第22話 そこにいるのは魔法使いの2人

 みずからは恋愛感情を持たずにして、恋愛に悩む大切な友人に俺が出来ること、それは「援軍」を呼ぶことだった。


 俺の声掛けが少々であれ影響をもたらしたかどうかは分からなかったが、すんなり過ぎる程に目論見に沿った結果が待っていた。

 双子姉妹の姉は、俺と同じ6階・生活日用品売り場に、妹は、姫こと三津谷さんの働く3階・エスニック雑貨店に、それぞれ異動となったのだ。


 スーパーの神様ありがとうなどと、つい心の中で感謝してしまったが、むしろ恋愛の神に礼を述べるべきだったのでは? と、はたと気付く。

 こんな冗談半分の些細な部分にさえ、自分が恋愛感情を持ち合わせていない事実が顕れるものなのかと、今更ながら自覚して改めて驚いた。


 無論、なんらかの神様のおかげなどではなく、各売り場の上司達の交渉力あってこその結果である。


 双子の妹と瓜二つの顔であるが、やや鼻筋がすうっと通った印象の姉は、学生の俺とは違いフリーターで、勤務時間に融通が利く。

 6階・生活日用品売り場には俺と同じ大学に通う者も多く、午後や夕方から21時の閉店までの時間帯は従業員をそこそこ賄えていた。

 代わりにスタッフの少ない、朝の開店準備からのシフトに対応出来る双子の姉に、課長を始め社員さん達は是非とも入って欲しかったようだ。

 いざ学生バイト達の都合が付かず、遅番のシフトが薄くなってしまった場合にも出勤が可能という点も重宝がられた。



「前の百均よりお賃金が上がって、万々歳っす」

 レジに入った初日、相変わらずの敬語ともつかない敬語で、双子の姉はにこやかに言う。


 この日の彼女は、朝9時半から始まる開店準備をこなし、17時には退勤する早番であったため、夕方16時からのシフトで出勤した俺とは、1時間しか勤務時間が被らなかった。

 俺と顔を合わせた、退勤間近の時間になっても、異動になったとはいえ勝手知ったるスーパー内の仕事であるとばかりに、特別な緊張感や過度の疲労を滲ませることもなく、ふわふわとした余裕を見せていた。


「中町さん、改めまして、これからよろしくお願いしまーす」

 以前、テナントである百均で身に着けていたものとは色や形の違う、俺と同じスーパー直属のアルバイトであることを示すエプロンを、舞踏会で令嬢がドレスのスカート部分をそうするように、両裾を摘まんでおどけた挨拶をして見せた。


 愛嬌というのは時として、無礼さを自身が発することを抑える強力なおふだか、迂闊に無礼者のそしりを他人から受けないための頑丈な防具としての機能を果たすことを、彼女を見ていると思い知らされる。

 年齢はひとつ下であるはずの彼女の振る舞いは、世間について俺より余程に見識がありそうな、軽やかでありながら鋭い内面をちら付かせていた。


 生憎おふだも防具も持ち合わせていない俺は、こちらこそどうぞよろしくお願いします、と何の変鉄もない凡庸な挨拶を返し、そのついでに聞いてみた。

「ところで売り場ではなんて呼べばいいの、苗字?」

 社食での休憩中、2人の見分けが付く程度には親しい間柄の人々からは「姉」と簡潔に呼ばれていたが、妹と別の売り場に配属となり、且つ業務中であることを考えると、姓で呼ぶのが妥当かと思われる。


「妹とは別の売り場になりましたけど、同じ顔で同じビル内にいるわけですし、ややこしいから下の名前でいいんじゃないすかね」

 以前の百均のスタッフ間ではそうしていたと捕捉して、自分の下の名前を教えてくれたが、たかだか名前ひとつの情報量の多さに喫驚させられた。

「比較の比に、春夏秋冬の夏、瑠璃色の瑠って書いて、ヒカルです」


 これがキラキラネームというものの破壊力か、と少しだけ頭が重くなった。

 せめて読みが単純で良かった。名前である事すら判別し難い読みであったなら、仕事中に声を掛けるのも躊躇するところだった。


「妹は、亜細亜の亜に、春夏秋冬の夏、瑠璃色の璃の字で、アカリっす」

 夜のレジ上げとかで会ったら今度はそう呼んでやって下さい、と紹介されたが、読みはともかく漢字を正確に覚えられる日はやって来ないだろうなと思った。



「凄い! アカリさんもお嬢様がドレス摘まんで広げる挨拶やってた!」

 3階・エスニック雑貨店の姫こと三津谷さんが、いつもより少し大きな声で言う。

 今日初めて一緒のレジに入ったヒカルさんが俺にして見せた、不思議と失礼さを感じさせない、相手と状況を上手く選んだ挨拶について話すと、姫の瞳は彼女の心が動いたとき特有の、潤いのある輝きを見せていた。


 閉店後、1日分の売上金を持って全レジから従業員が集う、ATMに似たレジ精算用の機械が並ぶ9階の部屋には、3階・エスニック雑貨店の姫と共に、旧百均から異動初日のアカリさんが来ていた。


「初日にお釣り間違えて、でっかいレジ誤差出してないか、心配っすよう」

 双子の姉であるヒカルさん同様の、ため口を0、敬語を10として間に区切りを付けたら、7くらいのメモリに該当する口調で、アカリさんは言う。


 言葉とは裏腹に、1日の終わりの精算作業は百均時代と変わらないことも手伝ってか、悠々としている。

 ほんの少し姉より丸く大きな印象の目を細め微笑みながら、売上金専用の袋を持ち、精算機に並ぶ人々の列に、アカリさんは率先して、いってきまーす、と向かって行った。


「お姉さんのヒカルさんもだけど、新戦力とは思えない程、実に頼もしいね」

 残された姫と共に、経理に提出するためのプリントを手に取り、記入欄を埋めながら俺は言った。

 社員ではなくバイトではあるが3階・エスニック雑貨店の店次長を務める姫も、双子姉妹を褒める。

「2人共、あんまり明るいから忘れちゃうけど、仕事してる時はしっかり者だよね」


 書類の中の、アカリさんが戻って来てからしか数字を書き入れられない欄にだけ空白を残して、姫は話す。

「スカートの裾を摘まんで『これからお世話になりまーす』って初日の挨拶しても、ご令嬢か! って突っ込んで笑っちゃったもん。根がしっかりしてると、それもアリになっちゃうよね」


 きっと、双子姉妹は事前に打ち合わせなどしていなかっただろう。

 されどお互い、持ち前の愛嬌が相手さえ選べば仕事の潤滑油になることを理解していて、偶然にも同じ行動を取ったのだろうと思った。


「今日のアカリさんのスカートは、私が売り場の商品から選んだの。似合ってるでしょ」

 姫が自分のセンスを自画自賛するので、精算機を使う人々の列が捌けて自分の番が廻って来たらしい、アカリさんの服装を遠くから眺める。


 3階・エスニック雑貨店には、店員用の揃いのエプロンはない。

 売り場やテナント名、役職があればそれも併せて自分の名前が記載されたスタッフ用の名札を、胸につけたり首から提げたりするだけである。

 その代わり多少の経費が出て、売り物である特徴的な服や小物を、着こなしの提案として身に付けるのだ。

 アカリさんの皺加工がプリーツ風に施された異国情緒のあるスカートは、彼女の自前であろうカットソーとよく馴染んでいる。


 姉はエプロン、妹はスカートを、おどけた挨拶に使ってするりと新しい居場所に自分を潜り込ませる柔軟さで、王子の恋愛に関するスパイの役目を無意識にでも担ってくれれば心強い。

 だが、気持ちの幼い俺が考えるような軽率な行動は取らないかもしれなかった。

 キラキラしたその名前は、一般人と一線を画す、感覚の鋭いクレバーな魔法使いであることを示唆しているのでは、と思わせるのであった。

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