滅びの魔女と鋼の少女

赤坂 明

前編

 城が焼け落ちるのを見ていた。只々見ていた。


「全く、泣きもせんとは……実に可愛くない僮よの」


 からからと笑い混じりに賭けられる言葉が少女の胸を刺す。涙が湧かない己が酷く腹立たしい。しかしその実、その苛立ちはこの現状を当然だと何処か達観している事実に対して向けられているのだった。

 揺らぐ炎に飲まれ、がらりと城であったものが崩れ落ちて行く。あれは子供部屋のある一角だった筈だ。少女が小さい頃から大事にしていた積み木も木馬も、弟と取り合うようにして遊んだ人形の家も――そして弟自身でさえも、全てが灼熱に飲まれて消えて行く。

 それを為した者は少女の傍らに在った。


「……ん? どうした、私を恨むか? まあ無理もなかろう、生家を焼かれてはな」


 視線を向けたことに気付いたのか、舞い上がる火煙を眺め遣っていた者は言う。言葉の内容とは裏腹に、少女からかっているのか嘲っているのか、歌うように紡ぐ口元には笑みが湛えられていた。


 森の奥には、古き魔女が住まうと言う。


 人嫌いで気まぐれな、老獪で狡猾な不老不死の魔女。領地の外れにある森の奥に住み何処の国にも所属しない癖に、報酬次第ではどのような仕事も引き受ける。戦や殺人ですら厭わない血塗られた魔女の噂は、少女も幾度となく耳にして来た。

 決して森の奥には近付いてはいけないよ。口を酸っぱくして父は言う。その実、彼が幾度となく森の奥へ使者をし向けているのを、少女も薄々感づいてはいた。

 この地の領主たる彼が領土を増やさんとするのは極普通のことなのかも知れない。しかしその度に無辜の血が流される。戦に駆り出され税をむしり取られた民たちの嘆きが聞こえる。

 それを無視し、自分たちばかり平和と贅沢を享受して来た。この惨状は、その報いであると言えた。


 恨んでは、いない。応じようとした喉は焦げ付き言葉を発することは適わなかった。両親を殺めた暴徒から逃れ、煙に満ちた火焔の中を這々の体で逃げて来たのだ。全身もう何処が痛いのかも分からず、少女は立っているのもやっとであった。

 嗄れた吐息は酷く醜く、それをどう取ったか見下ろす魔女の瞳は頗る冷たい。しかしその色は辺りを取り巻く炎のように紅かった。

 この業火の中に在って、平然としていられるのがそもそもおかしい。人間業とは思い難い――人ではないのかも知れなかった。


「何だ、言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ? それとも領主様の娘御は、卑陋な魔女とは口も利けぬか」


 無言で居る少女に苛立ったのだろう。先刻まで何処か愉快そうに笑みを孕んでいた魔女の唇は、今や不機嫌そうに歪んでいる。火の粉を纏った風が、その長い髪を舞い上げる。肩までしかない少女の何倍あるだろう、長身な魔女の足下にまで付く程の黒髪が、怒りを体現するかに広がっている。

 冷徹なまでの美貌、その齢は数百を超える筈がそこに在るのは白く透き通った肌をした美女であった。黒いドレスにとんがり帽子、羽織ったマントは尚深い闇の色。冷たい相貌の中で瞳と唇だけが燃え上がるように紅い。

 噂に違わぬそれが、滅びの魔女の姿であった。


 不意に伸ばされた細い指が首筋に触れた。恐ろしいまでに冷たい感触に、全身が痺れたように少女は思わず膝を突く。

 追うように白い指先が少女の喉を捉えた。長い爪が肌に食い込む。只でさえ煙を吸い込み苦しい少女は、更に細い息を漏らすしかない。


「……何か言ってみよ。それとも、このまま死を待つか? お前の家族と同じように」


 口の端を吊り上げ魔女が囁く。煽られそれでも尚、少女の内に感情は湧かなかった。

 確かに両親に手を下したのは魔女ではなく、虐げられた領民たちだった。魔女は金で雇われその先導をしたに過ぎない。だが、憎む気持ちが起こらないのは、そんなことが原因ではなかった。

 

 怒りも恨みも悲しみでさえも、今は少女には遠い所に在った。只管虚しさばかりが胸に満ちていた。

 何時かこんな日が来るとは分かっていた。親を戦で亡くした幼子に罵られたことがあった。町の路地裏で行き倒れた者を見たことがあった。その度に父に母に訴えた諫言は、子供の戯れ言と一笑に付された。

 齢十足らずの少女に何が出来ただろうか。否、何も出来なかったからこそ、この現状がある。

「…………し、て、」


 潰れた喉で声にならない声を発する。何故だか驚いた体の魔女を見遣る少女の瞳は、酷く虚ろだった。

 もう逃げ延びる理由も生き残る理由もなくなってしまった。だから、


 ――すべて、ほろぼして


 声にならない声で願う。口の動きを読み取ったのか瞠目した魔女が手を離し、少女の躯は力なく地面に倒れた。


「……滅びの魔女に、本当に滅びを願うとは……可笑しな僮だな……」


 霞む視界に戸惑った風の魔女が映る。ゆるりと差し出された手は今度は頭に触れ、炎に縮れた少女の髪を優しく撫ぜた。


「承知、お前の願いを叶えてやろう。その対価としてお前は……」


 額に触れるひんやりとした感触が心地良い。次第に薄れ行く意識に、遠く魔女の誘惑が響く。


「……お前が、私を滅ぼしておくれ」


 何処か哀しげに笑む魔女の言葉は、少女の耳には届かない。

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