リコの決闘

「かーちゃん!」

「リコ、離れなさい。その男から!」

 リコには離れるように言いながらも、ジャッキーの視線と二挺のワルサーP00の銃口はグラフラッテから離れない。

「久々の逢瀬というのに、いきなり銃を向けるなんてツれないなぁ、ジャクリーン」

 ジャッキーの突然の登場に肝を冷やしたように見えたグラフラッテであったが、それも一瞬。今やすっかり落ち着きを取り戻し、不敵に微笑さえ浮かべている。

「それにしても、よく出て来たね。てっきり部屋でリコの帰りを迎えるものだと思ってたんだが」

「そのリコの帰りが遅いから、出てきたんじゃありませんの。GPSで追跡トレースしたら、マンション前の公園で足止め喰ってるみたいですし、気になって出迎えに来てみたら……トンだ鼠が居たものですわ」

「やれやれ、予想外の飛び入りのお陰でこっちは迷惑千万だな」

 肩を竦めて両掌を上に向けたグラフラッテはうんざり顔だ。

 リコはと言えば、ジャッキーからの忠告があったものの呆然としていて、動くこともできなかった。そんなリコを差し置いて向かい合う二人は何処か妙な雰囲気で、何だかリコは一人だけ置いてけぼりを喰らったように感じていた。

 現状の把握もさっぱりで、何が何だか訳が分からない。

 グラフラッテとジャッキー――リコにしてみれば、おじさまとかーちゃん――その二人がどうしてこんな風に向き合わないといけないのか。

 昔からの友達というのであれば、肩を叩いて再会を祝うとか、旧交を暖めるべく昔話に花を咲かせるなど、色々あるはずであろうに、拠りによって、拳銃で狙い狙われるなどとは予想外も予想外であろう。それとも、『ここで会ったが百年目』といった因縁めいた関係なのか。

「十年ぶり……かな?」

「……ええ、十年ぶりですわ」

 ここにきて初めてそれらしい発言があった。

 十年前と言えばリコはまだ四歳。しかし、四歳といえども、そのときの記憶が残っていてもおかしくは無いはずだが、リコには全く覚えが無い。

 と言うことは、リコの居ないところで会ったのか。そもそも、どんな経緯で会ったのか――そんな疑問もはらんだまま、二人の十年ぶりの会話が繰り広げられていく。

 そんな中でリコが気になったことがある。

 それはジャッキーの様子だった。

 リコとグラフラッテの前に姿を現したときには鬼気迫る勢いだったのが、今ではそれを微塵も感じない。娘であるリコですら見たことのないジャッキーがそこにいた。

 脳裏にさっきのグラフラッテの様々な話が甦る。

 もしかすると、これが『女』としてのジャッキーなのかもしれない。

 そんな考えも加わり、リコの頭の中は混乱と混沌の極みになっていた。

 二人の話はまだ続いている。

 しかし、その中身は拳銃を差し向けて話すようなものではなかった。

「アナタが悪い」だの、「君にも問題がある」だの、あーでもないこーでもないと取り留めのない内容の堂々巡り――リコがもう少し大人であったなら『痴話喧嘩』とばっさり斬り捨てていたであろう。

「リコさん――」

 不意にグラフラッテがリコに話しかけた。しかし、その視線はジャッキーから寸分離れてはいない。

「――まず、あなたに謝らなければいけない。……事実は言うまい、と思っていましたが、この状況じゃそうもいかないでしょうからね。その理由はそちらの分からず屋ジャッキーから聞いて下さいな」

「……な、何を言うの? 分からず屋はアナタの方じゃありませんの? 全く『盗人猛々しい』とは言ったものですわ! 大体――」

「我が名はグラフラッテ。人は私を『伯爵』と呼びます。……狙った獲物は必ず手中に収める『ねずみ伯爵』とね。私はその十八代目なのですよ」

 ジャッキーの反論を自らの声で遮り、グラフラッテは一旦は銃をホルスターに収めて、再びボウ・アンド・スクレイプをリコに捧げる。

『ねずみ伯爵』の名前はリコも耳にしたことがある。

 派手な犯行予告をして、厳重な警備下にある美術品や金品を鮮やかな手段で盗み出す、所謂、劇場型犯罪をする『怪盗』と呼ばれる類の泥棒である。その際、人をあやめることは決してないが銃の腕は立ち、黒い噂のある資産家や政治家しか狙わないので義賊扱いもされている――

 それだけでも十分な驚きだったが、それ以上の驚きをグラフラッテはもたらそうとしていた。

「そして、一番大切なこと。それは――」

「言うな!」

 ジャッキーのヒステリックな声と右手のP00ライト・シューターが同時に跳ね上がった。

 乾いた音を残し、弾丸は目標ターゲットから大きく外れて後ろの木立にめり込んだ。

「――心の移ろいを弾丸たまに載せてしまうようでは、まだまだですな……ジャッキー」

「言うなーっ!」

 今度は左手のP00レフト・シューターが跳ね上がる。しかし、今度もグラフラッテにはかすりもしない。

 いかなるときでも正確無比を誇ったジャッキーの射撃が、こうもことごとく外れるとは。

 名誉を挽回すべく、再度ジャッキーの右手が持ち上がり、その人差し指が引鉄トリガーに掛かったとき、グラフラッテが彼女の懐にまで一気に踏み込んだ。そして、「失礼」の一言と共に、彼女の鳩尾に手刀を立てる。

「ぐっ!」

 小さな呻き声とともに、ジャッキーが膝から崩れ落ちた。

 膝が地面に付く寸前、グラフラッテはジャッキーの肩を抱いて体勢を立て直させ、小声で優しく「大丈夫か」と囁くと、リコにゆっくりと向き直り核心を告げた。

「私が……あなたの父親であることです」

「――!」

 リコの頭の中は真っ白になった。

 いきなりの申し出。

 死んだと聞かされていた父親が生きていて、そうとも知らずにちょっと前まで共にディナーを楽しんでいたなどと誰が思うであろう。

 リコは完全に我を失い、ちょっとしたパニック状態に陥った。

 無理もあるまい。彼女にとってすれば、衝撃と驚愕の連続である。多感な女子中学生の心には一気に受け取るには重すぎる事実だった。

 そして、そんな見えない重石に耐え切れなくなったかのようにリコの膝が抜けた。

 刹那に影が動く。

 グラフラッテに支えられていたジャッキーだ。

 瞬時にリコの元に赴くと、自らがグラフラッテされたようにリコの肩を抱き、ゆっくりとベンチにまで連れていく。

 薄く積もった雪を払い除け、ベンチに座らされたリコは背凭れに寄り掛かっていた。まだ少し呆然としている様子だ。

 ジャッキーは「ごめんなさいね」とその頭を軽く撫でると、振り返りざまにグラフラッテを睨め付ける。

「……アナタね、感動的な親子の再会を期待したんでしょうけど、それは無理な話ですわ。まだ十四歳の女の子にいきなり『私が父親です』って告げて、『はい、そうですか』みたいな展開になる訳がありませんわ!」

 二人の様子を優しげな視線で見ていたグラフラッテがきょとんとした顔つきになったかと思うと、大慌てでそれを否定する。

「な、何を! そんなつもりは――」

「言訳無用。……大体、泥棒が父親だなんて、威張れたことではありませんからね」

「……結局、結論はそこ、か」

「ええ……ワタクシは警察。アナタは泥棒。何処まで行っても平行線。決して交わることはありませんわ」

「確かにその通り。だが、隣を見ればいつでも側に居る」

「そうね。……だから、アナタへの愛は本物ですわ。今までも……そして、これからも。……好きよ、グラフ。愛してる――」

「私も愛しているさ……ジャッキー」

 互いへの愛の言葉を交わしながら、互いの手が伸びた先はホルスターであった。

 握られた銃把グリップがゆっくりと持ち上がり、銃口マズルがある一点で躊躇することなく止まった。

 今宵、クリスマス・イヴ。

 此処彼処ここかしこで行われている愛の交歓も、この二人と同じ形を取るものは何処にもありえないだろう。

 互いの手には拳銃。しかも、それぞれの眉間に向けられた銃口マズルには一片の迷いも感じられない。この二人の愛の形は生死を賭したものなのか。

 ジャッキーが鼻で笑う。

 グラフラッテの口角が上がる。

 夫婦のP00が同時にホルスターに収められた。

 二人の距離は約十メートル。

も……十年ぶりですわね」

「そうだな」

 交わす声は何処か甘く、切なさに滲む。

 絡む視線は懐かしさと愛おしさであふれている。

 降り続く雪の中、見つめ合う二人。

 二人の頭に、肩に、降り積もる粉雪。

 悠久に流れるように思われた時間が一気に凝結した。それは辺りの空気すらも張り詰めさせ、気温さえも急激に下がったように思わせた。

 ジャッキーの右手、グラフラッテの左手が、再び腰のホルスター近くにまで持ち上がる。

 抜き撃ちクイック・ドロウの体勢であった。

 二人はそれで決着をつけようとしている。但し、合図も何もない。この夫婦の呼吸タイミングで銃が繰り出されるのだ。

 雪が止んだ。

 天候までもが固唾を飲んで行く末を見守っているかのようであった。

 ベンチでこれをぼんやり眺めていたリコの双眸が光を取り戻したのは、一種異様な雰囲気の二人に気付いたからであった。

「……何してるのよ、二人とも! どうして、そんな決闘ことをしなくちゃいけないのよ! そんなのおかしいよ! かーちゃん! おじさ……と、とーちゃん!」

 何たる皮肉か、このリコの叫びが静寂と拮抗を破った。

 二人の手が同時に動く。

「――!」

「――?」

 しかし、射撃音は聞こえない。

 それどころか、銃口マズルからは発射炎フラッシュ硝煙ガン・スモークも発することもなく、二人のワルサーP00はそれぞれの足元に転がっていた。

「間に……あった……」

 搾り出すように呟いたリコの両手には護身銃ガード・ガン。その銃口マズルはグラフラッテとジャッキーにそれぞれ向けられていた。

「我がながら、……」

 グラフラッテがにやりと笑いながら、足元のワルサーP00を拾い上げ、ホルスターに収めた。

 娘は父と母よりも素早く護身銃ガード・ガンを抜き、二人よりも早く引鉄トリガーを引き、発射寸前の銃を叩き落したのであった。

 一方、ジャッキーは少し唖然としながらリコを見つめていたが、その目が大きく見開かれた。

「リコ!」

 極度の緊張感と極限まで研ぎ澄ました集中力が切れてしまったリコは、再びへなへなとその場に座り込んでしまっていた。

 駆け寄ったジャッキーに、ホッとした溜息を吐いてリコは笑い掛けた。

「えっへへ……勝っちゃった。かーちゃんの抜き撃ちクイック・ドロウに勝っちゃった。……でも、もう一度やれって言われても絶対に無理だけど――」

 小さく舌を出す娘に、母親はぎゅっと抱き締めることしかできなかった。

 父親はその様子を遠巻きに見ていた。誇らしげな眼差しで母と娘のやり取りを見つめ、隠しから煙草を取り出すと紫煙を燻らす。

 すうっと吐き出した煙と白い吐息はグラフラッテの満ち足りた父親の想いか。

「リコちゃん……」

 何か言いたげな素振りのジャッキーを制して、リコはグラフラッテに向き直ると、ぺこりとお辞儀をする。

「生きていてくれてありがとう。リコはとっても嬉しいよ! ……だって、ずっとわたしにはお父さんはいないんだって思ってたから――」

 グラフラッテの顔がこれまで以上に綻んだ。

「――でも、とーちゃ……ううん、敢えて『おじさま』と呼ばせてもらいます。まだ、わたしは『おじさま』を『とーちゃん』とは呼べません。……だって、泥棒は悪いことだよ。逮捕されて足を洗うまでは、絶対に『とーちゃん』なんて、呼んであげないんだから!」

 最後はかわいらしくアカンベーをするリコだったが、その顔は笑っている。

 リコの言葉に、鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔になったグラフラッテ。しかし、次の瞬間には夜空を仰ぎ、高らかに笑い出していた。

「これはいい! その物言いまでジャッキーにそっくりか。……いいでしょう、リコ。私は『とーちゃん』と呼ばれるその日を、楽しみに待つことにするよ」

「もしかしたら、かーちゃんじゃなくて、リコが捕まえちゃうかもしれないよっ!」

「ふむ、リコになら捕まってもいいかもしれないな。……だが、今夜だけは勘弁してくれないか? これからよい子のみんなにプレゼントを配りに行かなくちゃいけないのでね」

 洒落た返答と共にグラフラッテが大仰に礼をする。

「楽しい夜をありがとう、我が娘。そして、最愛の妻よ。……では、私は去ることにしよう。最後になったが、メリー・クリスマス!」

 大きく翻った漆黒のインバネス。それが聖夜の闇に溶けていく。気が付けばグラフラッテの姿も気配も忽然と消えていた。

 公園に残されたリコとジャッキー。

「あ、あのね、リコちゃん……」

 バツが悪そうに口を開いたのはジャッキーである。

「あの馬鹿男グラフラッテのことだけど、ワタクシも色々と考えて――」

「ストップ! 今はそんなことはいいよ。……あ、怒ってる訳じゃないよ。今はわたしにもとーちゃんが居るんだってことを噛み締めていたいだけ。でも、後でその辺の話はじーっくり聞かせてもらうんだから!」

 鼻歌交じりのリコはご機嫌であった。

 ジャッキーは少し俯き加減に小さく息を吐くと、目を細めてグラフラッテの消えた闇を見つめていた。そして、かぶりを振るとリコの肩を叩いて、人差し指を立てた。

「ちょっと遅くなりましたけど、クリスマス・パーティを始めましょう。メグもアルちゃんも待っていますわ」

「やったぁ!」

 リコが小さく飛び跳ねて喜んだとき、頭からずり落ちそうになった物があった。

「あっ!」

 恐る恐る手にしたそれは、グラフラッテのホンブルグ帽であった。

 その帽子を眺めていたリコがくすっと微笑んだ。

「またね……とーちゃん」

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特対班物語(仮) —外伝— 大地 鷲 @eaglearth

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