後編

 辺りには死の臭いが満ちていた。未だ真新しい鉄と血と、怨恨の臭い。

 嗅ぎ慣れているものではあるが、決して心地良いものではない。眉を顰めながら魔女は苛立ち混じりに足を踏み鳴らした。


「全くお前は……勝手に人の獲物を横取りするなと、何回言えば分かるのだ?」


 尖ったヒールが足下の死体に食い込む。何処ぞの国の兵であろうか、背に紋章の付いた衣服は無惨に紅く染まり、魔女はそれを意にも留めず踏みつけていた。


「……あんたが、遅いから」


 応じる者は血溜まりの中心に在った。肩までもある長い剣を地面に突き立て、無機質な相貌をこちらへ向ける。肩口で無造作に切りそろえられた栗毛は返り血に染まり、全身を覆う鎧は血糊で錆び付いていた。

 年頃の女とは思えないその無頓着な姿に、呆れた魔女は溜め息を吐く。


「お前がやると汚れて適わん……私の森を、一体どれだけ死体で埋めれば気が済むのだ?」


 私ならば軽く焼き払えたものを。うんざりと口にする魔女に、鎧の女は矢張り表情をぴくりとも動かさず眼を向ける。この十数年、変わることのない空虚な瞳だ。


「……あんたなら、うっかり森を、火事にしかねない」

「……今、何か言ったか? 文句があるならはっきり言わんか。……おい、無視をするな」


 魔女の憤りを意にも介さず、大剣を軽々と担いだ鎧の女は、転がる亡骸を踏み越え魔女の元へ立つ。毎日目にしている筈が、その体躯が日に日に屈強になって行く気がするのは魔女の思い過ごしだろうか。既に二十歳は超えている筈が、それなりに長身である魔女の丈を既に超え、尚も成長しているとは。


「聞いているのか、お前は? 昔から可愛げのない僮だと思っていたが、ここまで可愛くないといっそせいせいすると言うものだ」

「……誰の、所為」

「私の所為だと言いたいか? それを言うならお陰であろう、お・か・げ。……だから無視をするなと言うに」


 ぼそぼそと区切るように、発する鎧の女の声は酷く嗄れている。彼女の全てが焼け落ちたあの日、彼女自身も失われる所であった。それを繋ぎ留めたのは魔女の秘薬と魔術である。しかし数百年に渡る秘術でさえも、その喉を完全に戻すことは適わなかった。

 その所為なのか、それとも元来が寡黙な性分であるからか、成長した今となっても女が不要に口を利くことはなかった。

 そもそもが滅びを冠される魔女のこと、理論は分かれども治癒など不得手に過ぎる。それでも気まぐれで拾ったその命は何故か、今も尚、魔女の元に在った。 


 森の奥には、古き魔女と鋼の少女が住まうと言う。


 気まぐれで拾った子供は、子供嫌いの魔女の手を借りずともすくすく育ち、何時しか屈強な戦士となっていた。


「本当にお前は……何を間違ってそうなったのか」

「……余計な、お世話」


 辟易とした魔女の言い分には耳も貸さず、鎧の女は光の無い目で周囲を見回す。まるで、さっさと片せと言わんばかりのその仕草に、内心舌打ちしながら魔女は両手を広げた。

 意識を研ぎ澄ます。赤く、紅く、激しく、全てを滅ぼすかの如く。

 思い描くや否や、掌の内から生み出された炎の渦が蛇のように地面をのたうち回り、打ち捨てられた亡骸を灰燼へと帰した。

 それで納得したのか知れないが、鋼の女はくるりと踵を返す。勝手知ったる足取りで木々の間へと入り込んで行く、そちらは確かに魔女の小屋のある方角であった。

 

 やれやれ、如何してこうなった。

 今まで幾度と無くして来た自問が魔女の頭を過る。直接教えこそしていないものの、日々を暮らす内に少女は魔女の術の力も知識の一端も垣間見て来た筈だ。

 それなのに、少女が選んだのは武力で以て他者をねじ伏せる道だった。

 城を焼かれ家族を失い、無気力に只生きていた少女が、ある日ふらりと森へと消えた。そのまま居なくなるのならばそれで良い。魔女の思惑に反して、暫く後に戻って来た少女は全身が傷だらけであった。聞けば、魔女に向けられた刺客を返り討ちにしたと言う。

 それまで剣を握ったこともないだろうに、死を身近に感じた者の覚悟があったからなのだろうか。それからは滅びの魔女が仕事を受け、不利益に感じた国から寄越される刺客を少女が始末する。そうした関係が、不思議と出来上がっていた。


 無表情に淡々と、しかし確固たる意志を持って邪魔な者を排除する。少女は何時しか、鋼の名で呼ばれるようになっていた。


 全てを滅ぼして欲しいと、少女は願った。それを叶えるかの如く、魔女はその名の通り幾多の国を滅ぼし、殺戮の限りを尽くす。恨みを買い、現れる敵は少女が消していった。まるで滅びの連鎖の中にあって、滅びの魔女は未だ己の滅びを知らない。


「……一体、何時になったらお前は、私を滅ぼしてくれるのだろうな」


 淀みなく家路に就く背中に向かって独り言ちる。

 遠く、小さな返答は森に飲まれ消えて行く。鎧の女の口元に本の僅かな笑みが湛えられているのも、魔女には知る由もなかった。

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滅びの魔女と鋼の少女 赤坂 明 @aki0614

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