第19話 幼き王子と幼き庶民
3階・エスニック雑貨店の姫が、1階・化粧品総合レジの姫王子と、身体的には同性ではあるが恋人同士として付き合い始めた。
この事実をどうしたことか、俺と、友人である1階・靴屋の王子とが同時に共有している。これには俺も王子もお互い心底驚いた。
王子が、自身が恋をしている相手である姫こと三津谷さんは、姫王子こと
非常に言い出しにくいが言わない訳にはいかない、そう思い詰めていたところで先手を打たれたので、なんで知ってるんだよ! と大きめの素っ頓狂な声を出してしまった。
自分が話した内容を既知の事としているとしか思えない俺の様子に、そちらこそなぜ知っているのだ? と、王子も全く同じ疑問を持ったことだろう。
脱力した俺はへなへなとしゃがみ込みながら呟くのが精一杯であった。
「俺もそれを今日知って、お前に話そうと思ってたんだよ……」
普段なら人通りのない裏道を、自転車をゆっくり漕ぎながら話をするところだが、明日はお互いシフトも入っておらず、大学に行くにも午後からゆっくりで充分だったため、ひとまずはバイト先である大型スーパーの近隣にあるハンバーガーショップで夕食を取りながら、ゆっくり座って話そう、ということになった。
議題が議題だけに話が長引いたり、不安定な気持ちになってアルコールに頼りたくなったりすることも懸念された。その場合は、それぞれが数十メートルしか離れていない各自のアパートに一旦自転車を置き、近所の深夜営業をしている居酒屋に向かおうということに落ち着いた。
スーパーに程近い23時まで営業しているハンバーガーショップは、禁煙席と喫煙席に分かれている。
他にお客もいない様子だったので、俺も王子も煙草を吸う習慣はなかったが、ガラスの扉で仕切られている喫煙席に座った。
簡単な仕切りがしてあるだけでも、重要な話をするに値する安心感が得られるというものだ。
2人共、なるだけボリュームのありそうなハンバーガーのセットを注文する。王子は甘いシェイクのLサイズも加えた。
溶け出す前の固めのシェイクを半ば無理やりストローで吸い込んだ王子のほうから、まずはいきさつを話し出す。
「俺、上遠野さんと同じ1階にいるじゃない? 夜、お客さんもいなくなった頃に、うちの靴屋の近くに並んでる化粧品の棚で、上遠野さんが陳列を直していたんだよね」
欲張って多過ぎるくらいの具材が挟まれたハンバーガーを頼んだせいで食べるのに四苦八苦しながら、王子の話を聞く。
「あまりこういうチャンスもないかな、と思って、聞いてみたんだ。上遠野さんは三津谷さんと一緒に帰っているんですか、仲が良いのですかって」
なかなかの大胆さだと思った。何しろ王子は、姫王子が恋愛のライバルであるのを察しているにも関わらず、それを聞いたのだ。
「でも逆に上遠野さんに聞かれちゃったよ、香田くんは三津谷さんが好き? って。だから聞くのかって」
王子こと香田曰く、自分の思いきった質問は子供の無鉄砲さであったが、上遠野さんの思いきった切り返しは丸っきり大人の余裕であったという。
「上遠野さんが、ずっと以前から俺が三津谷さんを好きだと見抜いていたのか、そんな質問してくる奴は好きだからだろうと思われたのか、それは分からないけれど」
オニオンリングを合間に食べながら、王子は話を続けた。
「そうです、って言うしかなかったよ。そうしたら、香田くんは真剣に三津谷さんのことが好きなんだよね、軽い気持ちとかじゃなくって、って言われた」
そのような直接対決にまで発展するとは王子も思わなかったのであろう。
その場にいなかった俺まで緊張感が湧いて来て、食べ物の塩気のせいだけでなく喉がからからになる。ウーロン茶をごくりと飲んだ。
「それで、言われてしまったよ。真面目な気持ちなのだろうから話すねって。私は今、三津谷さんとお付き合いをしています、と言っても、お付き合いが始まったのは凄く最近のことだよって」
表面に浮かんで来た水滴すら無視してシェイクのカップを掴み、王子は甘い味で気持ちを紛らわす。
「だいたい俺のことを、王子じゃなくて、香田くんって呼んでくれている時点で、上遠野さんも真剣に話してくれているのが分かってさ」
姫王子が姫王子と呼ばれるのは、見た目以外にそういう真摯さを持っているからなのだと、聞きながら再確認する。
王子はシェイクで甘味を摂取するだけではエネルギーの消耗に追い付かない、といった様子だ。
「上遠野さん言ってた。女同士でおかしいと思うかもしれないけど、私も三津谷さんが好きです、って。まずはお付き合いを始めて、これから好きになって貰おうと、努力しているところですって。なんだろう、潔くてかっこいいなあって思わされてしまった」
「それは確かにかっこいいけど」
思わず俺も同調してしまったが、とにかく王子はもう充分頑張って話してくれたから、ちゃんとハンバーガーを食べて回復してくれ、というような前置きをした。今度は俺が話す番だ。
夜の休憩で姫と一緒になったこと。
世間話を装って姫王子と一緒に帰っているのかと聞いてみたこと。
その話に便乗するかのように、姫王子との交際を打ち明けてくれたこと。
女同士でも、姫王子のことは好きになれそうだと思って付き合い始めたと話していたこと。
ひと通り話すと、まだ虚ろな表情で体にも力が入りきらない王子に、俺達はほとんど同じことを聞いて、同じ回答を貰っていやしないかと指摘される。全くその通りだ。
恋愛事に関しては子供である人間の取る行動など、たかが知れているのかもしれない。
だが俺と王子が、姫と姫王子から聞いた一連の話の中に、一縷の望みがあった。
姫は元々は男性のみを恋愛対象としており、まだはっきりと姫王子に恋をしているとは言えず、姫王子側も鋭意努力中であるという点である。
「でもまだ姫の気持ちが固まったわけじゃないんだろ? 諦めることないと思う」
王子に伝えると、少し予想外の返事と共に、生気の戻った瞳が俺に向けられた。
「諦めるなんて全く考えていないよ。俺はこう見えても少し頑固なんだ。中町は知っているだろう?」
こんなときの王子は王子の名に本当に相応しい。
疲労困憊してさっきまでテーブルに伏してしまいそうだった王子の背筋がすらりと伸び、さらりとした髪は、偶然だろうとなんだろうと店内の照明を一身に浴びて艶やかに煌めく。
澄んだ瞳は自然と潤沢な水分で満たされ、決意の心を露わにしている。
そうなのだ、この男は王子なのだ。
繊細でありながら、それをきちんと自覚し、その繊細さを貫き通したままの自分でいたい、貫き通したまま姫と並び立ちたいと言葉にできる王子なのだ。
儚さを押し通せるのは世界でも彼だけに許された特権なのではないかと、俺は夢想する。
おかげで俺のほうが勇気付けられてしまった。
「それもそうだ、お前の頑固さは素晴らしいよ。姫王子とは全然違うタイプの逞しさがあるよ」
笑いながら言ったが、茶化している訳ではない。嬉しさが込み上げたのだ。
ふふふと王子もやっと笑った。
「でも上遠野さんはかっこいいよね、真っ直ぐで。俺も女だったら好きになってしまったかもしれないなあ。あれ、上遠野さんも女性だね」
2人の間に佇んでいた悲壮な空気は霧散していた。
アルコールを摂取する必要も、もうなさそうだ。
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