第16話 スーパーに百合の花は咲くか

 男性を恋愛対象としている女性が、ある日突然、女性を好きになってしまうことというのは、実際のところありうるものなのだろうか。

 突然でなくとも良い。今まで異性しか恋愛対象として見ていなかった女性が、だんだんに同性である女性に思慕の情を抱いてしまうことは、無きにしも非ずなのであろうか。


 性別を逆にしても構わない。

 男性が、同性というだけで恋人候補から当然のように外していた男性を意識し始める場合もあるのだろうか。


 俺は自分に恋愛感情がないことを自覚し始めてから、逆に「恋愛」というものの在りように強く興味を覚えていた。


 同性が同性を好きになる可能性、これについて考える発端となったのは、言うまでもなく1階・化粧品総合レジの姫王子こと、上遠野かとうのさんと親しく話すようになってからだ。

 上遠野さんは、身体的には女性である。そして、同じく身体的に女性の3階・エスニック雑貨店の姫こと、三津谷さんに恋をしている。


 身体的に、という言い回しをわざわざ使うのは、姫王子曰く、心の性別が「両性」、自分の心の中には男と女が共存している、とのことだったからだ。

 姫王子が男として姫を好いているのか、女として恋しているのか、俺には分からない。

 もしかしたら、姫王子本人も知るところではないのかもしれなかったが、仮に思い人である姫に恋人になって欲しいと告げたら、姫は同性に告白されたと認識するだろう。


 姫は恐らくではあるが、男性のみを恋愛対象としていることと思う。男である俺に告白もしてくれた。

 振ってしまった手前、頭の中を整理するための材料にするのは申し訳ない気持ちにもなるが、多数派である異性愛者なのだろうと考える。

 姫王子がいかに凛々しく、スカートの制服を着ていてさえ男装の麗人のような空気感を纏い、沢山の女性ファンを従えていても、姫を振り向かせるのは至難の業のように思われた。


 友人の1階・靴屋の王子こと香田は、誰が誰を好きになるのも、誰のことも好きにならないのも「自然なこと、充分にありうること」だと言っていた。

 これは俺が、恋愛感情を持ち合わせていないのは異常なことなのではないかとの考えに苛まれていたので、慮り掛けてくれた言葉である。


 俺は王子に幸せになって欲しかった。

 浮世離れしたロマンチストで、お伽の国から来たかのような美しい友人が、現実のこの世界で出会った、あだ名こそ姫ではあるが商売上手でリアリストの三津谷さんと上手くいってくれたら、心の底から祝福できると思う。


 俺には恋愛感情がないから、代わりに自分の分も上乗せして幸せになって欲しいのかもしれない。勝手な話だが、未知の幸せは真に信頼出来る者にこそ代わりに味わって欲しくなるものだ。


 姫王子のことも、先日スーパーの閉店後に夕食を共にし、お互いの秘密をカミングアウトし合ってからは、職場が同じだけの仲間という枠に収まらない、年上の友人のように思えていた。

 姫王子の心の性別が百パーセントの女性ではないこと、姫のことを好きであることは、絶対の秘密にする約束は取り交わしていなかったが、勿論誰にも話していない。


 最も王子は、姫王子が姫のことを好きであると確信しているようである。

 しかし直接姫王子本人の口から確証を得たことは黙っておきたかった。王子には余分な心労が掛からないままに、姫との距離を縮めて欲しい。

 いくら見た目が女性でもおおらかで頼り甲斐のある姫王子と思い人が同じであるというのは、センシティブな王子には充分な圧なのではないか。



 9月も下旬に入り、夏が最後の力を振り絞っているかのような暑い日と、秋が温度差で人間達を戸惑わせ楽しんでいるかのような涼しい日が入り乱れるようになった。


 昼過ぎからシフトに入ったある日、5階・本屋の女性書店員さんと社食で一緒になったので、長テーブルの向かい合わせに座り昼食を取りつつ、顔見知り同士無難な会話をしていた。

「この時期になるともう、年賀状用のデータ付きの雑誌がどんどん出るんですよ。びっくりですよね」

 売り場の展開をするにもまだ需要のピークが来ていないので苦労します、と胃を満たす食事の手を一旦止めて、コンタクト用の目薬で、目にも水分と栄養を満たす作業を挟みながら彼女は言う。


「この時期から来年の干支の絵が表紙になった本に囲まれてちゃ、季節の感覚も狂っちゃいますね」

 俺も平凡ではあろうが思ったままの言葉を返した。

 器用に目の周りの化粧を避けながら、目の中だけに目薬を流し込んだ書店員さんが俺に問う。

「ていうか中町さん、職場関係の人に年賀状って出します? 前の職場は連絡用とか言って、店長からバイトまで住所と電話番号とメアドを共有させられてたんですよ」

 住所知ってるってなると、年賀状出したほうがいいのかなって思っちゃって面倒でしたねえ、と気苦労のあった思い出話をしてくれた。


 幸いにも今彼女が働くこの大型スーパー・5階の本屋では、そのようなプライバシーに関わる情報の共有は過度ではないそうで、非常に楽な気分だそうだ。

 俺の働いている6階・生活日用品売り場でも、急病で欠員が出る等、緊急時のため電話番号を上司が把握しているくらいのものである。


 お互い定食などを平らげ、ぼんやりとお茶を飲むなどして会話が途切れ、1人の時間を過ごし始めたときに思った。

 そう言えば、仲の良い男子バイト仲間でさえも具体的な居住区は知らない。市内のバスを利用しているとか、隣町から電車で来ているとか、さらりと耳にしたことがあるくらいだ。家がどこにあるかまで知っている相手は、俺のアパートのすぐ傍に住んでいる王子くらいのものである。


 俺の心を読むかのように、お喋りずきの7階・百均ショップの双子の姉が、空いていた俺の隣の席にやって来て、今までずっとここにいたのかと疑うほどスムーズに会話を持ち掛けて来た。

「おつかれさまでーす。中町さんって自転車で大学方面から通ってるんでしたっけ」

 昼食のトレイに炒飯と炭酸飲料の缶を載せて、いただきまーすと声に出しながら、あっという間にその場に馴染む。

 いつもながら双子の会話に対する臭覚には感心させられる。同時に勘の良い話題の振り方とテンポの早さは、俺には若干のホラーを想起させるほどだ。


 自転車だし大学の近所だよと返事をし、今日はいつも一緒にいる双子の妹はどうしたのかと、逆に質問してみる。

「妹は今日は短大のほうが忙しいから休みっす」

 答えた姉はフリーターで、妹のほうは短大生のため、シフトに入る時間や頻度は多少違うらしかった。


「うちら家が超近所で、表通りを通って歩いて帰るんすけど、最近いつも、バス停で姫王子と姫が一緒にバス待ってるのを見るんですよ」

 レトロな少女漫画みたいな光景で、目の保養ってこれだ! って感じっすと、やや想像力というか妄想に長けた感想を述べて、はす向かいに座ってコンタクト用の目薬をテーブルに置いている書店員さんにも、見たら綺麗過ぎて視力が上がっちゃうかもしれませんよと、おどけて話し掛けている。


「分かるなあ、女子校の上級生のお姉様と後輩の妹みたいな漫画にありそう」

 背景に百合の花が描いてあるようなやつ、と書店員さんまで乗り気な様子で相槌を打つので、だんだん俺の思考が追い付かなくなって来た。


 思考が追い付かないのは、姫王子と姫の距離が、俺も王子も知らない間に縮まっている、その事実に心底驚いていたからだ。

 当事者でもない俺が、不思議とショックを受けていた。














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