第12話 招待状は姫王子から
美容院でこざっぱりとした髪にして貰った翌日は、夕方からシフトに入った。
従業員用の入口で警備員さんに、おはようございますと挨拶すると、普段であればそれとなく頭が仕事モードに切り替わるのだが、職場で恋愛事を繰り広げている王族3人の顔が頭に浮かんでしまい、今日に限っては逆効果だった。
「
昨日聞いた男性美容師さんの、スーパーの利用客としての意見だ。
「上遠野さんは三津谷さんのことが好きだ、絶対に間違いない」
これは王子の弁だ。
あくまで主観ではあるが、同じ姫こと三津谷さんに恋をしている王子が真面目に導き出した答えだった。
「本当はずっと短い髪にしたかった」
これは髪を切ったときに上遠野さんが俺に直接話してくれたことである。
髪の長い男性も勿論いるが、ロングヘアの上遠野さんのイメージはプリンセス的なものだった。姫王子がニックネームとなったことからも、マニッシュな変化であり、本人もそれを望んでいたと受け取れるだろう。
トータルすると上遠野さんは女性の外見でありながら、どちらかと言うと男性寄りの心の持ち主なのではないかと結論付けたくもなるが、あまりに短絡的で、引っ掛かりのようなものを感じる。
あいにく俺は心と体の性別の不一致については詳しくないし、恋愛対象が異性か同性かなどという話題には首を突っ込める立場にないように思えて仕方がない。何しろ俺には恋愛感情というもの自体がないようなのだから。
考え事をしていてもハッと気付くとやるべき仕事が終わっていたときのちょっとした恐怖と言ったらない。
積み上げられていたはずの品出しすべき詰め替え用消臭スプレー剤のダンボールは空になり、畳んで紐で縛られている。欠品チェック用の書類には必要な箇所に記入がされて俺のシャチハタが押してある。
習慣が染み付いていると言えばそれまでなのだが、記憶がないのに自分の体が動いていた証拠が目前に突き付けられたので、ミスがあったわけでもないのにひやりとした。
人間関係について根を詰めて考え過ぎなのではないか、と自分のメンタルが心配になる。
夕方からの出勤でも短時間の休憩が貰えるので一息入れることに決めた。同じ売り場の社員さんに許可を取り9階の社食に向かった。
ラップに包まれた混ぜご飯のおにぎりを買い、サービスのほうじ茶と一緒に両の手に持って窓側の席を選ぶ。
市内の景色を見渡せるガラスになんとなく目をやると、晩夏の夕暮れ以外に女性がこちらを覗き込む姿が映って見えた。
他でもない上遠野さんである。
ガラス越しに俺と目を合わせ、にこりとしている。
口に出して噂をしなくても、頭の中で考えるだけで「影が射す」ものなのか。
「おつかれさまです、相席いいですか?」
姫王子は紅茶の缶を持ち、相手に極力壁を感じさせまいとする穏和なトーンで俺に声を掛けた。
びっくりしたが、俺もガラスに映る姫王子ではなく、凛とした実体を持つほうの姫王子に、おつかれさまです、どうぞ、と挨拶を返し席を勧める。
他に空いている席もあるのになぜだ、と思った瞬間、見透かすかのように姫王子は言葉を紡ぐ。
「突然ごめんね、驚かせちゃったかもね」
全く話さない仲ではないが、休憩時間を共に過ごすのは初めてだった。
「今日、靴屋の王子くんは休みなんだね」
王子は連続勤務が昨日まで6日間続いていたので、今日は久々の休日であると聞いていた。
上遠野さんは王子の働く靴屋と同じ1階にいるので、彼がいないことに気付いたのだろう。
「あー、連勤だったみたいなんで、今日はごろごろしてるんじゃないですかね」
単なる世間話であろう。しかし王子と同じく、3階・エスニック雑貨店の姫に恋していると目される姫王子から直に王子の話をされると、しどろもどろになる。
特に俺の挙動を気に掛ける様子もなく、姫王子は言った。
「じゃあさ、今日は帰り1人? だいたいは王子と帰ってるっぽいから。もし暇だったら、仕事終わってから軽くご飯食べに行かない?」
今食べてるおにぎりはおやつだよね? 奢るよー、とすらすら話す姫王子を前に、呆気に取られてしまった。
なぜ俺と夕食を共にしようと思ったのか計りかねる。疑問の大きさに強張った顔になっていたせいか、姫王子に気を遣わせてしまったようだった。
「勿論、無理にとは言わないよ」
定型句のような台詞ではなく、心から俺を圧迫しないよう慎重に話してくれているのが、彫りの深い顔立ち全体の表情と、潤いを湛えた大きな瞳から読み取れた。
「奢りじゃなくて大丈夫です、ご一緒します」
王族が纏う空気以上の何かに力負けしたのと、姫王子の思い遣りに触れて悪い誘いではないと感じたのと半々といったところだろうか。
閉店後にまさかの会食が決定してしまった。
全ての業務が終わってタイムカードを押し、自転車を取りに行き、裏通りに出る。
裏道の駐輪場の出口辺りにいるね、と言っていた私服姿の姫王子がお出迎えしてくれた。
「おつかれさまでした。私はバスだから飲めるけど、自転車だと飲酒運転になっちゃうんだよね? お酒を頼まなくてもいいお店に行こうか」
なんともスムーズなエスコートである。姫王子ファンの女性達に見られたら、なんでお前がそのような良い目に遭っているのか、と責められそうだと思った。
「お待たせしました、おつかれさまです。お気遣いありがとうございます」
上遠野さんは飲んで頂いて全く問題ありませんよ、と付け加えながら、近隣の居酒屋街に向かった。
スーパーの外で見る上遠野さんは、いつもとまた違う新鮮な魅力があった。背は高いがむしろ体型そのものは女性の理想的な曲線を描いている。そこに私服のパンツルックと短い髪、伸びた背筋が揃い、自由を謳歌する「姫王子」然としている。
ひとしきりアルコールを摂取した帰り道であろうスーツ姿の男性やオフィスカジュアルの女性とすれ違うと、美しさに促されるかのように彼らが振り返ってしまうのも無理はない。
「ここだったらお酒を頼んでも頼まなくても大丈夫。来たことあるかなあ。ハンバーグとかも美味しいし、カレーとかもあるよ」
3階建てのビルの前まで来たところで、2階にある洋食屋風の看板を指して姫王子は言った。
「来たことないですけど、ハンバーグもカレーも好物です」
答えながら、邪魔にならないよう自転車を隅に停め、ビルの細い階段を上った。
店員さんに席を案内して貰い、テーブルの上のメニューを見る。ハンバーグにライスかパン、小さめのサラダにスープとドリンクの付くディナーセットがお手頃だったので、それに決めた。
姫王子は同じディナーセットに加えて、お言葉に甘えて1杯だけ、とグラスビールを注文した。
店員さんがお冷やを出しメニューを下げたタイミングで、なぜ俺を誘ってくれたんですか、と言い掛けたのと全く同時に、なんでご飯に誘ったかと言うとね、と姫王子も喋り出したので、なんだか笑ってしまった。
この会食に多少の違和感や緊張感を抱いていたのはお互い様だったんだな、と理解し、空気も柔らかになる。
心の芯から笑い合いつつ、上遠野さんからどうぞ、と会話の先手を譲った。ありがとうと姫王子が口を開く。
「中町くん、三津谷さんのこと振ったでしょう」
お冷やを口に含む直前で良かった。危うく派手にむせるところだった。
大型スーパーの王族は皆、俺を驚かせるのが上手くて困る。
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