桃の木と鈴と
近所の子供達の遊び場にもなっている朝日山神社。子供達は付喪神神社と呼んで怖がりつつも親しんでいる。
そんなある日。普段は解錠されていない拝殿の中に忍び込んだ子供がいた。先日の嵐でたまたま壁の一部に穴が空き、たまたまそれが子供の通り抜けられる大きさであり、たまたま修繕前だったのだ。
子供が忍び入ったのは、ただの好奇心からだったが、その子供はそこで、我が目を疑う光景に出会う。
見慣れぬ長い金髪をなびかせて、纏った衣装の袖や裾をひらひらと踊らせて、とても美しい女性が拝殿の中で舞っていた。
女性が足を踏み出す度、腕を翻す度、澄んだ鈴の音がその場に響く。心なしか、音が鳴る度に空気も澄んでいっているような気さえする。
ぼーっと我を忘れて女性を見つめていた子供は、不意にバチッと女性と目が合った。女性も子供の存在に気がつき、舞うのを止めてしまう。
「あなたは……」
女性が声を発した。その声すら鈴のように美しい。
しかし、その現実的ではない音色による一言は、子供を我に返らせるのには十分だった。
子供は、無断で入り込んできたのを思い出し、ひどく慌て始める。きっと怒られるに違いない!
そう思い込んだ子供は、女性がなにか話しかけてきているのも無視して、大慌てで入ってきた穴を潜り抜けると、一目散に神社を飛び出した。
転がるように家まで戻ってきた子供は、誰も追いかけてきていないことを確認して安堵し――背筋がすぅっと冷えた。
あの神社に、あんな人はいただろうか? という疑問にようやくたどり着いたのだ。
そもそもあの女性は髪が黒くなかった。まさか昔話に出てくる鬼の類だったのではないだろうか⁉︎
怖くなった子供が、後日、そのことを親や友人らに話すと「きっとそれは噂の付喪神に違いない、お前は化かされたんだ!」と口々に言われたという。
* * *
瑞々しい青葉が、燦々と輝く光を受けて、境内に大きな影を落としている。
蝉の鳴き声が山のそこかしこから、これでもかというほど忙しなく聞こえてきて、桃の木の上で枝に身を預けている、桃の実の色の髪を持つ女性は「夏だなぁ」としみじみする。
枝に沿うように……というよりは、這うように体を寝かせ、腕はだらんと為すがまま、片足だけは一応枝に絡めているが、もう片方はやはり腕と同じくぶら下げている。
「ひまぁ……」
ここ数日、祭りの準備だとかでいつも以上に外部の人間が出入りしているためか、お喋り相手の付喪神が一人(?)も来てくれない。
暇すぎてこのまま枯れたらどうしよう。
冗談半分にそんなことを考えても、この神社を信仰する人々がいなくならない限り、自分が枯れることも消滅することもまずないだろう。
おっと違った。自分は付喪神なのだから、この木が死ぬまでだ。
しかし――暇だ。
と、そんな時。女性の目は枝葉の隙間から金髪の女性の姿を捉える。
「みーつけた♪」
暇つぶし相手を見つけると、瞬く間に姿がかき消える。と思いきや、一番低い枝に姿が移動していた。
「
金髪の女性に明るく声をかけると、女性は長い髪をなびかせながら声の方へと振り返った。どこからともなく、りん――と、鈴の音が響く。
「これは、
醇美は、裾の長い衣装にきっちりと身を包み、五色の裳を着けた格好で、丁寧に腰を折る。髪飾りや羽衣の端には鈴が飾られており、その鈴が、彼女が動くのに合わせて澄んだ音を小さく響かせた。
それと対をなすように、花蕊の格好は至って簡素で大雑把。
頭髪と同じ、桃色の袖のない上衣は肩に引っ掛けて、さらしで覆われた胸元をさらけ出してるし、緋色の袴は足首辺りで裾を絞っているだけ。付け加えるなら、腰に豪華そうな扇が差してあることくらいだろうか。
醇美の問いかけに、花蕊はややわざとらしくため息をつく。
「暇で暇でぇ、話し相手になってくれたら嬉しいんだけどなぁ」
ちらり、と上目遣いに醇美を見れば、彼女は「わたくしでよろしければ」と快諾してくれる。
花蕊は思わず「あっりがとー♪」と醇美に抱きついていた。
そうして二人(?)は桃の木――御神木の下で、人目に映らないのをいいことに、堂々と世間話に花を咲かせ始めた。
生まれたばかりの双子蓮の話から始まり、包丁の付喪神や時計の付喪神と懇意にしている僧侶の話など、あれやこれやと神社のことを話していると、醇美が「そういえば」と何かを思い出して言葉を漏らした。
「先日、嵐があったのを覚えていますか?」
花蕊は記憶を辿る。先日――というには結構前の梅雨の頃だったような。
「千春が「拝殿が壊れたー!」って頭抱えてた時のやつかしら?」
「さようです。あの時、子供が拝殿に忍び込まれていたのには、お気づきでしたか?」
当日のことを確認され、花蕊は「うん」とあっさり頷いた。長い時を生きてはいるが、まだまだ記憶力は衰えていない。
「別に拝殿に忍び込まれてもあたしは困らないし、気にしてはいなかったけれど。何かあったの?」
「どうも、わたくしの姿を見られて、驚かせてしまったようでして……」
醇美の告白に、花蕊は目を丸くした。
付喪神はこれでも、寛容な神社の迷惑にならないよう、なるべく――目の前に楽しいことがあればそちらが優先されるのでなるべくだが――
「ふうん。それで、醇美はそれのなにを気にしているのかしら」
「驚かせてしまったことを謝罪しようとしたのですが、脇目も振らずに走って行かれてしまったのです……」
「それは気にしなくていーんじゃなぁい? 断り無く忍び込んだ罰が当たったのよ。醇美はもう、真面目ちゃんねぇ♡」
そう考える姿がかわいいと言わんばかりに、花蕊はまたも醇美に抱きついて頬をすりすりする。
その行為を気にせずに「そうでしょうか?」と醇美がまだ悩んでいると、二人は拝殿の方から千早姿の千春が息を切らせて走ってくるのに気づいた。
「醇美いたっ!」
口に出してから、ハッと表情を曇らせ、千春は慌てて人の目が届きにくい木の裏に回り込む。
名前を呼ばれた醇美と、一緒に話していた花蕊もその後を追いかけて、木の裏に回り込んだ。
「お呼びでしょうか、千春様」
「うん、探してた。神楽舞の練習をしようとしたら、醇美いないんだもの」
祭り当日に、千春は神楽を舞うことになっている。これが初めてではないが、練習はしておこうと準備をして拝殿に行ったら、肝心の醇美が本体にいないので探しに来たのだと、彼女は説明した。
「これは、ご迷惑をお掛け致しました、千春様。すぐに戻りますので、拝殿までお越しください」
醇美は言うが早いか、瞬く間に姿がかき消える。拝殿にある本体まで戻ったのだ。
醇美はこの神社が建立された頃からずっとある、古株の神楽鈴の付喪神なのである。
千春としては、醇美から使用許可を貰えればそれでよかったのだが、まあいいか。
醇美の姿が見えなくなった後、千春は花蕊の方に体を傾け、少しだけ言葉に迷ってから口を開く。
「花蕊……サマ? も邪魔してしまってご」
「か・ず・い! なんで他の子はみんな呼び捨てなのにあたしだけ悩むのよ。仲間はずれは嫌ぁ! もう何回も言っているじゃないのー!」
花蕊の駄々に、千春は内心「えぇ……」と呻く。
本人は、自分は付喪神だと言い張っているが、千春は絶対に彼女は木霊だと信じて疑っていないからだ。
というか、
「じゃあ、花蕊。邪魔しちゃってごめんなさい。お祭り終わるまでもう少し我慢してね」
「許そう! ねね、千春の練習見学してていい?」
「それは別に構わないけど、気づかれないようにね?」
「お安い御用御用♪」
千春は軽く返事をする花蕊に軽くため息をつきつつも、彼女を伴って醇美の待つ拝殿の方へと戻っていくのだった。
(『拝殿の不思議な舞姫』付喪神物語より)
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