お八つ時
時は徳川が天下を治めていた時代。
黒い法衣に編笠を被った男が、
一番上までたどり着いた先で、九才そこらの黒髪の子供が、男が上りきるのを待っていた。
黒い髪を頭頂部に近い高さでお団子に纏め、青を基調にした波のような水模様が入れられた着物に身を包んでいる。
「おや、これは……」
男は少年を見て何かに気づくが、なにかをする前に、先に子供に声をかけられた。
「昼八つ」
子供はそれだけを告げて男に向かって片手を差し出した。
朝日山神社には鳥居が二つある。入り口を示す鳥居と、境を示す鳥居の二つだ。
山の麓、と言っても実際には入り口の鳥居を潜ってすぐに上り階段となっている。そこそこに長い石造りの階段を上ってもう一つの鳥居を潜ると、そこがようやく境内だ。
鳥居を潜ると真っ先に目にとまるのは拝殿まで真っ直ぐに伸びた石畳。左に視線を少しだけずらせば、すぐそこに手水舎があるのもすぐに気付くだろう。手水舎からは常に山の湧き水がちょろちょろと流れ出ている。
左側のさらに奥には、社務所兼、神職達が寝泊まりできる住居が構えており、拝殿とは
一方、鳥居から見て右側は舗装されていない大地が広がっており、ぐるりと境内を囲っている柵が唯一、森と境内との境を示している。
朝日山神社に度々遊びに来る村の子供達は、大抵この何もないところを遊び場にしている。
今は祭りの準備もあって屋台の資材などが、そこを占拠しており、子供の姿は見かけられない。
唯一目立つものといえば拝殿の傍らでしめ縄に囲まれた桃の大木だろうか。この神社の御神木である。
拝殿の真後ろにはさらに人一人通れる幅の階段があり、ずっと上っていくとそこに本殿があるのだという。当然、朝日山神社に詰めている神職以外は立ち入り禁止だ。
朝日山神社は、鳥居も社務所も朱塗りの美しい神社である。——見た目だけならば。
ここを付喪神たちが普段我が物顔で歩いている……と思うだけで、
(ここはいつから
祖父が骨董品にハマり始めてからである。
いや、むしろ祖母の方も原因かもしれない。この神社も歴史があるらしいが、なにぶん付喪神となっている物の一部は亡き祖母の所有物だったものなのだ。
そんな些細なこともあり、おばあちゃんっ子だった千春は、なんだか気がついたら付喪神達の管理を任されていた。
人生どこでなにを間違えてこんなことになっているのかと悲嘆にくれていた千春は、誰かに声をかけられて我に返る。
現実に立ち返り声の方をむけば、そこに雲水姿の男が、男の子を一人連れて立っていた。
「こちらにおられましたか、千春さん」
「
「ええ、近々お祭りがあると聞きましたので立ち寄ろうかと思いまして」
千春に安慶と呼ばれた男は細い目で柔和に笑って会釈する。
修行僧として諸国を歩き回っている安慶は、昔からの千春の知り合いで、付喪神も見える良い話し相手だった。歳は千春より一回りは多かったと記憶している。
なぜ彼が神社に立ち寄るようになったのかは知らないが、度々どこかから怪しい器物を預かって神社に届けてくれるので、恐らくそういう繋がりなのだろうと千春は勝手に考えている。
「確か
安慶はそう言いながら、連れてきた男の子を千春の前に移動させる。
光陰は、先程出会い頭に安慶にやったように、千春にもずい、と手を差し出す。
「千春、昼八つだ」
「安慶さん……ご迷惑をおかけしてすみません……」
時計の付喪神・光陰。彼が昼八つ(おおよそ十四時頃)におやつを所望するのはいつものことだが、ここ数日、特に今日はあれこれやることが多くて完全にすっぽ抜けていた。
「安慶さんもよろしければ休んでいってください。いま、お茶となにか、用意しますので」
千春は社務所の奥の部屋に彼を通して、御茶請けを探しつつお茶を淹れる支度をする。
幸いゴボウの砂糖漬けが残っていたのでそれを出すことに決めた。
台所で支度をしていると、
「お待たせしました」
「いえいえ……これはまた、お揃いで」
千春の後ろについてきた付喪神達に安慶は少しだけ目を丸くしながらも、すぐに破顔する。
「んもー、安慶さんが来たならちゃんと教えなさいよ千春ってば。水臭いじゃない、あたし達と安慶さんの仲なのに。ねえ、水明、あなたもそう思わない?」
水明の頭に乗って来た
「そうだよなぁ、そう思うよな。だから聞いて教えてやったじゃないか」
と、水明が答え、その傍で
「安慶さん、本日の夕餉のご予定はお決まり?」
と尋ねてくる。
「静かにしてるって約束で連れて来たはずなんだけど……?」
てんやわんや好き勝手に話し始めた付喪神達に、声を低くして口元を引きつらせる千春。
安慶はそれを見るとすかさず気を利かせて「私は大丈夫ですので」と伝えた。
「千春。おやつは大事だ。早くおやつにしよう」
光陰はそれら全てそっちのけで、千春の持つ盆の上のおやつだけを気にしていた。
「いま置くから落ち着きなさい、光陰。ちゃんと数は持って来たから、霜雪達も無理やり取ろうとしないようにね」
忠告をしてから千春は
「賑やかくていいですね、千春さん」
「全然良くないです。あたしの一日の大半、ほとんど付喪神なんですから」
境内と住居の掃除と洗濯を母と分担してこなしつつ、保管している預けられた器物の点検・整理に付喪神達の手入れをしているのだ。
その最中ですら、付喪神達が千春について回ってくる――ほとんどが霜雪だが――ので、付喪神がいない時間の方を探した方が早いくらいだ。
「あたしだってもう齢十四。世間的にはちょーっと良い男と恋なんかして、神社の後継だなんだーって揉めて親に反対されたりして、実はその男が悪代官の息子で神社存続の危機に……なんてそんな刺激的な恋の一つ二つしてたっておかしくないんですよっ!」
一体どのお話に影響されたのだろうか。世間一般的な年頃の娘達はそんな恋は一つすら滅多にしないはずだ――と安慶は思っても口には出さなかった。
千春の言う「世間的」がどこの世間を指しているのかは不明だが、今のご時世、あれこれ縛られている武家以外は結構自由恋愛をしていたはずだが。
「ま、まあ、まだ齢十四とも言えますし、そこまで悲嘆にくれなくとも良いではありませんか。物は考えようですよ」
諭すように言葉を返すと、なぜか千春にジト目で上目遣いに見られた。
「……それじゃあ安慶さん。まだ齢十四の世間知らずなか弱い娘を、今後のために諸国を旅している安慶さんの供として連れ出してくれませんか」
「なぜ、今のでそうなったのでしょうか……?」
半笑いで千春の背後や周囲に視線を走らせると、千春と同様で、しかし意味は全く別のジト目に複数出会う。
付喪神達の無言の威嚇を受け――そもそも修行中の自分は最初からそんな気は毛頭ないのだが――安慶は咳払い一つ、丁重にお断りをする。
「千春さん。それは、あなた自身がよく考えて、親御さん方にちゃんと許しを得て、申し出たことですか? 勢いだけで物を申しているようでしたら、それは最初から聞くことはできません」
安慶の言葉を聞いた千春は、口をへの字に曲げて黙っている。図星で返す言葉もないが不満だけが残っているのだろう。
「それに、千春さんがこの神社からいなくなったら、その間は、付喪神達のお世話を誰がなさるのですか?」
「父さんと母さんがやってくれるわよ……」
「付喪神達は、それで満足されるのでしょうか」
「そこなんですよね……。なんでこの付喪神達、あたしにばっかり話しかけてくるのかしら……」
安慶の言葉に、千春は軽く舌打ちをしながら頬杖をつく。
(こんな私にすら、彼女を遠くに連れてかれるまいと牽制してくるくらいには、好かれているだけなのですがね……)
しかし、それに彼女は本気で気付いていないのだろうか。
疑問に思うと、安慶はあることを尋ねてみた。
「千春さんは、付喪神達がお嫌いですか?」
安慶は千春の口からすぐに「大嫌い」なんて言葉が出てくるとは毛頭思っていなかったが、案の定、千春は言葉に詰まって少し考え込んだ。
「たまには一人にして欲しいと思ってます。毎日毎日は本当に鬱陶しくて」
「嫌いではないんですね」
「というか、それ、こいつらがいる目の前で聞くんですか?」
先程から静かで忘れていたのか、周りに付喪神がいるのを思い出してか、再びジト目の千春に、霜雪が軽く答える。
「だいじょぶだいじょぶ。しっかり聞きながら聞いてないフリするから! さあ千春、あたしたちへの愛を思いっきり叫んでくれていいのよ!
もちろん、千春があたしたちのこと大好き♡ ってことは十分わかってるけど、たまには口に出してお互いの気持ちを確認するのも大事だと思うの。
あたしは当然、千春のこと大好きよ! いつも構ってくれるもの♪
さあ、あたしは伝えたわ。次は千春の番よ! 千春の愛の言葉を聞かせて頂戴!」
「そんなこと言われたら、余計言えるわけないでしょっ! あんた馬鹿なのなんなのっ⁉」
「やーん。千春ってば照れちゃってかっわいー♪」
軽く一息でまくし立てた霜雪に千春は喚くが、霜雪は堪えた気配もなく軽く受け流している。
しかしまあ、今の千春の反応で答えは出てしまっているわけで。
そもそも簡単な話、本当に嫌だったら壊して燃やすなりしてしまえば付喪神はあっさり消滅してしまうのだ。
千春もそれがわかっているから手入れを欠かしていないわけで、つまりはそういうことなのだろう。
「まあまあ、霜雪さん。そう千春さんを困らせるものではありませんよ。お言葉どおり、お好きなのであれば尚更です」
「むう〜」
霜雪は一つ唸ると、水明の頭の上に移動して静かになる。
「千春さんも、無理には聞きませんのでご安心を。ただ、今霜雪さんが言われたように、時にはしっかりと口で伝えることも大切なことですので、心の片隅にでもとどめておいてください」
「むぅ……」
霜雪と同じように千春も一つ唸る。
それが霜雪の仕草と似ていて、思わず安慶は口元を緩めてしまう。
「なに笑ってるんですかぁ……」
「いえ、深い意味はありませんよ。申し訳ありません。――ところで、どうして光陰さんは八つ時をあれほど大事にされているのでしょうか?」
話題を変えるために、安慶はもう一つ気になっていたことを尋ねてみる。
彼は千春に尋ねたつもりだったが、答えは本人から返ってきた。
「昼八つ時は
「とと……お父様、ですか?」
付喪神に父親? と安慶が疑問符を浮かべていると、千春が補足で説明してくれる。
「ああ、光陰のいう『父』は、彼を所有されていた方のことです。老齢ですでに亡くなられているのですが、その時既に付喪神になっていたそうで。光陰は遺族の方が気味が悪いとうちに預けられてきた時計の付喪神なんです」
「時計の? 随分と裕福なお家の出だったのですね」
時計はその製作技術から値は高く、とても庶民の手に入る物ではない。
が、しかし千春は「いいえ」と首を横に振る。
「光陰の父は時計師だったんですよ。何かの縁で光陰を引き取って、お亡くなりになるまでずっと手放さずに管理されていたのだそうです。恐らく、その間のどこかで今みたいになったんだと思います」
全て父が遺族の方に聞いた話ですが、と付け足して、千春の説明は締めくくられた。
その説明を横で聞きながら、光陰は砂糖漬けのゴボウを口に運ぶ。
甘いなんとも言えない味が口の中に広がり、光陰は昔を思い出して顔をほころばせた。
『お前さんや、昼八つ時は小腹が空くからな、間食をするもんなんだ。けどなぁ、ワシ一人じゃつまらんからな。お前さんも食えるなら一緒に食わんか』
『ああ、ワシがちゃんとお前さんをずっと使えるようにしてやるから、お前さんは毎日昼八つ時を知らせておくれ』
『そしたら、ワシとお前さんとで、楽しいお八つ時だ』
(『時計の付喪神』付喪神物語より)
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