第13話 姫王子は絹をさらう
一瞬の半分の半分くらいの間に、考えうる限りのありとあらゆる「理由」が頭の中を駆け巡る。
なぜ姫王子は、俺が3階・エスニック雑貨店の姫こと三津谷さんに告白され、振ったことを知っているのか、その「理由」である。
姫から直接話を聞いたから? 2人はそこまで親しい仲だっただろうか。
人づてに噂話として姫王子まで伝わったから? 姫が職場の仲間に話すとは思えないし、スーパー内の人々に拡散されて姫も俺も嬉しいような事柄ではない。
偶然3階に用事があった姫王子に目撃されたから? そもそも大きな声で話してはいなかったので会話の内容までは聞こえないだろう。
姫王子が姫のことを好きだから。
姫の視線の先に俺がいたことに気付いていたから。
姫のことならちょっとした変化でもすぐに気付けたから。
これなら充分あり得るという理由に辿り着いてしまい、飲もうとしていたお冷やのコップを自分の意思に関係なくゆるゆると力なくテーブルの上に戻してしまった。
「当たった?」
俺に姫を振ったかと質問した姫王子は、答えがイエスだとほぼ確信したのだろう。
曲線よりは直線に近い凛々しい眉が少しだけおどけたように額に寄る。
おどける素振りをしながらも睫毛のしっかりとした大きな目は、突然の問いかけを詫びているのか愁いのあるまばたきを見せていた。
「はい」
短く返事をするのが俺の精一杯だった。
返事をするよりこちらから聞きたいことが山ほどあり、しかしそのどれもがプライベートに踏み込まざるを得ない内容ばかりで、口をつぐんでしまう。
姫王子こと
だから三津谷さんが普段誰を見ていたかも、三津谷さんの普段との違いにも気付くことが出来たのですか?
いくらなんでもたまに職場で会話する程度の相手に投げ掛ける問いではない。
「ごめんね、急にこんな話して。びっくりさせちゃっただろうし、困らせてしまったね」
口数の減った俺を心配するように姫王子は言った。
確かにびっくりはした。けれど不思議なことに困ってはいなかった。
こちらから切り出しづらい質問があることを除いてしまえば、「俺が姫を振った」という事実を姫王子に話すことは、外部に話の内容が漏れて姫に恥をかかせるような事態にならない限り、困る要素は一切なかった。
それに姫王子というあだ名は伊達ではない。言いふらすような品のない真似はしないだろうという信用があった。
「謝ることないですよ、ちょっと驚いただけっていうか。なんでご存知なのかなって」
知りうる限り彼女は誠実な人間だ。出来るだけ正直に会話を連ねていきたい。
そう思ったら、急に自然な言葉が出た。自分の顔の筋肉が緩むのも感じて、我がことながら安心した。
「良かった。嫌な気持ちにさせたらどうしようって、私も思ってたんだ」
やはり姫王子は気配りを忘れていない。
二人共が連続でほっとした表情になったので、テーブルを囲む空気がぐっと柔らかいものになった。
気付けば俺も普通にお冷やを飲んでいる。
「こないだ、三津谷さんに1日会わないだけで、なんとなく雰囲気変わってたから、何かあったんだなって思ったのね」
終業直前の売り上げ精算のときのことか、と思い当たった。姫王子は、メイクを少し変えたかというようなことを姫に話しかけていた。
「なんて言うか、誰かに見せたい! っていう感じのお化粧を、三津谷さんはいつもしてたと思うのね。それがその日に限っては、外に出るならこれくらいでいいかなあ、っていう類いのお化粧に見えたの」
俺の疑問はそれが女性同士、メイクに詳しい者ゆえの観察眼なのか、そうではない理由なのか、そこである。
だが、一つひとつ焦らずに話を聞いていこうと思った。真摯な相手には真摯に対応したい。
「で、ああ、好きな人に振られちゃったときのあの感じだ、お化粧が違うのもなんとなく表情に元気がないのもそれだ、って」
あの感じ、という姫王子の言葉選びに、姫王子ほどの人でも振られた経験があるのか、と美しいだけでは全てが上手くはいかない現実を見せられた気がした。
友人である靴屋の王子ですら、姫に思いを届けられずにいるのだ。
美しさは万能ではないことを、美しい人達から立て続けに教えられるのは切ないものがあった。
「三津谷さんが中町くんのことを好きなのは、私が勝手にそう思っていたことなんだけどね」
直接姫から話すほど親交が深いようには俺にも見えなかったので、それは納得できる。
「というか、確信してたの。いつも三津谷さんは中町くんを見てたから」
流れるようなナチュラルな姫王子の話しぶりに、俺の最初の頃の緊張感もすっかり吹き飛んで、聞き入った。
長い会話はしたことのない相手だったが、この人とは仲良くなれるんじゃないか、という予感があるとき独特の心地良さがある。
「中町くんを意識している三津谷さんのことが私は好きで、いつも三津谷さんを見ていたから気付いちゃったの」
店員さんが近付いて来て、お待たせしました、と姫王子の前にグラスビールを置き、続けて、セットのスープとサラダ、ドリンクになります、と2人の前に配膳した。
したと思う。
さらりとした手触りの絹か何かが右から左へスッと目の前を通り、鼻の先をかすって、また視界が開けたような気分だった。
今の絹のようなものはなんだったのか? と思っているうちに、テーブルに暖かい玉ねぎの香りのスープと、鮮やかな緑黄色野菜の入った小さめのボウル、冷たい飲み物が並んでいたという寸法だ。
「それで、三津谷さん、中町くんに振られちゃったんだなあと思ったわけです」
話が長くなっちゃったね、食べよう、と姫王子に微笑まれてようやくハッと現実に戻ることが出来た。
「あ、上遠野さんは三津谷さんのことが好きなんですね」
自分の口から出て来た言葉に、もう少し大きく反応してみせても許される場面じゃないのか、と突っ込みたくもなった。
けれども、恋愛対象として三津谷さんを好きってことですよね、とわざわざ確認するまでもない話の流れだった。
姫王子の自己開示があまりにもさりげなくて、言われたそのままを噛み砕いて心に収めてしまった。
「あれ、中町くん意外とびっくりしないね」
姫王子がビールのグラスに手を伸ばしながら笑っている。
「私も三津谷さんも女性だから、もっとびっくりしてもいいんだよ」
大きなリアクションを姫王子本人に許可される始末だ。
「とりあえず、乾杯の真似事でもしましょう。お仕事おつかれさまでした」
俺は全く関係ない台詞と共に、自分のコーラを姫王子のビールのグラスに近付けて、カチッと小さな音を鳴らした。
「おつかれさまでした!」
姫王子はアルコールが入る前なのに、既にとても楽しそうで、この場を面白がっている。
「びっくりしなかったわけじゃないんですけど、上遠野さん、凄く普通のことみたいに話すし、確かに普通にあることかもな、ありそうだって思って」
上手く伝えられたかは分からない。けれども嘘偽りはない、本心を伝えたつもりだ。
聞いてみたかった疑問の答えは、ほとんど全て予想の通りだった、それだけのことだ。
この間、自分に恋愛感情がないことに気付き、異常なことだろうかと考えあぐねたとき、王子からそれは自然なことだ、そういうことはあると思う、と言われた。
それは姫王子が同性である姫に恋をしていることにも当てはまるのではないだろうか?
自然なこと。
そういうことはあるものはあるのだ。
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