第7話 王子は王子を辞められない

「おつかれさま」

 スーパーの閉店後、夜の駐輪場で俺に向けての柔らかい労いの言葉が静かに響く。

 王子の働く靴屋ほうが、俺の生活日用品レジより売り上げ金の精算作業が早く終わったので、外で待ち合わせた。


「おつかれ。姫、今日はシフト入ってなかったっぽいね」

 出しづらい話題ではあったが一切触れないのも不自然かと思い、俺から敢えて切り出す。また、それを失恋したばかりの王子にさせるのは避けたいとも思っていた。


 王子の思い人、3階・エスニック雑貨屋の「姫」と呼ばれる女性。

 休憩中や、バックヤードの階段やエレベーターでも遭遇せず、一番顔を合わせる確率の高い、経理室のある9階に全フロアの者が一斉に集まる帰りのレジ上げでも姿を見かけることはなかった。

 もし、昨日俺に振られたことでバイトに行きづらくなり急遽欠勤したのだったら? との考えが頭をかすめたが、知る限り私的な気分で休むような人物ではないので、元々バイトを入れていなかったのだろう。


 自転車のチェーンを外しながら王子も言う。

「うん、見なかったね。でも今日会ってたら俺、挙動不審になっていたかも。三津谷さんは俺に好かれているとか知らないだろうから怪しまれそうだし、助かった」


 正直、姫こと三津谷さんは王子の気持ちに全く気付いていないわけではないのではないか、と俺は考えていた。

 恋愛対象にされやすい「もてる」人間の好かれることについての経験値は並々ならないものなのではないか?


「そういうもん? 王子だってもてるじゃん。もててるうちに、この人は俺のことが好きなのかなって分かるようになったりするもんじゃないの?」

 同じ「もてる」側の実体験として、王子も自分への好意の顕れに触れることは日常茶飯事のはずである。


「うん、分かるときもあるよ。ぶっきらぼうな人とかでも、嫌われてるわけじゃなくて、好いてくれていて緊張しちゃってるのかなあとか、なんとなく分かる」

 もてていることを否定しないところが王子らしくて気持ちが良い。親しい間柄では無駄な謙遜をしないところは王子の長所の一つだ。

「でも、逆に俺のことを好きじゃない人のことは分からない。だから気になる。好きになる」


 自転車を押しながら帰路である商店街の裏通りに出ようとしていた。心なしか王子の歩みが遅れ出したので、話題を変えようと思った矢先、王子がもう一言付け加えた。

「けど、そういう何も分からない相手なのに、目の端にでも入りさえすれば、好かれないとも限らないって思ってしまっていたんだよね。思い上がりだね」

 正直である。

 俺は彼のそういうところが好きだ。純粋培養の王子という風情だ。


 王子の目が笑ったので、相手の態度に合わせるわけではなく完全な俺の意思によって話を変えた。

 自転車をお互いゆったりと漕ぎ出す。

「ところでさ、昨日俺に彼女作らないのみたいなこと言ったじゃん? 俺しばらくそのこと考えてたんだよね」

 俺の言葉に、軽く首を傾げるような頷くような仕草で王子は相槌を打つ。


「俺、もしかしたら誰のことも好きにならない人間かもしれない」


 割と重要な自己分析を打ち明けたつもりだったが聞き手である王子は、あらまあ、くらいの顔をしている。

 拍子抜けしたが、俺は話を続ける。

「今まで好きになったと思ってた人達も、別に恋愛感情としての好きじゃなかったのかも。興味を引かれただけっていうか。友達になれたら充分だったっていうか、恋人が欲しいわけじゃなくてっていうか……」

 自分の中では一大事のように昨晩から考え続けていたが、いざ王子相手に告げてみると特に大袈裟な反応もなく、思わずこちらの語尾がどんどん曖昧に、声も小さくなっていく。


 王子は自信なさげな俺にいつもよりきりっとした語調で言葉を返した。

「そういうこと、あると思うよ。だって女子を好きな男子は、恋人が欲しくても同性のことは好きにならないわけでしょ。何かきっかけがあってある日突然、男子の恋人が欲しいってなるかもしれないけれど」


 生ぬるい晩夏の夜を風を切って走る。緩やかなスピードでも心地が良い。

「男子を好きな女子だって同じ。女子で仲良くなりたい人がいても恋人になりたいわけじゃないでしょ。勿論これもいつか、やっぱり友達じゃなくて恋人になりたいって思う日が来るかもしれないけれど」


 外見は飴細工のような繊細さの彼であるが、その口からは力強い言葉が続く。

「中には男性女性関係なく恋人候補を見つける人だっている。きっと俺達が知らないだけで、身近にもいるんだろうなって俺は思ってる」

 一般論と言えばそうなのかもしれないが、彼自身の芯から湧き出ている言葉だと感じられた。

 大切なことを話している意志が伝わる。


「だから、誰が誰のことを好きになる可能性もあるように、誰のことも好きにならないのだって、俺は自然なことだと思うよ。」


 慰めでもなんでもない、彼の核が発している言葉だ。

 彼の言説に心を打たれたというより、彼の真摯さに感謝で胸がいっぱいになった。


「ありがとう」

 俺はやっと口を開くことが出来た。

「誰のことも好きにならないなんて、俺は異常なのかなって、考えてたんだ」


 今まで悠然としていた王子が焦ったように言った。

「ゆうべ俺が何気なしに聞いてしまったことで悩ませてしまって、ごめん、本当にごめん」

 そんなことはない、と無理はあったかもしれないが笑顔のつもりの顔で返した。


「中町。誰のことを好きになるのも、誰のことも好きにならないのも、なんの問題もないよ。それに、恋愛感情が含まれていなくたって、中町は人の良いところを見つけるのがとても得意だ。友達も多い。素晴らしいよ」

 彼は王子と呼ばれるに相応しい。


「それと、せっかく普段しない話をしたから白状してしまうと、俺は今みたいな容姿、自分で言うのもおかしいけれど、みんなが王子って呼んでくれるような容姿で、三津谷さんと付き合いたかったんだ」

 感動のようなものに酔いしれていた俺だが一転、失礼ながら少し驚いた。


「王子って言っても色々あるでしょ。例えば今日髪の毛を短くしてきた、上遠野かとうのさんとか」

 友人同士なんてそんなものだろうが、俺も上遠野さんにまつわる話をしようと考えていたので、彼女の名前が出て来たことにも驚いた。


「ショートの上遠野さんは頼りがいがありそうな王子様って感じに見えるけど、俺はそういうのじゃなくて、なんていうの? 透明感? 自分で言ってて本当におかしくなっちゃうんだけど、そういうののある王子が良かったんだ。その姿で三津谷さんと並んでみたかったんだ」

 平均的な男子大学生からしたらだいぶロマンティックな思考に見えるだろう。


 だが平均とか多数派とか、人の心の中の事象には無意味なんじゃないだろうか。


 王子の一連の話を聞いているうちに感化されたのは認めるが、それでも前から俺の中に隠れて埋まっていた主義主張、思想とも呼べるようなものの芽が、自覚できるくらいの心の表層までしっかりと伸びて姿を現しているのを感じた。


「でも、三津谷さんの好みは俺みたいな感じではなくて、中町みたいながっしりしていて包容力があるタイプってことなんだよね」

 王子の言葉で俺の心中は二転三転する。冷やひやしながら言葉を紡いだ。

「だけど彼氏はいないってことなんだろうし」

 急ごしらえではあるが、筋の通ったフォローが出来たと思う。


「そうだね。俺は俺の理想に合わせて、王子を辞めない。三津谷さんの理想に合わせないなんて傲慢だけど、それでも」






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