第4話 嫌な奴はどこだ誰だどのレジだ

 無骨さのない柔らかな容姿と物腰で大型スーパーの1階・靴屋の売れっ子バイトとして、通り名が「王子」になるほどの彼であったが、さすがに普段からほぼ会話のない、3階・エスニック雑貨店の通称「姫」が、自分に恋愛感情を向けている可能性は低いと考えていたようだ。


 しかし姫の思い人が俺であるという発想は毛頭なく、そのような事実は青天の霹靂であり、平たく言ってしまえば、姫の恋愛対象である確率が高いのはむしろ王子自身のほうであるのでは? と、漠然と考えていたらしい。


 実に正直なものである。

 呆気に取られた。素直過ぎて全く嫌な気持ちにならなかった。


 姫に付き合って欲しいと告げられ、同じ商業ビルで働く同年代としての好感は持っているものの、お付き合いする気持ちは持てない俺は、その場で丁寧にお断りをさせて貰った。分不相応であることは承知の上である。


 しかし親しい友人である王子の思い人に告白されたところで困惑するしかないし、不思議とこちらには少々嫌な気持ちにすらなった。


 男性に好まれがちな風貌と立ち居振舞いにいくらか自覚があったと仮定しても、きっと緊張し勇気を出して好意を伝えてくれたのであろう相手そっちのけで気分を害している自分にも、嫌な気持ちになった。


 更に言えばそんな自分が偽善的に感じられて、ますます嫌な気持ちになっていた。

「偽善者の自覚があります」と反省の先回りをして自分の性根は悪くないことを証明しようとしている薄暗い思考回路もじわじわと判明してくる。

 俺は俺が思っているほど良い奴ではなかったんだな。嫌な気持ちだ。

 姫と相対した休憩が終わり6階・生活日用品売り場に戻っても、思考の連鎖が止まらない。

 所謂落ちもののパズルゲームだったら「嫌な気持ちのピース」が次々降って来る中、見事に連鎖が連鎖を呼んで大勝利を収めてしまいそうだった。


 休憩中に姫に告白されたこと。

 振ったこと。

 理由は恋愛の対象外であること。

 話を3点にまとめて、その日のうちに素早く王子に話した。


 バイト帰りの夜は自転車で共に帰宅するのが習慣になっていたので、従業員用の駐輪場に設置してあるアイスクリームの自販機で、王子が好きでときどき買っている、甘さがくどそうではあるが終業後の疲労は取れるのかもしれないフレーバーを購入して、懺悔のつもりで押し付けてから報告した。

 なぜだか奢られた棒付きチョコチップ入りチョコアイスを受け取り、その場で食べ切るでもなく好物片手に自転車を漕ぎ出したので、こちらも自転車にまたがって話を切り出す。


 神妙に語ったつもりでも何しろ話の骨子はたった3点だ。1分もかからず自転車を止めてリアクションを取らせるはめになってしまった。アイス片手のながら運転を阻止できたことだけは、職場も閉店している21時過ぎではあったがお天道様に誉めて欲しい。


 ブレーキが掴まれたキュッという音と、「はあ?」という王子にしては大きめの声が、商店街の裏通りに軽く響く。

 この時間ならまだ通っているバスを利用するため表通りに向かうか、駐輪場とは離れた出口から車で退勤する従業員が多数派で良かった。訓練された王族のごとき静かでも聞き取りやすい口調の彼の、珍しい素っ頓狂な発声を聞かせずに済んだ。


 茫然として自転車を止めている王子と、今日ばかりは出来るだけ彼の精神と行動に歩調を合わせようと思っていた俺は、しばしの間夜道に佇んでしまった。

 沈黙の中、唐突とも取れる大きな一口でアイスを片付た王子が、おもむろにペダルを動かし始める。俺の脚とペダルもそれに倣った。


「俺が三津谷さんのこと好きなのは知っていたでしょ」

 うん、と答えた。

 王子は姫のことを本名でしか呼ばない。

 君を可愛いと思っているしあだ名で姫と呼んでしまうくらいには親しくなりたいんだよ、という態度でちやほやする男達は大勢いたが、スタンスが違うのだ。陳腐な言い方だが、王子は本気だったのだ。

 本当の姫のように思える相手に軽々しく姫と話し掛けはしない。簡単なことだ。だから俺にも王子から姫への好意に気付くことが出来た。真剣であることを理解するのも容易だった。


「他に好きな人がいたり、恋人だっているかもしれないとは思っていたけれど、中町のことを好きだとは全然思わなかった。びっくりした」

 こちらもその正直さにはびっくりである。些か俺に失礼な発言である可能性はないだろうか? 笑いそうにさえなった。

 だが、言われなくとも俺が女性に嫌悪感を与えるタイプだと捉えているわけではないことくらいは分かっていたので、素直で王子らしいと思った。


「あ、中町がもてないとか勿論そういうことではないよ。付き合っている人はいないけど、女の人に告白されたりもしてるでしょ」

 俺が考えていたことをだいたいそのままフォローしてきた。

「でも中町のことが好きだとは思わなかったなあ」


 さらりとした髪が数束かかる眉と眉が寄せられる。悲しい顔をしている。それはそうだろう。

「三津谷さんとはあまり直接話せないでいたけれど、好きになって貰えてることもあるかもしれないって思ってた」

 ポジティブだ。王子と呼ばれる人間にしか言えないかもしれない。けれども俺にも疑問はあった。


「まあお前ならそういうこともあるだろうよ。でも俺と、姫ってか三津谷さんが話してるのは見たことあるだろ。そのときになんか態度が違うとか、そういうのなかったの? 俺本人は分かんなかったけどさ」

 見つめる機会があれば相手の一挙手一投足を観察してしまうものではないのだろうか。姫に普段と異なる挙動や知らない表情があれば、一番に気付きを得るのは王子ではないのか?


「分からなかったね」

 澄んだ瞳が悔いているのが、お互いゆっくりとではあるが自転車を走らせていても察せられた。食べ終えたアイスのプラスチック棒をハンドルと一緒に強く握っている。きっと手には棒の縁や窪みと同じ形の跡がついてしまっているだろう。


 王子はあまり過去の恋愛の話をしなかったが、様々な女性が次々に彼を好いても、気持ちが届くことはほとんどなかったのかもしれない。

 そして彼自身が誰かを好きになったとき、直に働きかけなくてもこれまで当たり前に好かれて来た経験が邪魔をして、日頃の折り目正しい行いも柔和な仕草や表情も、儚いとも気高いとも取れる容姿も、思い人の目に自然と映り込んで評価される可能性に賭けてしまっていたのではないか。


「見ていたはずだったのにね。なんで気付かなかったんだろう」

 見ているだけでなく話して触れ合えば良かったのではないか。

「無知だったね」と言葉を続ける彼は、王子であるゆえに好きな相手と結ばれる機会を逸しているのかもしれない。


 それにしても王子が予想外に堂々と失恋の経緯と今の心境を俺相手にアウトプットしたのには驚いた。

 日頃から親しき仲にも礼儀ありとばかりに人とは心の距離を取りつつ、相手の身も自分の身も守っているように思っていたからだ。

 今回の件でもっと距離を取られてもおかしくはないと覚悟していたので、彼の核に近付けたような嬉しい心持ちになった。

 空気を読まずに多少の笑顔を浮かべていたであろう俺に、王子はいつもの飄々とした伸びやかな話しつきで問いかけた。


「それはそうと、どうして中町は誰とも付き合わないの? 友達もいっぱいいて人付き合いは好きなのに、恋愛はしないの?」

 質の違う驚きを連続でぶつけられるとは思わなかった。


 本当だ。

 俺は俺のことに無知だったようだ。

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