この街
その3:コンビニ
「思ったんだけど」
明科さんが言う。
「何を?」
あたしは答える。
「何をって広丘さん、ちょっと自分の周りを見てみなよ」
あたしは明科さんの言う通りに、特に何も考えずにその場でくるくる回って自分の周りを見てみる。
商品の棚がある。あっちはお菓子。こっちは日用品。あっちは雑誌で、こっちはジュースが並ぶ冷蔵庫。
「コンビニ!」
あたしは元気に答える。
「そう! コンビニ!」
明科さんもめっちゃイイ笑顔で言う。あたしはよくわからないけど「やった!」って思うし、言ってる。「コンビニ!」もう一回言ってみる。透明な灰色のシルエットがいくつかうろうろする、普通のコンビニ。あたしはコンビニって一人で行く店だって思ってたけど、明科さんと一緒に来るだけでなんかちょっと楽しい。余計なもの買ってしまいそう。うーん、お酢とか。芋けんぴとか。あとは雨ガッパとか。
あたしはるんるんで傘立ての方にスキップし始めて、そしたら視界がガッ! って揺れてめっちゃ首が絞まった。「んげッ」って、カエルを潰したみたいな声が出た。上半身だけ固定されて下半身だけ歩いていきそうになった。なんとか留まって、あたしはようやくコートからブラウスまで一気に襟のところを明科さんに掴まれてることに気付く。
「えっ何するの明科さん」
びっくりして訊けば、明科さんは真顔であたしを睨んでる。
「広丘さん、田舎者なの」
「えっ」あたしはびっくりして言う。「あたしが田舎者だと明科さんも田舎者だよ」
「ちげーよ! コンビニ一つで浮かれられるその精神性が田舎者なのかって話だよ! 精神性の話だよ! そりゃ私たちは田舎者だけど、私はコンビニ一つでそんなに楽しそうには出来ない! 正直、広丘さんのことちょっと羨ましいって思った!」
明科さんは一気に捲し立てて、さっきはあんなにべらべら喋っても平気そうだったのに、今はちょっと肩を上下させてる。
「ちょっと落ち着こうよ明科さん。はい、アイス食べよ」
あたしはタッタッタってアイス売り場に三歩で辿り着いて、チョコモナカジャンボを二つ持ってくる。一つを明科さんに押し付けながらそう言って、あたしは床に座る。
めっちゃお尻が冷たい。毛糸のぱんつ穿いてくるの忘れてた。
「ほらほら」あたしの隣の床をペチペチ叩きながら、明科さんを促す。明科さんは予断ならないといった険しい表情であたしを見下ろしながら、渋々といった様子であたしがペチペチ叩いたところの床に座る。「冷たッ!」明科さんの形の良いお尻がバウンドするみたいに跳ねてすぐに立ち上がり、「電気代渋ってんじゃねぇぞ!」なんて言いながらずかずかレジの方に歩いていってそのままカウンターの中に入ってエアコンのなんかのボタンを連打してすぐに戻ってくる。明科さんはあたしの対面にヤンキー座りして(隣じゃないのちょっと寂しい……)、そのままアイスの包みを両手で豪快に開けてみせる。
「明科さん明科さん」
「なんじゃらほいなんじゃらほい」
あたしは手を一回叩いてブイサイン作ってOKサインを作って右手を眉の上に当てる。
「ほれ、ほれほれ」
なんて言いながら、明科さんは綺麗な太ももの上に乗った申し訳程度のスカートの生地を「ほれ」って言う度に持ち上げてみせる。
「そんなことしなくても見放題なんですけど」
淡い水色のレースの飾りがついた清楚っぽくてかわいいやつ。
「世の中にはJKのぱんつで救われる命があるのに広丘さんは贅沢だねぇ」
なんかお婆ちゃんっぽい声で言われた。明科さんはもしゃもしゃチョコモナカジャンボを食べる。なんかちょっとしあわせそうな顔してる。かわいい。あたしは明科さんの顔とぱんつを交互に見る。あたしって贅沢なのかな。確かにこれはちょっと贅沢っぽい感じだなって思って、あたしもアイス食べよって思った。もしゃもしゃ。
「ハッ」明科さんはそこで何かに気付いたように表情を引き締める。「ついついなごんでしまった」そう言うや否や、めっちゃ勢い良くアイスを頬張り始める。もしゃもしゃもしゃもしゃ。俯いて頭を押さえ始める明科さん。あっ! アイスクリーム症候群だ! ってあたしは思った。なんかテレビでやってたのを思い出す。冷たいものを一気に食べると頭がキーンってする伝統的のやつだ。あたしはそれがどんな感覚かわからない。マンガの中だけの出来事だと思っていた。からちょっと面白いって思ってる。明科さんおもしろかわいい。あたしは明科さんをじーっと眺める。
少しして落ち着いたのか、明科さんは今度は慎重にアイスを頬張る。といっても、もう二欠片くらいしか残ってなかったけど。あの、溝で区切られてる二つ分。
「いや、違うんだよ広丘さん」
違うらしかった。
「違うの?」
だから訊いてみた。
「違うの。せっかくさ、私たちはこう、なんか一緒に行動しようって決めたワケじゃん」
明科さんの言うことに、あたしはうんうんと頷いてみせる。アイスをもしゃもしゃ食べながら。
「なんか意気揚々とさ、行こう! って決めたワケじゃん。別にどこ行くとか決めてなかったけど。なんかそういう雰囲気ってさ、絶対コンビニに行くって雰囲気じゃないじゃん普通」
「そうなの?」
あたしは結構部屋で言う。行こう! コンビニ! って。朝? 夜の? 二時くらいに。
「そうだよ。行こう! 鎌倉! みたいなノリだよ。鎌倉に行こうってなったらそりゃさすがに、お!? ちょっと行ってみるかぁ!? って雰囲気になるじゃん普通。だって鎌倉だぜ!? 大仏見るか!? えのすいか!? ってなるじゃん普通。それコンビニ行くノリじゃないじゃん日帰りだったとしても」
「それはおかしいよ、明科さん」
あたしはおかしいと思ったからおかしいって言う。
明科さんは、あたしの言葉にびっくりした顔をする。
「えっ、私なんかおかしいこと言った?」
「うん。おかしいよ。絶対おかしいってあたしは思う」
「具体的に……、どの辺が?」
「だって、鎌倉に歩いて行けるひとはそうは思わないよ、お!? 鎌倉ちょっと行ってみるか!? なんて絶対。はぁ~鎌倉ねぇ~、まぁ行こうかねぇ~、歩いて二分だしねぇ~、って感じだよ絶対!」
あたしは言ってみせた。
明科さんは、完全にアホの子を見る目であたしを見てる。
「えっ」あたしはびっくりして慌てながら明科さんを納得させるための言葉を探し始める。
「だってだって、鎌倉が当たり前に供給されてる地域じゃ鎌倉にありがたみなんか絶対に無いよ絶対! イタリア人にパスタ、インド人にカレーだよ!? わかる明科さん!?」
「うん、わかるよ広丘さん」
明科さんの抑揚は平坦だ。完全にあたしのことアホの子だと思ってる。
「でも広丘さん」明科さんは言う。「私たちは……いや、広丘さんに、鎌倉は当たり前に供給されてる?」
突然変なこと言うなぁ~明科さんってあたしは思う。
「それは違うよ明科さん」
「うん」明科さんは言う。「じゃあ広丘さんにとって、鎌倉に対するモチベはどんな感じ?」
「めっちゃ行きたい鎌倉! ちょっと行ってみるかぁ!? って感じ!」
「うん」明科さんは言う。「じゃあどうして鎌倉徒歩二分圏内人の気持ちになったの?」
「んー、なんかね、こう、あたしは平等なんだよ。鎌倉徒歩二分圏内人? ナニジン? のひとたちの気持ちを蔑ろにしたりはしないんだよ」
「うん」明科さんは言う。「でも今、鎌倉徒歩二分圏内人のひとは関係無いじゃん。私たちの話じゃん。私たちの話っていうか、鎌倉徒歩二分圏内人もあー」明科さんはレジでだらだらしてる灰色で透明な店員っぽいシルエットを指さす。「かもしれないじゃん。あれの気持ちになっても仕方ないじゃん今は」
「明科さん……」あたしは思わず感嘆の息を漏らす。「めっっちゃ鋭いね」
「うん」
「鋭い」
「うん」
「鋭いよ明科さん。あたしは驚いたね」
「うん」
「あ、鎌倉行きたくなってきたかも」
「奔放か!」
鋭い明科さんの鋭すぎるツッコミが店内に響いた直後、あ~~~~、なんて言いながら、明科さんは尻餅を突いてへなへな後ろに倒れた。棚の場所を把握した倒れ方だった。明科さんにはおおよそ隙というものが存在しないようだった。
「なんか、全てがどうでも良くなってきた……」
明科さんは、本当にどうでも良くなってきたみたいにそう言った。
「鎌倉行きてぇ~なぁ~~」
鎌倉に行きたいようだった。あたしとおそろだと思った。
「あ~~~~」あたしも明科さんの真似してへなへな倒れてみる。ガンッ。棚の柱に後頭部をぶつけた。あたしは秒速で身体を起こして体育座りになって後頭部を押さえた。めちゃくちゃ痛い死ぬかと思った……。「鎌倉……、行きたい…………」死ぬかと思ったけど、おそろであることはちゃんと主張しておこうと思った。と思ったらさっきちゃんと主張してたことを思い出した。あたしは隙だらけだった。明科さんみたいになりたい、と、あたしはまだジンジンする自分の後頭部を押さえながら思った。
「まさか、コンビニの床に寝っ転がる人生になるとは思わなかった」
明科さんは深刻そうな声で言った。それってどんな人生だってあたしは思ったけど、なんとなくニュアンスは伝わったような気がした。あたしたちの間を、透明で灰色な二人組のシルエットが横切るのを見たら、余計に。
「でも、まぁ、なんか私、ちょっと気張りすぎてたのかな」明科さんは言う。「別に旅行行くときもさ、まぁ親とくらいしか行ったことないけど、最初はコンビニ寄ったような記憶もあるな。まだ暗い内に家出てさ、おとん……、の車に乗ってさ。役にも立たないのに助手席に乗って。高速走ってるときに飲む用の缶コーヒーおとんに開けろって言われて開けられなくて。それ最初のコンビニで買ったやつだし。結局おかんに開けてもらって、親父が手ぇ出して受け取るの待ってるのに一口飲んで苦ぇ!って思って、そんなことしてるからサービスエリア過ぎたのにトイレトイレ!って騒いで。おとんに怒られたなぁ、めっちゃ懐かしい……。旅行って別に、普通にそんな感じじゃんね。別に、あたしたちが旅行するって決まったわけじゃないけど」
「しようよ、旅行!」
あたしは間髪置かずに言う。
「する?」
明科さんは答える。チラッてあたしを見る眠そうな明科さんの目は、ちょっとだけ期待してるみたいで、それを見たらあたしは尚更旅行行きたい! って思う。
「あたし暖かいところに行きたい! 暖かいところが好き!」
「私も暖かい方がいいなぁ」
「じゃあ今から行こう! コーヒー買ってくる!」
「まぁ待て」どうどう、と、明科さんはあたしを興奮した馬みたいに扱って、その右手が床の上10センチから15センチくらいを上下する。「しかして、希望せよ」
「あたしは旅行を希望します!」
「私も希望するけど、まぁ、しばらくは様子見ようよ」明科さんは落ち着いた声で言う。「だって、旅行行くにしても足が無いじゃん。もし歩いて行くんだったら山とか越えるんだぜ? 街なら食べ物手に入るけど」明科さんはぐでーってしたまま棚にあるハッピーターンを取ってかさかさ振る。「山だとサバイバルだよ。色々準備しないと」
「明科さん」あたしは、グッて手を握りしめながら言う。「めっちゃ考えてるね! あたし、明科さんと会えて本当に良かった! あたし一人だったら野垂れ死んでた!」
「野垂れ死にはしないだろ。ほら」ぽーいって、明科さんはハッピーターンをあたしに投げて寄越す。「食べ物はいっぱいある。ただ」あたしは受け取ったハッピーターンの袋を開けてもしゃもしゃ食べ始める。「彩りに欠ける生活かもしれないね。独りだったら」
「コンビニは文明だね。文明は悪くないもんだよ」
あたしは四つん這いになって明科さんににじり寄る。明科さんの前にハッピーターンをぶらぶらさせる。明科さんが、あーんってくちを開ける。あたしはそこに、恐る恐るハッピーターンを近付ける。パクッてかぶり付く明科さん。もしゃもしゃもしゃもしゃ。
「確かに悪くはない」
「ここに住んじゃう?」
「それも悪くない。だけど」明科さんはガバッて起き上がって、う~~んって伸びをする。「ここで寝起きするのは苦行だな。寝てるだけで筋肉痛になりそう」
「今日の夜どうしよっか」
「普通にホテルとか行ったら良いんじゃない?」
「明科さん」あたしは思わず感嘆の息を漏らす。「めっっちゃ冴えてるね」
「私は広丘さんの冴えてなさが怖いよ」フフッて、明科さんはちょっと渋い顔で笑った。明科さん、どんな顔しても映えるから羨ましい。
でもあたしそんなに冴えてないかなって思ったけど、確かにホテルとか思い付けないのは自分でもどうかと思った。そしたら、明科さんがいなかったら、あたしはどうしていたんだろう……。途中まで考えて、怖くなって考えるのをやめた。……良いんだよ。だって、あたしは今独りじゃない。明科さんがいるから大丈夫なんだもん。こころの中の誰かに、言い訳をしながら。
それからあたしたちはしばらくだらだらして、そろそろ移動しようかってなって、勝手知ったるみたいな雰囲気でバックルームに入って、なんか毛バタキとか勝手に使ってコートに付いた埃を払ったりした。
ひろおか豆知識:コンビニの床は、めっちゃ埃だらけで汚い。
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