その4:麺屋たか村

 あたしはたぶん間違えたんじゃないかと、今思ってる。


 キョロキョロと、あたしは周りを窺う。


 あたしのお腹がぐー、と鳴る。壁掛け時計を観る。十三時。お昼時といえばお昼時だけど、ちょっと過ぎてるといえばちょっと過ぎてると言えないこともない、微妙な時間。お腹すいた。あたしはまた、キョロキョロ周りを窺う。透明で灰色なシルエットの一つが立ち上がり、出口の方に向かっていく。あたしはそれを、目をめっちゃ細めてじーっと追う。そうやって目を凝らして、そのシルエットが黒っぽいスーツを着てることに気付く。サラリーマンなのかもしれないって、あたしは思う。


「私、思うんだけど」


 隣に座る明科さんが言う。


 隣に座る明科さんのお腹もきゅるきゅるって鳴る。かわいい音。あたしの「お腹、すいてるんですけど!?」みたいな音とは違って、「わ、わたしお腹空いちゃった……」みたいなその自己主張弱めのかわいい音に、お腹の音にさえも人間性? は表れるのかもしれないってあたしは思った。うん。ぐー、って、あたしはそっちの方が明科さんっぽい音だと思うんだけど。負け惜しみじゃないんだけど。


「広丘さん、やっぱりアホの子だよね」


 ゆっくり、バカなあたしでもわかるみたいに、明科さんは言う。


 そんな丁寧な言い方しなくても、あたしにだってあたしがアホの子だってことくらいわかってるつもりだったけど、でもあたしは今、それを主張できる立場ではないことだって、やっぱりあたしにもわかっている。


『麺屋たか村』


 ここは、あたしのお気に入りのラーメン屋。よく午後の授業サボったときに食べに来る。あたしは食べても太らない体質なので(って来るとき明科さんに言ったら「ぶち転がす」って言われてこわい~! って思った)ラーメンとか結構食べる。ラーメンは色々食べたけど、あたしは昔ながらの中華そばが一番好き。味の素とかさらさら入れちゃうくらい化調がいっぱい入ってるのが好き。あたしは食べても太らない体質なので。なんか凝ってるラーメンは違うってあたしは思う。ラーメンってのはもっとこう、顔なじみとのその場のノリの会話みたいな食べ物なのだと思ってる。あたしに顔なじみはいないけど。これはあたしなりのラーメン哲学だ。で、ここ、たか村は中華そばが一番美味しい。普通の醤油もトンコツとかも一応あるけど、それを頼むヤツはモグリだ。あたしは常連なので、客の顔を見ればそいつが何を頼むかすぐにわかる。見たことない顔のやつはだいたいトンコツを頼んで二度と来ない。だって、たか村のトンコツはマジでマズイ。


 ってなことを明科さんに言いながら、あたしたちはここにやって来た。


 いつものカウンター席に座って、あたしはいつもみたいに手を挙げながら「中華そば!」って大声で言って、隣に明科さんがいること思い出して「二つ!」って付け足して、あたしはカウンターの向こうの厨房を見て驚いた。


 店主のオッサンが、灰色で透明なシルエットだったからだ。


 灰色で透明なシルエットのオッサンは、当然あたしに気付かない。


 透明で灰色なオッサンは、透明で灰色なお椀をあたしの隣の席に置く。透明で灰色な隣の客が(さっき出て行ったサラリーマンっぽい透明な灰色)、透明で灰色な割り箸を割って置いて、透明で灰色なレンゲを使って透明で灰色なスープを一口飲む。あれはどう見ても透明で灰色な味だ。透明で灰色な中太麺をズズズって鳴りそうな勢いで啜る。あれもたぶん透明で灰色な味だ。オッサンは二人席の方に歩いて行く。透明で灰色なお椀を二つ持って。店内は割と忙しい。珍しく混んでるらしい。あたしと明科さんはそんな中で二人ぼっちだ。あたしの注文は届かず、突然あたしの視界が灰色っぽくなって、あたしの前に透明で灰色なお椀が置かれる。手を伸ばしてた、いつもならダンディズムさえも感じる仏頂面が特徴的なオッサンの表情は透明で灰色。


 あたしは思った。


 あたしって、もしかして本当にアホの子なんじゃないかって。


「や、違うんだよ明科さん」


 あたしは違うことを表明する。


「だってここの中華そばホントに絶品なんだよ。スープがホントに美味しくて、ちぢれ中太麺がそのスープとよく絡んで、メンマとナルトと刻みネギしか乗ってないシンプルさが芸術的で、ホントに美味しいから明科さんにも食べてもらいたいって思ったんだよ。これは本当なんだよ」


 あたしはありのままの気持ちを明科さんに伝える。


 明科さんは頷くこともなく、あたしの目の奥をじーって見てる。


 じー。


 なんか……、たぶん明科さんの目の焦点が合ってる場所って、あたしの脳みその場所らへんだと思うんだけど、たぶん……。


 そのまま三分くらい明科さんの視線から逃れてたあたしだけど、さすがに怖くなってきてくちを開く。


「な、なに? 明科さん?」


「広丘さんはアホの子」


 明科さんは言う。


「広丘さんは、アホの、子」


 明科さんはもう一度、イントネーションをはっきりさせて言う。


「はい!」あたしは勢い良く返事をして手を挙げる。「もう一度チャンスをください!」


 汚名を挽回しなければ!

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