第17話 幼さの卵を孵化させよ

 姫王子はスタートダッシュが早かった。

 俺に姫を振ったか、直接聞いて確認したのも、いつ走り出すべきか、姫との親しさを深める好機を見極めるためだったのかもしれない。


 長身でマニッシュな年上美女の姫王子と、成人していても美少女で通じそうなエキゾチックで華奢な姫が並び、夜でもそれなりの人通りがある商店街の表通りでバスを待っていれば、目立っても仕方がない。

 俺も王子も、バイトの後はこの大型スーパーの従業員用駐輪場から、人通りの少ない裏通りを使って自転車で帰宅していたので、双子の姉から聞くまで、2人が一緒に帰るようになっているとは全く知らなかった。

 よく目撃されているということは、シフトさえ合えばほぼ帰りは共に行動しているということなのだろう。


 世間話を装って、姫王子と姫は家が同じ方面なのかと7階・百均ショップの双子の姉に問うと、同じ路線で最寄りのバス停も1つくらいしか変わんないみたいっすよ、とフワフワした敬語で教えてくれた。


 自分の思考が、小学校低学年向けの少女漫画でも今どき流行らないのではないかという方向に傾いていると気付きうんざりする。

「友達の好きな人が、友達の恋のライバルと毎日一緒に帰っているなんて!」

 要約してしまえばこんなところなのだ。幼い頃、姉が読んでいた漫画雑誌でさえもう少し複雑な恋愛模様とそれに対する几帳面な反応が描かれていたような気がした。


 俺はやはり今までの人生で恋をして来なかったんだなと、おかしなタイミングだが実感する。

 好きになったと思っていた女性達には、人対人として過度な好奇心を持っていただけであり、そこには繊細な王子のような感情や、大胆な姫王子のような行動は伴っていなかった。


 俺には知らない世界、今後も知ることが出来ない世界が存在し、しかし自分以外の人々はほとんど当たり前にその世界を現実に味わっている。苦悩したり愉悦を感じたりしている。

 自分はそれらの全てを体感することが出来ない。この事実に寂しさを感じることには、恋愛感情を持っていないことを自覚し始めてから、毎日少しずつ慣れていった。


 知らないからこそ他の多くの人に見えない部分が見えたらいい、今となってはそのような期待の種が心の中にある。

 だが今日のように、姫王子と姫の距離が縮まったことに対してあまりに幼い反応しか返せない内は、とてもじゃないが種の育ち具合は良好とは言えなかった。

 自分を恥じて卑屈にならないように、無知な自身に失望しないように注視する。

「恋愛感情がない人間がいるのは自然なこと」という王子の掛けてくれた言葉を心の柱に、いつか自分にしか見えない世界が、周りの人々、取り分け王子の役に立つように。


 感情どころか行動まで児童のようだが、姫王子と同じく姫のことを好いている王子に報告せざるを得まいと判断し、その日夕方から1階・靴屋のシフトに入った王子に、帰りの道すがら手短に件の概要を話すと決めた。


「今日は大変だったよ。サイドゴアとかショートブーツとか、秋冬用が大量に入荷していたからね。夏用のサンダルとかは値段下げてセール用のワゴンを作ったり、返品作業をしたり」

 季節の変わり目はどこの売り場も忙しい。普段ならバイトの後でも凪のような王子でさえ少量とは言え疲労の滲むさまは貴重であるとさえ思える。


 靴屋のバイトお揃いのエプロンを取り、カーディガンに着替えて大学から持って来たバッグを持つ王子と、テナント以外バイト共通のスーパーのエプロンを外し、財布をパンツのポケットに捩じ込んだ俺は、駐輪場に向かう。

 王子の自然で滑らかな身のこなしには余分な強張りは感じられず、何も知らない様子が見て取れた。


 終業前に、経理関係のまとまったフロアである9階で、売上金を機械に入れて精算する姫王子と姫の端正な横顔に出会うことも、バインダーに精算業務完了のサインを、王族のようなニックネームではなく本来の名前、上遠野かとうのや三津谷と記す美しい立ち姿を見かけることも、ついぞなかった。

 2人ともシフトが早番で夜までいなかったか、もしくは両者とも休日だったのだろう。


 噂話をするには格好と言える状況下であった。

「あのさ、こんなこといちいち報告するの子供っぽくて、しかも余計なお世話かもしれないんだけど」

 好奇心を制御できずにいきなり爆弾のような言葉を掛けがちな俺の、普段と違う慎重な前置きに、王子はどうした、と顔の動きで返す。


「姫と上遠野さん、最近仕事の後、いつも一緒に帰ってるみたいなんだよね」

 お互いの家がそこそこ近く、バスが同じらしい、と補足した。


「疲れたからアイス買っていい?」

 俺の発した言葉にドッと疲れが出たのか、バイト内容のハードさを癒したいのかは分からない。

 駐輪場のアイスクリームの自販機で、王子お気に入りのチョコチップ入りチョコアイスを買って、早速甘そうな配色の紙パッケージを慣れた手付きでするりするりと剥き、ごみ箱に捨てた。脳にも体にも甘いものは疲労回復に効くので、理に適ってはいる。


 お節介や過干渉だったらごめんと、幼すぎる言動を詫びた。

「いや、ありがとう。聞いておいて正解だよ。中町はこんな話は子供っぽいかもと言ったけれど、もっと子供っぽいのは俺のほう」

 甘いものを食べると安心するんだ、心が不安定なときは甘いアイスを食べるんだよ、と王子ファンの女性達や、少なからず存在する男性の常連客なら、王子の可愛らしい側面に庇護欲を刺激されそうな話を付け足しながら、自転車を外に出す前にぱくぱく食べる。

 結構なスピードで食べ終えて、棒をさっきと同じごみ箱に入れるところまでひと足飛びに辿り着いた。

 ひと足飛び、それが許されるのは好物を素早く食べるときくらいなのかもしれない。


 いつもの帰宅路である裏通りに、お互いの自転車を押しながらまずは王子のほうから話す。

「俺はね、中町が想像しているよりもずっと子供だよ。自分で言うのもおかしいけれどこんな見た目だし、女性はそれなりに寄って来るけど、恋愛に関する人生経験なんて笑っちゃうほど足りていないんだよ」


 本人の美貌、体の一部と言っても過言ではないしなやかな物腰だけでは潜り抜けられない、それこそが恋愛の世界であることは、姫王子の言葉の端々や、王子や姫でさえ苦心している事実から、俺自身には美しさなど携わっていなくとも、近頃は骨身に染みて分かるようになっていた。

「俺なんか恋愛の真似事をしているつもりで、誰のことも好きじゃなかったんだ。恋愛感情がないって気付いちゃった以上、俺は子供どころか赤ちゃん以下だろ」


「だからこそ、その中町に、これからのことを一緒に考えて欲しいんだ」

 自嘲気味に俺は役には立たないぞと主張したつもりの自分に、王子から協力要請のような言葉を掛けられ、予想をしない会話のテンポに戸惑う。王子は続けた。


「多分だけど、恋愛の世界は、子供からいきなり大人になって、好きな相手に好いて貰えるような場所じゃないと思うんだ。振られることもあるだろうし、諦めないでまた告白して少しは相手にして貰えたり、運が悪ければそのまま弄ばれたりすることもあると思う」

 ひと足飛びは辞める、王子の宣言だと思った。


「子供レベルのアプローチも、取り返しのつかない大失敗も、俺が一緒だったら耐えられるってことだろ?」

 あまり格好のつかない台詞は王子には言わせまい。

 先んじて偉そうに発した言葉に、いつもより更に柔らかい王子の笑みが返って来た。

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