3.ザック

森の中を進むザックが、魔物を発見する。

全身が真っ黒な硬い毛に覆われた猿に似た姿。人間の二倍はあろうかという巨体。背にはコウモリに似た翼が生えている。


魔物の前に、震えて腰を抜かしている少女がいた。服が泥だらけになっているところを見ると、逃げている途中で転んで追い詰められてしまったのだろう。

腹を空かせた魔物の目が獰猛な輝きを放ち、”ごちそう”を見つめている。


「いや、やめて...」


か細い少女の懇願は、魔物には届かない。魔物は黒く鋭い爪の生えた腕を上げる。当たれば死は免れないだろう。

それが振り下ろされるよりも一瞬だけ早く、ザックは魔物と少女の間に割り込んだ。迫る爪を、腰から抜いたナイフで弾く。


予想外のおあずけを食らった魔物が、一瞬呆けた様子を見せる。しかし、すぐに食事の邪魔をした闖入者に対して、怒りの眼差しを向けた。


ザックは、背後で恐る恐る目を開ける少女へと目を向ける。大きなケガはないようだ。


「…あなたは…?」

「話は後で。そこから動かないで」


ザックは少女に言い、魔物に向き直る。不機嫌そうに唸る魔物は、ダダをこねる子供のように地団駄を踏む。


「グオオオオオオ!!!」


魔物が大きく口を開けて、咆哮を上げた。その恐ろしい形相と声量に、少女が「ひっ!」と竦み上がる。ザックは臆さず、左手に握るナイフを構えた。


魔物が手を広げると、ザックへと飛びかかる。

掴みかかってきた魔物の手を、ザックが跳んで避ける。その魔物の腕を踏台にして、また跳ぶ。ザックはそのまま魔物の頭上を越え、背後を取った。ナイフを振ると、魔物の背中に切り掛る。

しかし、ナイフは硬い毛と皮膚に阻まれてしまう。


「硬いなぁ」


ザックは後ろに下がり、すぐに間合いをとる。魔物が振り向きながら振るった手が空を掴む。

魔物の攻撃を、わざとぎりぎりで避け続ける。当たりそうで当たらない状況でいら立つ魔物は、少女のことなど忘れてザックに釘付けになる。


「単純で助かるよ」


魔物の攻撃を避けつつ、少女から離れるように誘導していく。


ザックは隙を見てナイフを振るうが、決定打は与えられていない。

目などの急所を狙えば、一人で倒すことも可能だろう。

しかし、仕留め損なった場合のリスクが大きい。手負いの魔物は普段以上の力を発揮する。その状態で暴れられると、少女の身を危険にさらすことになる。それに、魔物に逃げられるのは避けたい。

確実に倒すなら、仲間が来るまでの時間稼ぎをするのが一番だろう。


「でもなぁ…」


体力勝負は分が悪い。

何度も大ぶりの攻撃を出しているにも関わらず、魔物に疲労の色は全くない。対してザックは、じわじわと体が重くなっていくのを感じていた。


ザックは横から迫る魔物の爪を、少し体を逸らすことで避けると、背の高い木の上へと登った。

木の上から魔物を見下ろす。憎々しげに睨み上げてくる魔物の手が届かないことを確認して、ナイフを持ち直す。


この状況で魔物はどう動くだろう。少しここで体力を回復させたいが、そうもいかないだろう。やはり、羽を使って飛んでくるだろうか?

しかし、ザックの予想に反して、魔物は木に抱き着くようにしがみ付いて、鋭い爪を立てた。


「その体格で木登りは厳しいんじゃ…」


ザックが魔物を見下ろしていると、ぐらりと大きく木が揺れた。ザックは慌てて木に掴まる。

魔物は木にしがみついたまま、体を前後に動かす。それに合わせ、木が揺れる。

振り落とすつもりかと、ザックは木に掴まる手に力を込める。魔物の動きに合わせて、木の揺れが徐々に大きくなっていく。葉がぶつかりあい、ばさばさと激しい音を立てる。


「グウウウウウウアアア!!!」


魔物が、渾身の力を込める。

それによって音を上げたのは、ザックではなく揺られている木の方だった。


揺られ続けた木がみしみしと悲鳴を上げる。木の根元の土が盛り上がり、地中に張られた根が引き出される。ぶちりぶちりと音を立て、太い根がちぎられていく。


やがて地面と繋ぐものがなくなった木が、宙に浮いた。


「ウソぉ!」


魔物の予想外の行動に、ザックが驚愕の声を上げる。

魔物が引き抜いた木を振り回す。耐えきれず、吹き飛ばされたザックは猫のように空中でくるりと身を捻り、なんとか着地する。

魔物は木を持ったまま一回転すると、遠心力を利用してザックに向けて木を投げた。ザックは着地の体制から、咄嗟に横に跳んで木を避ける。直撃は避けることが出来たが、木の枝がザックの頬を掠り、軽い傷を作る。どん、と轟音が響き、木が地面に落ちた。

しかし轟音を立てて落下した木に視線を向ける暇はない。魔物が腕を振りかざし、ザックへと突進してくる。ザックは避けるために着地の体勢から無理矢理避けよう身構える。


その時だった。身につけた赤いマントを翻し、キースが魔物の前に出る。

キースは迷いなく鞘から抜かれた長剣を振るう。陽を反射して鋭く光る剣が魔物の腕を捉え、斬り落とした。

ごとりと腕が地に落下して、魔物の腕から真っ赤な血が吹き出す。


「ぐ、ガアァァァァァア!!!」


腕を斬り落とされた魔物が苦悶の表情を浮かべ、叫ぶ。

キースは剣の血を払うと、構え直す。


「悪い、待たせた」

「ほんとだよ。後は任せるからね」


ザックはキースを見て一瞬だけ安心した表情を浮かべたが、すぐ魔物へと向き直る。

急に腕を失った魔物は混乱状態に陥っている。


「グ、グウウウウウアアア!」


魔物はがむしゃらに残った片方の腕を振り回す。爪が近くの木に当たり、深く抉る。それでも止まらない魔物は、少女の方へと向かっていく。


「させるか」


キースが魔物の前に回り込むと、その爪を剣で受け止める。その間に、ザックは少女を抱えると、その場から退避する。

キースは剣を振って、魔物の爪を弾く。尚もキースに襲い掛かろうと魔物が腕を振り上げる。しかし、途中で魔物の動きが止まる。魔物が後ろに大きく飛び退き、キースと距離を取る。


「っ待て!」


キースが魔物の意図に気が付いて、駆け出す。それと同時に魔物の大きな翼が羽ばたく。それにより発生した風が強固な壁となり、キースの接近を阻む。

魔物が羽ばたく度に、風圧で周りの木々の葉が舞う。魔物が地面を蹴ると空へと舞い上がる。


「逃げるつもりか…!ウィル!」


キースが叫ぶ。

それに応えるように、木々の間から黒い『影』が飛来する。ウィルの操る魔法の影は音もなく伸びていき、飛んでいる魔物に絡みついて魔物の体の自由を奪う。魔物を捉えると同時に影がしなるように動く。飛ぶ術を失って焦った様子の魔物の体が地へ叩きつけられ、土煙が巻き上がる。

キースは少し目を細め、その場から動かずにじっと魔物の落下地点へ目を向ける。

ぶわりと、土煙を纏って飛び出した魔物が、キースへと襲い掛かってきた。

キースはゆっくりと剣を構える。


「終わりだ」


キースの剣が、魔物の腹から胸を深く斬り上げる。魔物の動きが止まる。胸から血を出した魔物が地に付した。

魔物はもうピクリとも動かない。それを見下ろしていたキースがすっと剣を振り上げ、魔物の首を斬り落とす。


キースは剣の血を拭うと、魔物へと背を向けて、ザックへと振り返る。


「その子は。無事か」

「うん、大丈夫。気絶しちゃったけど」


ぐったりとして目を閉じる少女。胸が呼吸に合わせて上下しているのを見たキースが安心したようにほっと息を吐き出す。


「膝をけがしているな」

「逃げてるときに転んだみたいだったから、そのとき擦りむいたのかも」


包帯を取り出し手当てをしようとするキースを、リンが手で制した。リンは少女のそばに膝をついて座ると、傷口に手を向ける。その手が白い柔らかな光を放つと、みるみるうちに傷口が消えていく。

すっかり消えた傷口を見たザックが感心する。


「やっぱり便利だね、治癒魔法」

「ありがとうな、リン」


キースがリンに礼を言う。リンは無表情だが、少し嬉しそうにうなずいた。


「ん?ウィル。どうかしたのか」


キースがじっと魔物を見つめるウィルに声を掛ける。ウィルがは一瞬視線をキースに向け、また魔物に戻す。


「こいつはフラーモキだ。南の山岳地帯が主な生息地で、こんな人里に近いところに現れる魔物ではない」


ウィルは考えるように顎を触る。


「それが、何故ここにいるかはわからない。だが今日森が静かだったことには納得がいった。原因はこいつだろう」

「ああ、確かに。こんなのがいたら怖くて出てこれないよな」


ひっそりと息を潜めていたのだろう。気が付くと、楽し気な小鳥たちの声が森に戻っている。

ザックは困ったように頭を掻いた。


「ほんと、大変だったんだよ、そのマモノ。硬いし、力強いし、木引っこ抜くし」

「あの木はそれか」キースは無残に横倒しになった木に目を向ける。

「飛んで逃げられたら困るから、気をつかうしさぁ」


キースがうなずいた。


「ああ、街が近いからな。逃げたフラーモキに襲われたらかなりの被害が…」

「ほら魔物の羽って高く売れるからね。逃がしたら、もったいないでしょ」


ザックが笑顔で言うと、キースが落胆と呆れの混ざった表情を浮かべた。

そんなキースの様子を意に介さず、ザックがナイフを持ち直す。


「そういうわけだから。その女の子、送るんでしょ?オレは解体するから、ここで解散ってことで。行ってらっしゃい」


ザックはひらひらとナイフを持つ手を振った。

キースが唸る。


「送っては行きたいが、気絶してるからな…どこに連れて行けばいいんだ?」

「近くに村がある。一先ずはそこを当たってみるか」


ウィルの提案をうなづいて肯定したキースが少女を背負い、村へと向かった。



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