第6話 1階・化粧品総合レジの新王子
休憩を取る俺のテーブルの向かいで、畳み掛けるように百均ショップの双子姉妹はお喋りを続ける。
「1階のレジの人で、凄い美人がいるじゃないですかー」
妹がそう話すとすかさず姉が合いの手を入れる。
「
「そう上遠野さん。今日ロッカーで会ったらめっちゃ髪短くなっててびっくりした」
「中町さんもあれは見ておいたほうがいいっすよー、髪長くても美人だったけど、ショートの美人は迫力美人」
「イケメンの役者さんが坊主にすると異様に迫力出たりとかするじゃないっすかー、あれの女の人版!」
イケメン役者のくだりは俺にはいまいち実感のない例え話だし、俺に向けて話しているのか双子同士の他愛のない囀ずり合いなのか最早よく分からないが、後半敬語が崩れかけるほどの熱意を持って話してくれていることだけは伝わった。
上遠野さん。背が高い女性で準社員の年上の女性である。
美人で社員用の制服が似合いすぎるせいか、一見近付きにくいと感じる者も多いようだが、バイトを含め後輩に対する立ち居振舞いや指示する際の言い回しには威圧感がなく、一度話してしまえば仕事で分からないところがあったときなどには非常に質問しやすく頼りになる人物である。
普段は1階の化粧品などを扱う総合レジにいるようなので、6階の生活日用品売り場の俺とはそう滅多にやり取りはない。
けれども一度、閉店後のレジ上げで、精算レシートに記された一日の売り上げ金額の数字と、実際に手元にあるお札と小銭を足した金額が合わずに焦っていたとき、さりげなく声をかけてくれたことがある。
長すぎる巻物を丸めて太くしたような一日分の記録レシートを解いて、レジの打ち間違いを探してくれた。おかげで簡単なレジの打ちミスによる金額誤差で、お客さんとの金銭の授受に間違いはなかったことが分かり、俺は心からほっとした。
上遠野さんには何度も、ありがとうございます、一人じゃ解決出来なかったと思いますと頭を下げた。恩を着せるでもなく「良かったね」と一緒に喜ぶような優しい顔をして、次にやるべき業務に戻って行った。
スマートで親切な、アルバイトより偉い制服の人というイメージである。
「まあレジ上げのときに会ったら分かるだろうね」
そろそろ売り場に戻る時間が近付いていたので話を切り上げ、終業まで胃を保たすために食べた社食で売られている軽食用のおにぎりの包装と、無料のほうじ茶が入っていた紙コップを処分し、双子姉妹と別れて従業員専用の階段に向かった。
「はーい、おつかれさまっすー」
双子は雑な敬語までお揃いの朗らかな挨拶で俺を見送った。
9階から6階までの階段を下りる短い時間にふと考えていた。
こういった大型スーパーや通っている大学のような人間が沢山集まる場所では、なんでもないと思っていた会話の中に、早く知っておいて良かった事象や、後から思えば重大な出来事のきっかけとも言える事柄が、ときどき含まれていることがある。
多くの人と接することに億劫を感じず、好んで多人数の集まる場所に身を置く自分には、感覚的にではあるがそのような学びがあった。
さっきの双子との会話がそうだとは限らないけど。なんていうちょっとした思索をしているうちに、持ち場である6階の生活日用品売り場に着いた。
決まりとなっているバックヤードからフロアに戻る際の一礼をして、自分の庭に戻る。お賃金を稼ぐために庭師は庭に戻るのだ。
大型スーパー全フロアが閉店し、経理事務所のある9階で一斉に全てのレジから人が集まって売り上げ金の精算作業が始まると、さすがに賑やかである。
賑やかであると同時に、レジで金銭にまつわるミスがなかったかどうか、緊張感でピリピリする。みんなそのような問題事には関わらず早く帰りたい気持ちでいっぱいなので、尚更だ。
それでも今日は少し華やいだ雰囲気だ。
肩より長く伸ばしていた髪を耳が見えるくらいのショートにして出勤して来た上遠野さんに、1日の終わりのその場で顔を合わせた人々が、びっくりして直接声を掛けたり、美しさに感嘆の声を漏らしたり、これは若いバイトの女子がほとんどであるが嬌声に近い声色で「かっこいいー!」などと色めき立っているためだった。
なるほど双子がわざわざ俺に話すだけのことはある。
髪が短くなったことで元々目鼻がくっきりとしている美しい顔がますます際立ち、背が高いことも相まって、女性ばかりの歌劇団の男役を連想させた。
準社員である上遠野さんの女性用の制服はベストにタイトスカートであるが、服装の印象がふっ飛ぶくらいには「男装の麗人」という言葉がぴったりである。
最も労働の疲れが出る時間帯に、美しい人間に出会えば一瞬疲労を忘れる。双子の妹が言っていた、「疲れているときはきれいなものに触れると良い」理論はあながち間違いではなかったようだ。
バイトの女子の1人が本人に聞こえても構わないと言った調子で讃える。
「すごーい、王子様みたーい」
それを聞いた別の女子も嬉しそうに続ける。
「王子が2人になっちゃうじゃん!」
2人の王子。
上遠野さんともう1人は、言うまでもなく俺の友人の靴屋の王子である。
そちらの庶民ネームが香田のほうの王子には、何しろ昨日の今日であるし、出勤してさえいるなら帰り道に話したいことも沢山あったので、精算機が多数並ぶその部屋を見渡して姿を探した。
ちょうどレジ金を機械に入れて操作をしている様子が見えた。
こうして見ると、我が友人ながら靴屋の王子はどこか儚げで気品溢れる佇まいであり、翻って上遠野さんは力強さを感じる高潔な王子という印象である。
同じ王子と称される人にも色々あるんだなと少しぼうっとしていたら、俺の隣の空きスペースで書類の記入をしようとして移動してきた上遠野さんに出くわした。
「なんか髪の毛切っただけで大ごとになっちゃった気がするよ」
少々の照れの混じった困り顔で、上遠野さんは気さくに話し掛けてくる。
「おつかれさまです、髪型お似合いだと思いますよ」
俺も率直に感想を述べた。間近で見ても素敵だと思った。
「ありがとう、本当はずっとこういう髪にしたかったんだ。自分の好きな格好だけしていたいなあって」
好きな格好をするということについて、あまり制限を設けられたことのない自分は不思議そうな顔をしていたと思う。
「中町くんは自分に似合う好きな服装や髪型を楽しんでる感じがするよね。そういうのいいよね」
話しながらもすらすらと書類を書き終えた上遠野さんは「じゃあね、おつかれさま」と颯爽とした綺麗な歩き方で経理の窓口に向かって行った。
俺も自分の書くべき書類に記入をしたりシャチハタを押したりしながら考えた。
上遠野さんは自分の好きな格好を出来ない場面があるということなのだろうか。
長かった髪も自分の意思ではなく、もしかしたら周りの希望するイメージに添っていただけだったのかもしれない。
実際、ロングヘアだった頃の上遠野さんの美しさは、種類分けするならテレビに出てくるエレガントな女優さんを連想させるものであったと思うし、男性社員や男子バイトの中にはそちらのほうが好みだったという者もいるであろう。
好きな格好、好きな振る舞いって周りが知らないだけで、出来ている人間とそうでない人間がいるんだろうな。
ごく親しいほうの王子に持ち掛けたい話題が増えてしまった。
アウトプットしないとパンクしそうだよ、と帰り道に先んじて心の中で訴えかけた。
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