リーサル・ガール—泣かせたいから死なせない—

いち亀

いつか、貴女の盾として死ぬ日まで。

 その人の幸せを願うのが愛だと、聞いたことがある。

 ならば、想い焦がれる人の苦しむ顔を、涙を望む私のこの感情は。どう呼べばいい?


 ――そう悩んでいた時期も、あった気はするが。

 今のローナに、そんな高尚な迷いはない。


 愛する貴女の。

 顔を歪ませたい。綺麗な瞳を涙で溢れさせたい。清らかな声で喘がせたい。白い柔肌を血で彩りたい。温かく柔らかい身体を、私の全てで汚したい。


 それ以外に、確かな望みがない。

 それが、明日を望む理由の全てだ。

 

 *


 夜闇の向こうへ索敵を続けて数分。ローナは、近づく人の群れをようやく感知した。

 彼女は背の高い草の間を屈んで移動し、数十メートル動いた所で土に耳を当て彼我の距離を測る。およそ二百メートル、そろそろ弓の間合いだ。先端に麻痺毒を塗った苦無を二本取り出し、術文スペルを編んでから左方へ放つ。

 動体魔術の一つ、投式なげしきとび。投げられた苦無は水平に弧を描き、投擲者とは別方向から目標を襲う。前方で起こるざわめき、命中だ。苦無の軌道とは逆、右前方へ駆け出して敵を目指し……居た、密集して警戒している。そして風が運ぶ声に胸が高鳴る。


「惑わされないで、全方位を警戒!」


 やっぱり居たね、ルイカ……いいよ、今夜も愉しませて。


 五日前。ローナの所属する戦団ブリゲイド業式一座わざしきいちざは、迷宮攻略で競合していた戦団・未来聖十字トゥモロークルセイドの勢いを封じるため、彼らのエースである戦士シュウヤを拉致し砦に監禁。こちらの攻略が済み次第、彼は解放するという通達を出したのだが、未来聖十字は実力による奪還を選択。今夜は二度目の衝突が起ころうとしていた。

 彼女の任務は、一座の砦への経路の一つで、単独で先行し敵を足止めすること。制圧力が高い彼女ゆえの任務だが、戦団とは関係ない目的がローナにはあった。

 

「発見、十時の方向!」

 見つかった、次々と矢が飛んでくる。軌道を見切り、当たりそうな矢だけ回避しながら、両手に六本の苦無を持つ。

 投式・すずめ。放たれた六本は別々の射手へと飛ぶ。命中の隙にローナは地を蹴り、跳式とびしきだんを発動。二十メートルを一瞬で詰め、陣形の真中へ飛び込んだ。


「ローナだ! 少女だからって油断するな!」

 怒号と共に、攻め手が殺到する。

 剣や槍を右手の鎌で捌き、そして左手で腕を取って肘を折る組式くみしきかいで次々と戦士を無力化。同時に彼らを盾にすることで飛び道具を抑える。

 同士討ちになりかけた敵方がまごついている隙に、近くにいた敵から無力化していく。常に誰かを掩蔽に使い、互いに攻撃可能な位置にいる個体はすぐに鎌で切り裂く。離れた場所で火炎魔法を詠唱しはじめた魔術士へ、苦無を打ち込んで無力化。


 ローナの体躯は、十六歳の少女にしても小さい部類に入る。しかしそんな華奢な身体に、屈強な男たちは傷ひとつ付けられない。

 無傷のままに直近の戦士たちを片付けてから高く跳び、投式・はやぶさで残った敵へ苦無を浴びせる。しかし着地の瞬間を狙い、ローナに迫る双剣。瞬時に両手の鎌で受けると。

 

 白く柔らかな肌。ぱっちりと澄んだ瞳と、艶のある唇。完璧な均整で配置されたパーツ。

 そんな、息を呑むほど美しい少女が。出会った瞬間に心を奪われ、共闘と対峙を重ねてきた少女が。憤怒の形相でローナを睨み、渾身の力で双剣を押していた。


「おっと……三日ぶり、ルイカ」


「貴様ッ!」

 瞬時に力を緩めると同時に身をずらし、ルイカがつんのめっている間に振り向く。苦無が効かなかった重装戦士アーマーナイトの突進を躱し背後を取り、腋を鎌で切り裂く……よし、これで邪魔は入らない。

 直後、直剣が凄まじい速さで背後から飛来。危うく躱すと、剣はブーメランのように円を描き、持ち主のルイカの元へ返っていった。


「へえ、腕を上げてるじゃん」

 そんな呟きに、ルイカは再び双剣を構える。

「退いて、シュウヤを返してもらう」

「悪いけど却下、仕事でね」

 そう返してから、ルイカの声に切実なものを感じて記憶を辿る……そういえばシュウヤ、前は随分とルイカに気があるような素振りを見せていた、気もするような・……ダメだ、男のことは覚えてられない。とりあえず訊こう。


「シュウヤってさ、貴女の恋人?」

 瞬間、ルイカの表情が烈火の怒りに染まる……そんな熾烈な形相に、また惚れ直してしまう。

「だったら何よ!!」

 その声と共に、ルイカは右手の剣を射出し、左手の剣を構えて突進。理想的な連続技ではあった、ローナが相手でなければ。


「――へえ、」

 ローナは飛来する剣を躱しながら蹴りの動作に入る。高速で迫るルイカに対し姿勢を調整し。

「ほらっ」

 打式うちしきはち。剣は届かないまま、右足がルイカの腹に直撃する。その瞬間。

 きもちいい。

 ルイカの悲鳴が、衝撃が柔らかな肉に響く感触が、痛みに歪む美貌が。

 たまらなく、きもちいい――私は、生きている。


 快感に酔いそうになりながらも追撃。倒れ込んだルイカは、起き上がりざまに剣を薙ぎ払う。ローナは鎖を取り出して剣を受けると同時に絡め取り、へし折る。武器を破壊され呆然とする一瞬の隙を衝いてルイカに馬乗りになり。鎖で腕を縛ってから、右手の苦無を首元にあてがう。


「……え?」

 殺されると思ったのだろう。ルイカの表情が、絶望から困惑へと変わる。

「いつも言ってるでしょ、貴女は殺さない。誰にも殺させない」

 そう言ってから、周囲を見回す。他の敵は苦無の麻痺毒と負傷、もしかしたら死亡で戦闘は不能……なら心置きなく、愉しむとしよう。


 苦無をそっと首筋に押し当てる。白い首筋に、つうっと美しい赤が線を引き。

 その傷に唇を押し当てて、ローナはルイカの血を吸った。

「うっ……あぁ……」

 清らかな声が苦しげに洩れる。痛み、恐怖、屈辱、そんな感情で歪む美貌。頬を伝う涙。自身の下でよじられる躰……たまらない、幸福と充足。

 喉元を過ぎる血の、甘い熱さを味わいながら。左手の薬指の腹に爪を立て、血を出させてから、ルイカの首筋の傷口に押し当てる。

 ふたりの血がまざり合う感覚に、衝動は加速。熱に浮かされたまま、左手にゆっくりと力を込めていく。


「……い……あ、が、はぁっ」

 手の中の細い首が、必死に脈を打つ。圧迫された喉が、空気を求めてもがく。手を緩めると、ルイカの口は空気を貪る。しばらく吸わせてから、開いた紅い唇を唇で塞ぐ。

 舌を入れてルイカの中を嘗め回したい衝動に駆られるが、舌を噛み切られてはたまらない。その代わりに、唇に歯を立てた。その奥からこみ上げる悲鳴に、全身の細胞が歓喜する。


 ふと、背後で鎧の音がする。腕を折っておいた戦士が、立ち上がってこちらへにじり寄ってきた。まだ無事な腕で斧を引きずっている。

「貴様、ルイカから、離れろ」

 ――せっかく、いいとこだったのに。邪魔な存在への苛立ちのまま、ローナは苦無を投擲。

「やめ、て」

 ルイカが叫んだときには、既に敵は首元を貫かれ、盛大に血を噴き出していた……まあ、絶命してるでしょう。

 目の前で仲間が殺されたこと、自分が何もできなかったこと。もはや声を上げることもせず、美しい顔を怒りと絶望に染めてこちらを睨むルイカに、ローナの嗜虐心は加速する――次は、首から下。


 アーマーを剥いで、上着を切り裂く。露わになった白い肌に指を這わせながら、荒い呼吸と共に上下する膨らみを、どう味わおうか思案していると。


 耳に飛び込んできた咆哮。すぐに身体を起こし、音の方を見ると。

剛狼人ウェアウルフ・ソリッド……しかも巨級」

 固く変異した皮膚と怪力を持つ、非常に危険なモンスターが近づいている。強いパーティーでも苦戦する、まして単独で挑むなんて普通は論外だ……だが。

「……逃げなさいよ」

 立ち上がろうともがきながら、ルイカが言う。しかしここでローナが逃げれば、間違いなく彼女は喰われる。

 

 それは嫌だ、絶対に。

 絶対に、死なせない。

 

「まあ、見ててよ」

 迫る敵を見据えながら魔力を集中。

 五メートルはあろうかという獣頭の亜人が、大斧を構えてこちらへ突進する。

 ローナは呼吸を整えながら、敵の動きの癖を読み取る。こんな敵に、小さな刃物は通じない――必殺の一撃に、懸ける。


 迫る巨体へと駆け出し、会敵。

 振り下ろされた大斧を躱してから、その上に飛び乗る。邪魔者を落とそうと振り上げられた勢いを利用し跳躍。

 

 高度、確保。


 短刀を逆手に抜き、空中で術文を発動。


 角度、よし。


「――死んじゃえ!!」


 零式ぜろしき破星はせい


 超高速で降下しながら、渾身の力で得物を叩きこむ捨て身の一撃。

 短刀は、敵頭部に鉛直に――刺さった。

 

 それを支える手首に。激突した全身に。激痛。


 意識が消え失せる瞬間。

 名前を呼ばれた、気がした。


 *


 気が付くと。

 泣き腫らしたルイカが、倒れていたローナを見つめていた。

 身体を起こそうとすると、全身を痛みが走り抜けるが。


「……奴は?」

「倒した。あなたが」


 その痛みを、ルイカが無事である安心感が塗り替えてく。


「――なんで、」

 ルイカが、ローナの胸倉を掴む。

「なんで助けたの。

 敵なのに。私の仲間、たくさん殺したのに……なんで、命懸けで、助けるのよ!」

 震える声でなじりながら、なおも堪えきれず涙を流し続ける理由は。恋人を助けられなかった悔しさか、敵に救われた屈辱か、自他双方への怒りか。

 その胸中は分かりかねたが、二つつ確かなことがある。


「だって、ルイカが死んじゃったらさ。私、生きてく理由ないもん」


 そして。

 彼女の流す涙は、どうしようもなく、このうえなく、美しく、愛しく、輝いていた。

 それが、ローナの世界の全てだった。

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