬間、オレの身体は何故か浮いていた。





 *





「ズサッ」っと滑稽な音を発し、エドは地面をころがった。


(いったい何がおこった?

 なんでオレは地面に転がっている?

 たった今の今まで、オレはシノという女の首を絞めていたはずだ。

 それなのになんで。)


 突如として起こった理解不能の現象に彼がひどく混乱していると、まるで答えるように、咳の混じった声が返ってきた。


「ゲホォゲホォ……エドさん、あ なた一体何をして」


 声の主、それはシノだった。

 手形が赤くハッキリと残った首元に自身の手を置いて、彼女は表情を苦しそうに歪めている。


 ようやくそこで、自身が彼女に蹴り飛ばされたのだという事をエドは悟る。

(どうしてこの女は目を覚ました?

 致死量の睡眠薬を盛ったはずなのに。

 ありえない。

 こんなことあるはずがない)


 次から次へと起こる想定外の出来事に、彼は酷く焦って、慌てて立ち上がった。

 震える声で彼は問う。

「ど、どうしてお前、起きて……ありえない、あれだけの睡眠薬を摂取して生きているはずが……」


 最後の方はもはやボソボソと自分に言い聞かせるかのようだった。

 しかし、シノは一切を聞き逃さなかった。


 彼女は彼が睡眠薬をあのスープに盛って、自身を手にかけようとしていたという事を確信する。

 同時に、シノの瞳が鋭く変わった。


「貴方……」


 その様子を見て、エドは「ははは」と酷く歪な笑みを慌ててその顔に貼り付けて、上擦った声で言った。

「あ、あの、シノさん。違うんです。誤解です。ワタシは貴女を救おうと」


 だが、シノは一切の慈悲の無い冷え切った声を放った。

「誤魔化しは結構です」


「はは、は は」と、その後も乾ききった声をエドは発したが、しかしもう誤魔化仕切れない事を彼は覚ると突然声色を変えた。


「そうですか……ああ、そうかよ!じゃあ、お前はさっさとくたばりやがれ!!」


 そして、彼はなんの予備動作もなくシノへ走り出した。

 手には何処から出したのかナイフが握られている。


 シノは何処までも冷え切った瞳でそれを一瞥すると、手刀で彼のナイフをはたき落とし、突っ込んできた勢いをそのままにエドを背負い投げした。


 先程同様に、いや勢いがあるのでそれ以上に、無様に彼は地面へ叩きつけられる。

「ぐへぇ」

 あまりに激痛に、滑稽な声を彼は思わずあげた。

 最早意識は朦朧とし、立ち上がる事はとてもできなそうだった。


「な、なに しやがる」

 振り絞るように、声を絞り出す。


 だが、シノはそんなものは聞こえていないといった風に無視して、さっさと彼のことをロープで縛り上げてしまった。

 これでもう彼は暴れる事も逃げることもできない。


 憎々しげにこちらへ視線を向けているエドへ、一切怯むこともなくシノは一方的に問うた。

「貴方に一つ質問をします。貴方は近頃各地で起きている、旅人の連続殺人事件のことをご存知ですか?」


「さーあ、知らねえな」


「それは本当ですか?」


「さあどうだろうかね」


 彼はヘラヘラとして、バカにしたような態度で問いに答えなかった。

 シノは厳しい声を、まるで怒鳴りつけるように言った。


「本当のこと言いなさい!」


「ははは……そう、怒るなって。せっかくの美しい顔が台無しだぜ」


「あ、貴方……」

 なんとも気障ったらしいセリフを相変わらず放ち続けるエドに、再びシノは怒声を放とうとした。

 しかし、途中で遮るように今度は彼がボソリとシノに問うた。


「オレの商品はどうだった?」


 ?

 突然この男は何を言いだすのだろう。

 文脈を読まない彼の言葉の意味をシノは全く理解することができない。

 

 彼は続ける。

「なあ、どうだったんだよ」


「何を言って……」


「素晴らしかっただろう?そりゃそうさ、だって」


 この男は何を言おうとしている?

「だって?」


「ありゃ、最高の動物を素材にしてんだからなぁ」


 そこでシノは全てを覚った。しかしその事実はあまりに恐ろしく、残酷で、最低だ。そんなことがありえていいはずはない。同じ人間がする行動ではない。


 シノは思わず声が震えてしまった。

「そんな、貴方まさか……」


「ご明察。いい出来だっただろう」


 狂っている。

 この男は何処までも狂っている。


 人間を殺して、その死体を材料に物を作っていたなんて……


 シノは先程、まじまじとそれらに触ってしまったことを思い出し、身体に鳥肌が立つのを感じた。そして同時に、頭に血が昇るのを感じた。


「貴方は狂ってる!どうして、そんなことをしたんですか!」


 滅多にみせない怒りの声をシノは放つ。


「ははは」

 彼は興ざめだという風に蔑んだ顔をシノへ向け、答えた。


「何故かって?それは愚問ですよ」


 この男は生命を侮辱している。こんな男を生かしておいていいはずがない。

「貴様ァ」


 一瞬怒りに我を忘れ、シノは手を振り上げた。


 しかしその時、彼は突然「うっ」と、苦しそうな声をあげた。

 そしてそのまま、口から血を吐く。


「なっ」思わずシノは驚きの声を上げてしまった。

「まさか、いつのまに」

 毒を?


「へへ、ま たまたご明察」

 ただでさえ痛みに歪んだ顔に笑みを浮かべるという歪な表情をして、エドは嗤った。


「ど うせ、アンタはこの後オレの ことを、何処かの国に差し出す んだろ?そ んなのは真っ平御免 だね。

 ははは 、本当に楽しかったなぁ。本当に良かっ た……」


 最後の力を振り絞り彼はそう言い終えると、ニンマリと本当に幸せそうな笑顔をその顔へ浮かべて、静かになった。

 最早ピクリとも動かない。


 彼は死んでいた。


 シノはその光景を呆然と見ていることしかできなかった。


 一体この男はなんだったのだろう。

 人を殺して、人をものに変えて、一体何がしたかったのだろう。

 彼はその問いは愚問だと言っていた。

 私にはどんなに悩んでも、答えなどでない。


 いや、答えを出してなどならないのだ。

 もし答えを出してしまえたのならば、最早それは彼と同じものだ。

 最早それは狂っているのと同じことだ。



 何処までも後味が悪くて、最悪な男の末路を目の前で見せつけられたシノは、ただただ呆然と広野に立って、男の死体を見ていることしかできなかった。




 彼のことを何一つとして理解できぬままに……






 -終-



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