その7:ラブホテル

 気付いたら夜になってた。


 あたしたちは、隣町に辿り着いてはいなかった。


「ちょっとはしゃぎすぎちゃったね」あたしは言った。「めっちゃ楽しかった!」


「うん」明科さんは言った。「広丘さんめっちゃ歌上手くてビビった」


「ふふーん」あたしは無い胸を張る。「これがギャップ萌え? という? やつですよ!」


「ふーん」明科さんは興味無さげだ。「広丘さんは上手く実態が掴めないからギャップも何も無いと思う」


「実態って?」あたしは釈然としなさを感じながら訊く。


「アホっぽく振る舞ってるの、全部嘘だって言われても信じる」


「アホっぽくない!」


 え、なんで急にディスられてんのってあたしはびっくりする。


「そこがかわいいんだよぉ~」


 って、明科さんはあたしの頭をよしよししながらめっちゃイイ笑顔で言う。


「えへへ~」


「うん、アホっぽい」


「アホっぽくない!!」


 答えて、あたしはげらげら笑う。明科さんもげらげら笑う。あたしたちは楽しく歩いてる。


「けど、これ隣町、結構遠くない?」


「いや」明科さんは答える。「そろそろ隣町に入ってる頃だとは思う」


「でも何も無いよ?」


 見渡す限りの田んぼ。稲の収穫も終わって、なんか寂しいっぽい田んぼのなごりみたいな田んぼが、あたしたちを取り囲んでいる。


「あるよ」明科さんは指さす。なんか、めっちゃ光ってるお城みたいなやつが向こうに見える。「ラブホテル」


「ラブホテル」あたしはオウム返しする。


「今夜はあそこに泊まろう」明科さんはめっちゃ普通に言う。


「え」あたしはびっくりする。「今夜はあそこに泊まるの」びっくりしてオウム返しする。


「何か問題が?」


「でもラブホ」あたしはカタコトみたいな感じに言う。「ラブホテル」


「うん」


「うん」


「重要なのはホテルの方だよ」


「でもラブだよ?」


 ぎゅって、明科さんはいきなりあたしに抱き付いてくる。「ラブじゃん」


「ラブだ」あたしはホント!? って思ってるけど言う。急に明科さんに抱き付かれて、あたしの身体はちょっと緊張してる。


「実際問題」明科さんはあたしからスッて離れて言う。「屋根がある場所で寝られることに感謝するべきだと思う。これがもし本当に旅に出たとして、そしたらそんな都合が良い場所は見付からないかもしれない。どこに行くかわからないけど、たぶんきっとそう」


「屋根なら」あたしは近くの田んぼの脇にある小屋を指さす。「あそこにもある」


「藁まみれになって寝たいの?」


「なんだっけ。森の少女ハイジ」


「ハイジはいつ野生児になった」


「じゃあ海?」


「スイスは内陸国だったと思うが」


「じゃあわかんない」


「そうだね~。ラブホ行こうね~」


 あたしの抵抗も虚しく(別に抵抗してないけど)あたしはラブホに連れて行かれた。


 なんかやたら豪華っぽいけど漂う安っぽさを誤魔化せないお城みたいな外観の、それに反して勝手口みたいなこぢんまりした入口を入れば、ロビーがある。お互い顔が見れないワケアリみたいな受付があって、その奥には透明人間の気配がある。あたしはびっくりする。なんかこういうところって勝手に無人だって思ってたけど、そうじゃないホテルもあるらしい。って思ったら、あたしの前に二人組の透明人間がいるのに気付いて、あたしは「わっ」なんて声を出して飛び退いてしまう。いや、利用客くらいいるのはわかってたけど、実感が追い付いてなかった。普通に男女っぽいシルエットの透明人間二人組は慣れてるのか辿々しいのかわからないけど、受付の透明人間とやり取りしてなんかホテルの鍵っぽい鍵(プラスチックの長い棒みたいなのが付いてる。たぶん部屋番号が書かれてるやつ)を受け取って奥に入っていく。


 なるほど、そこは普通のホテルと変わらないシステムなのか、ってあたしが感心してたら、扉が開く音がしてあたしはギョッとする。明科さんだった。明科さんは勝手に受付の中に入って、「鍵、鍵~」なんて歌いながら中を物色してるらしく、でもすぐに出てくる。


「鍵あったよ」なぜか三つも鍵を持ってる明科さん。


「え、そんなにいるの」あたしは普通に聞き返す。


「だって透明人間だからって使用中の部屋だったら嫌じゃん」


「使用中……」言葉の選び方が生々しくて、あたしはガッカリ感を隠せずにオウム返しする。


「広丘さん……」明科さんは怪訝な顔であたしの顔を覗き込む。「ラブホが何する場所かちゃんとわかってる?」本気で心配してるみたいなトーンで明科さんが言う。


 あたしはたぶん顔が真っ赤になってる。いや、わかってるからこんな反応してんじゃん! って、あたしは思ったことを言えない。めっちゃ顔が熱い。なんで明科さんそんな言い方するんだろうって思ってる。え、あたしたち今夜の宿のためにここに来たんだよね!? って言えば良いだけなのに、あたしはそれを言えない。なんか言い出せない雰囲気。……なんでだろ。


 明科さんは「はぁ……」なんて大袈裟にため息を吐いてみせて、「置いてくよ~」なんて言いながらすたすた奥に進んでいく。「わっ待って」って、あたしは咄嗟にその背中を追う。なんで明科さんはそんなに余裕なんだろう。あんな言い方してるのにその態度、変じゃない!? それとも明科さんは経験豊富で慣れてるとか!? え、あたし自分の考えてることがわからない、意味不明!? とか考えるたびにあたしの脳みそは空回る。えっ、あたしたちどうなっちゃうんだろうって、あたしはわけがわからなくなってる。


 一つの部屋の前に辿り着いて、明科さんはそーっと鍵を開けて、ドアをちょっと開けて恐る恐るといった様子で部屋の中を窺う。


 バタンと、扉が閉められる。


 中腰になった明科さんは隣に立つあたしを見上げて、ゆっくり首を横に振る。なんか刑事ドラマで被害者が死んじゃったのを知らせる刑事さんみたいな雰囲気。


「透明人間だからって、生々しさが消えるわけじゃないっぽい」


 明科さんは意味深に言って、もう次の部屋に向かっている。あたしは何か返事をするべきだったのかなって思ったけど、結局何か返事をする機会は逃してしまう。


 次の部屋。明科さんはさっきみたいにそーっと鍵を開けて、さっきみたいにドアをちょっと開けて恐る恐る、までやってめんどくさくなったのか勢い良く扉を開ける。あたしはびっくりして明科さんと部屋から視線を逸らす。生々しいって言った明科さんの言葉を思い出してるし、心臓が飛び跳ねるかと思った。「空き室だね」明科さんは普通に言って、「はい」ってあたしに何かを手渡す。


 あたしはそれを見る。「えっ」プラスチックのやつが付いた鍵。この部屋の番号が書いてある。あたしは明科さんの顔を見る。けど明科さんはもういない。「こっちの部屋も空き室だ良かったー」って言ってる。「えっ!」鍵渡された時より大きい声が出た。明科さんは珍しいものでも見るみたいにあたしを見てる。「なに?」


「えっ、別々の部屋なの」あたしは想像してたのと違う展開に、思わずそんなことを言ってる。言って、それがおかしな発言だって気付いて「や、何でもない!」って慌てて言う。そりゃそうだ。ラブホだからって(ラブホだからこそ?)違う部屋にするのは当然だ。


 明科さんはそんなあたしの一連に、ニヤって笑う。「広丘さん、期待してたの?」なんて言いながらあたしの方にやってくる。「えっ」手首をちょっと強めに掴まれる。「えっ!」ぐいぐい引っ張られる。「えっ!?」最後に開けた方の部屋に無理矢理連れて行かれる。


 部屋の真ん中まで引っ張られて、明科さんはあたしの手首を離す。あたしはめっちゃ混乱してるから(あ、別にラブホだからってめっちゃピンクとか変なベッドだったりしないんだ)って普通のビジホみたいな内装に安心して、でもお風呂はガラス張りでめっちゃ見えるし(あ、そこはラブホっぽいんだ)って思って、そうしたら明科さんが言う。「脱いで」


「えっ」


「コート脱いで」


「なんで……?」


「良いから」


 明科さんは有無を言わさないと言った様子で、そんな明科さんの迫力に、あたしは言われるがままにコートを脱ぎ始める。何が(良いから)なんだろうって、ちょっと冷静な部分のあたしが思ってる。袖の内側とかにちょっと毛玉が付いてる着慣れたダッフルコート。でも、あたしは留め具を上手く外せない。なんか手が震えてる。留め具を外すだけなのに、めっちゃ時間が掛かる。


 そしたらいつの間にか明科さんはあたしの前にいて、あたしの手を優しく払ってあたしの代わりに留め具を外し始める。明科さんを見れば、明科さんはピーコートとブレザーを脱いだ格好になってる。シャツの胸元のボタンがちょっと深く開けられてる。明科さんはあたしよりも胸が大きいから、谷間がめっちゃ見えてる。羨ましいとか思ってる余裕もなくて、あたしの心臓はばくばく鳴ってくる。え、なんだろう。わかんない。なに。とか思ってる間にコートが脱がされて、ブレザーも脱がされる。明科さんが手慣れた様子であたしのブレザーとコートをハンガーに掛けてる。


 明科さんが振り返る。


 真剣な表情の明科さんに、あたしの心臓はどんどんどんどんばくばくばくばく強く痛いくらいに鼓動して、くちから出てきてしまいそう。


 え、あたしたち、これからしてしまうんだろうか。え、だって女の子同士なのに。え、わかんない。なんか、そういうこともあるってことは知ってる。どうするのかは知らない。でも、別にそういうひとたちもいるってことは知ってる。し、それをあたしは変なことだとは思わない。他人事だから。他のひとが何をしようと誰としようと、あたしは別に何も思わない。だって、本人たちの問題じゃん。それに対してあたしが何か思ったり何か言ったりって、別に全然関係無いじゃん。


 でも、あたしは当事者になったときのことなんて考えたことが無かった。


 当たり前だ。あたしは女の子にそういう気持ちを抱いたことが無い。……男の子にも、だけど。好きって気持ちがわからない。だって、あたしは他の誰かを特別だなんて思ったことが無い。


 ……明科さんを除いて。


 だから明科さんのことが好きなの? え、それってホント? あたしはわけがわからなくなる。だってわからない。好きだからそういうことしても大丈夫なの? えっ、わからない。何もわからないけど。


 明科さんはあたしにぎゅって抱き付いて、そのままベッドに倒れ込む。


 倒れゆく室内の景色を眺めながら、あたしは頭の中が真っ白になる。


 そういえば脱ぐのはブレザーとコートとローファーだけで良かったんだろうか、なんて暢気なことを考えながら。あたしは反射的にぎゅっと目を瞑る。ごそごそと、布と布が擦れる音が聞こえる。めっちゃえっちな音だって、あたしは思ってる。他人事みたいに。だって、あたしはこんなときにどんなことを考えたら良いかなんて知らない。そんなことは誰も教えてくれなかった。あたしに何かを教えてくれるひとなんかいなかった。……なんかめっちゃ温かい。明科さんがあたしに抱き付いてきた。……ん? 抱き付いてきたってことは、さっきまでは抱き付いてなかったってことだ。ベッドに倒されたときは抱き付かれてたのに? あたしは変だなって思いながら目を開ける。肩まで布団に包まれてる。温かいのは明科さんの体温だけじゃなかったらしい。変だなって思いながら、あたしは胸元を見下ろす。明科さんが、赤ちゃんみたいにあたしの胸元に顔を埋めてる。……別に、顔を埋めるほどあたしに胸無いけど。骨が当たって痛くないのかなって思ってる。明科さんは気持ち良さそうに目を瞑ってる。え、なんだろうこれ。いくらなんでもこれが、さっきまであたしが考えてたことのスタンダード? にはとてもじゃないけど思えない。


「広丘さんめっちゃ柔らかい。めっちゃ温かい」


 ぎゅって、強く抱きしめられる。明科さんの声は、めっちゃ眠そう。


「え、明科さん寝るの?」


 あたしは思わず訊いている。


「なんのためにベッドある場所に来たの」


 明科さんはむにゃむにゃ答える。


「え、でも」あたしの言葉に「えっち」って明科さんが言う。あたしはたぶん耳まで赤くなってて、慌てながらも何かを言わなきゃって思って、そしたら聞こえてくる。すーすーって、明科さんの寝息が。あたしはようやく思い浮かべられた言い訳の言葉の吐き出し先を失って、がっくりと肩を落とした。


「一緒に寝たいなら、そう言えば良いのに」あたしは明科さんのつむじに言う。


 そしたらあたしだって、アリエナイ勘違いをしなくて済んだのに。


 別に、勘違いするあたしがいけないんだけど。


 でも場所とか迫力とか、なんか勘違いしちゃうじゃんって、自分に言い訳して。


 なんかあたしも眠くなってきた。


 あたしもぎゅっと明科さんに抱き付いてみる。明科さん、めっっちゃイイ匂い。別にそれは普通に女の子っぽい匂い。だからどうなるわけでもないって匂い。明科さんはめっちゃ柔らかい。女の子っぽい柔らかさで、どうなるわけでもない柔らかさ。


 明科さんが「んっ……」って身体をよじる。でもあたしは離してあげない。なんか悔しいから。あたしだけが舞い上がってたみたいでバカみたいだから。


 そうしてあたしたちは抱き合って眠る。


 この日、あたしは珍しく夢を見なかった。あたしは眠りが浅い方だ。だし、夢を見るときは熟睡出来てない時だってことも知ってたから、めっちゃ熟睡できたんだと思う。明科さんが温かかったから。たったそれだけのことで熟睡できるならめっちゃお得だって思って、ホントか? って思った。それだけ、じゃないんじゃない? って思った。でもこの世界にはあたしと明科さんしかいないから、それがそれだけなのかそうじゃないのか、あたしにはわからなかった。


「おはよう」


 あたしに抱き付いたままの明科さんが、めっちゃねむそうな顔であたしを見上げて言う。


「おはよう」


 あたしは答える。明科さんと抱き合ってるからって、別にもう心臓がばくばくいったりしない。普通だ。だからあたしは普通に答えられた。


「めっちゃ熟睡できた」そう言いながらあたしから離れて、明科さんはふぁ~~ってめっちゃ大きなあくびをする。明科さんもよく眠れたみたいだ。それならあたしもなんか一仕事みたいな嬉しい気分になってくる。別に、あたしただ抱き枕になってただけだけど。


「お風呂に入ろう」明科さんは言う。


「いってらっしゃ~い」あたしは答える。


「一緒に入ろうよ」明科さんは言う。


「えっどうして!?」ってあたしが答えれば、明科さんはガラス張りのお風呂を指さす。「だってこれ入ってる方ちょっとしんどくない?」って言われて、あたしはちょっと考えて、「確かに」って渋々答える。明科さんが入ってるの見るのは面白いかもしれないけど、あたしが入ってるのじろじろ見られるのはかなりしんどいかもしれない。


 そういうことだから、あたしたちは一緒にお風呂に入った。ラブホだけあって、二人で入っても全然余裕な広さだった。


「思ったんだけど」明科さんが言う。


「えっなに?」あたしは極楽極楽~って思いながら答える。


「いっしょに入るの嫌だったら、他の空いてる部屋の使ったら良かったんじゃない?」


 明科さんの言葉に「今更だよッ!」って、あたしは湯船をビターンって叩きながら答えた。


 別に、友だちとお風呂とかちょっと憧れてたからいいし! って思った。

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