第21話 双子姉妹のお引っ越し

 王子はみずから恋愛に踏み込むことに不慣れながらも、姫と内面を見せ合える関係になるべく、心を砕いている。


 恐らく王子にとって人生で初めて奮われる種類の勇気であった。

 産まれてから今までの間、見目の麗しさと自身が纏う清浄な空気感ゆえに、常に彼の心の国境線を越えたいと不特定多数から願われることを当たり前に過ごして来た。


 王子が自分から相手の心の国境内に足を踏み入れようと、他者である姫に対して一歩一歩進めんとしている、覚束ないながらも地道な足取りは、他人から好かれる才能に恵まれ過ぎるあまり、機会を奪われて来た挑戦だった。


 恋愛感情を持たない俺も、特に出来ることがあるわけではないが友人としてぴたりと彼に寄り添っているつもりでいる。

 恋に関する昂りや悲嘆に限らず、あらゆる感情について分け会う相手がいるだけで、心強い保険が掛かっているようなものだと、体感として認識している。安心感が段違いだ。


 けれど、俺も「特に出来ることがあるわけではない」という部分に引っ掛かりを感じている自分自身を見過ごす程には、最早王子の恋愛について他人事ではいられなくなっていた。


 せめて俺が女性であったら、姫から同性の友人として今の心情を上手く聞き出すことが出来るのだろうか?

 告白されて自分が振った相手とはいえ、彼女の器の大きさに助けられて、現在も多少込み入った話題も交わせる友人関係を続けさせて貰っている。


 にも関わらず、こと王子が、もっと言ってしまえば恋愛事が会話内容に絡むと、どこまでがデリカシーの範囲内に収まるのか戸惑い、コミュニケーションとはどんなものであったのか急にあやふやになる。

 毎日乗っている自転車のバランス感覚を忘れて転んだり、得意なはずの平泳ぎの仕方が分からなくなってプールに沈む自分が連想される。


 恋愛感情どころか、男女の友情における差異にすら見識不足であることが浮き彫りになり、歯痒いばかりだ。

 王子のために俺がおのずから勝ち取り、役に立つ方策はないのであろうか?



 こうして職務に関係ないところで地団駄を踏みながらも俺がアルバイトをしている大型スーパーの7階には、まるまる1フロアを使ったテナントの百円均一ショップが入っている。


 だが本年10月いっぱいをもって閉店になるのだそうだ。


 しかし11月の初旬には時をそう待たずして、全く別のチェーンではあるが新しく百円均一の店が、やはり7階のフロア全面を使ってオープンするらしい。


 商業施設は、売り上げを伸ばす為であれ現状を維持する為であれ、絶えず「中身」であるテナントや売り場、または近隣の街側から見た場合の「立ち位置」を変動させていかないと成り立たない。


 いちアルバイトの俺から見るとその前兆までは分からないが、企業というものが生き物のごとく「動く」代物であることは、中で働いていて実感する。

 友人の恋愛事に右往左往するばかりで足元の位置が全く動いていない俺よりも、スーパーマーケットのほうが余程生物らしく感じられた。


 俺達、7階以外で働く従業員が百均ショップの閉店を知ったのは、本日10月1日付けである。


 現在の百均ショップで働くスタッフ達は、会社都合による退職となり、新たな職場を探す必要もあるためもっと早くに知らされていたようだが、正式にお客向けのポスターで告知する今日まで、外部には漏らさないようにしていたらしい。


 確かに、俺の働く6階・生活日用品売り場のレジで、噂話を聞いたお客さんから百均なくなるって本当? と公式に発表される前に質問されてしまっては、いくらお客側は軽い雑談のつもりでも答えに窮したことだろう。


 百均で今働いている人々の中には、売り場こそ違えど社食やロッカーなどで挨拶以上の会話をする仲間もいたので、1ヶ月で別れが来るのかと思うと寂しくもあった。


 例えば、あの同じ顔をして仲良く一緒に働き仲良く掛け合いを見せる、双子の姉妹もそうである。


 口数の多さではスーパー内で誰にも負けないお喋りずきの双子達が、決まり通りに閉店することを今日まで黙っていたのは意外なことであった。

 ああ見えてしっかりしているのだな、とサプライズを仕掛けられた気分だ。


 しかし、テナントが一つ閉店になるイコール、顔馴染みとの別れがやって来るというのは俺の思い違いだったようである。

 テナント閉店とイコールになるのは、人手の足りない売り場によるスカウト合戦であった。


「次に入る百均で優遇して採ってくれるらしいんですけど、時給が低いんすよねえ」 

 話しているのは判別しづらいが妹で、さも当たり前とばかりに話題を引き継ぐのが姉である。

「時給のこともあるし、百均の仕事に慣れてるとはいえ、店ごとのちょっとしたルールの違いが、逆に超やりにくかったりもするじゃないすかあ」


 社食で昼食を取る合間に、百均閉店の詳細と新しい店舗の様子、今後の大まかな身の振り方を話すであろう双子姉妹の座る長テーブルは、隣も向かいも後ろの席も、興味津々な他部署の者達がみっしりと埋め、満員御礼といったところだ。

 普段から彼女達とよく話していた俺も、縁があってか向かい側の近くの席でメンチカツ定食を食べながら、耳を傾ける。


 少しだけ丸顔の妹が言う。

「今んところ来ない?って声を掛けて貰ってるのが、地下の食料品と、3階のエスニック雑貨屋さん。5階の文具も夜入れる人が欲しいっぽいっすね」

 多少だが面長の姉が続ける。

「あと6階の日用品の課長が、朝が人手不足で、たまに夜も入れば時給弾むって言ってくれたっすよ」

 間髪入れず、寸分違わない誇らしげな笑顔でユニゾンする。

「私達、なかなか引く手あまたでしょう?」


 何やら馴染み深い売り場名がちょこちょこと挟まれた。気のせいではない。

 まろやかなコクのある特製ソースが利いていながら安価な社食のメンチカツをほうじ茶で流し込み、心の中で復唱する。


 双子の妹は、3階・エスニック雑貨店の名前を挙げた。言うまでもなく姫こと三津谷さんの城である。

 そう言えば確かに、遅番の人員が足りていないと以前聞いたことがある。


 双子の姉は、俺の持ち場である6階・生活日用品売り場に声を掛けられていると話した。

 俺も含めて学生のバイトが多いため、朝から入れるスタッフが少ないのは確かだ。


 自分が考えていることが、正々堂々さからはかけ離れている上に浅はかで子供っぽい思い付きであることに、普段は感じない後ろめたさと期待を含んだ、幼い心臓の鼓動となって響く。


 双子姉妹なら、3階・エスニック雑貨店で姫と仕事をしてくれさえすれば、片手間に談笑するだけで持ち前の巧みな話術により、姫から姫王子との交際状況や、王子に対しての印象を聞き出せるのではないか。

 1階・化粧品総合レジの姫王子こと上遠野かとうのさんは、身体的には姫と同じ女性であるが、姫が恋人の性別や具体的にそれが誰であるかなどに触れずとも、双子姉妹の諜報能力があれば、どのような付き合い方をしているかを話の種にするのはいとも簡単であろう。


 また、双子達の二人で一人だと言わんばかりの振る舞いから考えて、姉妹のどちらかが俺のいる6階・生活日用品売り場に来てくれれば、姫から得た情報を教えて貰うことが可能なのではないか?


「3階の雑貨屋さん、シフト組むの苦労してるっぽかったよ。うちの日用品も朝から来られる人が少ないから考えてみてよ」

 スパイをスカウトする文言を、考えるよりも先にさらりと自分が発したことに、内心俺自身が驚嘆していた。

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