26:約束

 機動隊の突入を待たずして、事件は終わりを告げる。バラバラ殺人事件を起こし、湊斗ミナトの母親を襲った少年グループのうち、二人が死亡、一人が意識不明、二人が重傷、一人が軽傷で手当を受けている。これから深夜にかけて空き家の現場検証が行われる予定だ。

 水田はこの事態を急ぎ事務所に電話した。事務所で一人待っていた沙絵子は、事件のことはずっと中継で見ていたからと涙声で答える。


「病院にいる香澄かすみから連絡あったわよ。湊斗君のお母さん、意識を取り戻してるって。事件のことを知って酷く取り乱してしまったようだけど」


 それは果たしていい知らせなのかどうか、水田は暫し悩んだ。彼女が今後どうやって息子に向き合うつもりなのか、やはり身売りで生計を立てていくのだとしたら年齢的な限界もあるし、客も付かなくなるだろう。潮時だったのだ、彼女の商売も。そう考えるとリスクは高すぎたがいいきっかけだったのかも知れないと思うのが一番良さそうだ。

 救急隊員から応急処置をしてもらう湊斗、意識は無いが、呼吸レベルは正常だ。意識がないというより疲れて眠っているというのが正解なのかも知れない。飯も食わずに包丁振り回して走り回っていれば誰だって疲れる。投与から二〇分以上経過した今、少しずつ駆除用ナノが全身に行き渡っているに違いない。返り血の他に、全身に刃物で切られたような傷跡もあった。湊斗が一方的に攻撃していたわけではない。相手の少年らと互いに傷つけ合っていた証拠だ。

 人だかりは更に増え、夜中だというのに旋回するヘリコプターも帰ろうとはしなかった。野次馬たちは口々に事件を噂し、犯人がどうの声を上げる。

 重傷の少年たちが先に運び出され、湊斗は担架に乗せられたまま、次の救急車待っていた。許可をもらって付き添う勇造は、隣に座り込んで、そのまだ柔らかい手を両手でしっかりと握りしめる。


「ナノだけが原因でこうなったなんて、俺は思いたくないけどな」


 そう勇造が呟いたのを、近くで沢口が聞いていた。

 湊斗のそばに一緒に屈み、ヘッドライトで照らされてもぐっすりと寝息を立てる姿をじっと見守る。


「当たり前ぇだ。ナノの保有者でも、発症しない場合が多いんだ。殆どの保有者はその存在を知らず一生を終えるはずなんだからな」


 言われて納得する。相当の衝撃、戦闘用ナノを発動させるに十分なスイッチがなければ、それは体内に潜む見えない物質でしかない。


「それに、ナノが原因だったとしても、法廷ではそうでないときと同等に扱われる。ナノが関わったのは違いなくても、それを抑止するだけのものが彼らになかったかどうか。世の中厳しいんだ」


「ナノ汚染の原因、田村って医師はどうなります。見つかったら死刑、ですか」


「何だ。お前ぇも知ってたのか。田村医師のこと」


「――あの、研究所の所長から聞いたんですよ」


「じゃあ、知ってンだな。こいつがその、田村医師の息子だってこと」


 収まりを知らないざわめきの中、聞き違いかも知れないと思うほどの台詞。ひそひそ声だが、勇造の耳にはしっかりと聞こえた。


「つまり、湊斗がああなるのは最初から決まってたってことか。そのために父親は家を出て」


 田村の行き先を知らぬと言うあの所長、本当は彼と湊斗のことももっと深く知っていたのではないかと疑ってしまう。そしてこの様子をテレビで見て、ニヤニヤと笑っている田村という狂い果てた人間像が浮かび上がり、勇造はブルッと身体を震わせた。


「田村は見つかっても死刑にはならんよ。該当する法律に照らし合わせても、たいした罪にはならねぇだろうな。それどころか、闇の世界に消え去り、全く足取りが掴めねぇ。本当に、雲隠れするようにいなくなったようだ。アンダーグラウンドにな」


 あの所長もそうだ。法律の目をかいくぐり、人間の命を弄ぶような研究をしている。彼らの目的は何なのか、はっきりしたことは全くわからない。だが、試作品とはいえ駆除用ナノを高額でだが引き渡してくれたことには感謝すべきだと自分に言い聞かせた。


「政府はこれからこういった残忍な事件が起きないよう、先手先手で保有者の治療を進めるらしい。お前の入手したナノ、あの所長、警察にはくれねぇんだろうな。政府側が駆除用ナノを作るにはまだまだ時間がかかる。それまでは面倒だが肉弾戦をこなしていくしかなさそうだ。なぁ、一ノ瀬、お前ぇやっぱり警察に……いや、あんな無謀な部下はいらねぇな。命がいくつあったって足りん。一人一人、あんな命がけでツッこまれていったんじゃ、命がいくつあったって足りねぇからな。やっぱり、お前ぇは便利屋くらいが性に合ってンだ」


 よいしょと立ち上がる沢口の、言葉尻が嬉しかった。涙腺がまた熱くなる。


「ただな、一ノ瀬。ナノマシンてやつは見えない分かなりやっかいで、駆除しようとしてもしきれない現実がある。政府が躍起になっても完全に消し去ることはできねぇだろうな。日本中にいるナノの感染者、全てを救おうとしても無理かも知れないのは何でだと思う」


「さ、さあ。血液検査に応じない少年らがいるからですか」


「ナノはな、人から人へも感染するんだ。近い将来、駆除を終えてない保有者たちが結婚適齢期を迎える。彼らのナノが妊娠出産により次代に引き継がれる恐れがあるわけだ。その量は微々たるものだろうが、ナノの機能が脳に全く影響を及ぼさない保証はねぇな。その時、きっと今と同じことが起きるはずだ」


 またなと、沢口は手を振った。真の解決を見せない事件、誰が一番悪いのか――単純なものは何一つ無い。全てが終わったはずなのに、心の中でもやもやがくすぶっていた。

 湊斗の右手を握るのに、思わず力が入った。生温かい手が、ぎゅっと握り返す。


「社長」


 か細い湊斗の声。


「目、覚めたか。全部終わったぞ」


 担架に乗せられた湊斗の目に、勇造のホッとしたような顔が映った。たくさんの人の足と、上空を飛ぶヘリコプター。空は暗いのに、あちこちで光るフラッシュや撮影用の照明で驚くほど眩しかった。事件を伝える報道アナウンサーの声がしたり、新聞や雑誌の記者と思われる何人もの人影。そして現場をぐるっと囲う、住民たち。

 思い出した。夕方から今まで、何が起きたのか、何をしたのか。思い出して大声を上げた。それは、後悔してもどうにもならない。後戻りできない恐ろしいこと。


「落ち着け、落ち着け湊斗」


 半身起こして叫び出す湊斗を、勇造はぎゅっと抱きしめる。幼子を抱きかかえるようにぎゅっと。

 辺りにいた誰もが、湊斗と勇造に注目を集め、騒ぎ出す。でもそんなのは、勇造にとってどうでもよかった。この、頼りない背中で背負っていた荷物が少しでも軽くなればいい。そのためなら一緒に矢面に立ってやるとさえ思う。


「お前はじきに逮捕される。これは間違いない。だけどな、俺は待ってるぞ。待ってるからな」


 勇造は涙でぐちょぐちょに濡れた顔を、湊斗の肩に押しつけた。恐怖で震える湊斗の肩は柔らかく、思ったよりもずっと小さい。


「社長、俺、戻ってきたらまた、便利屋やってもいい?」


 涙に濡れていたのは勇造だけではなかった。湊斗も正体不明になるくらい泣きわめき、声を上ずらせている。

 勇造は大きく頷いた。


「当たり前だろ。お前は立派な、ウチの社員なんだからな」


 震える言葉は聞き取りにくい。だけれども、二人はそんな会話で十分に満足した。

 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。


「迎え、来たみたいだよ」


 湊斗はそう言って、にっこりと笑って見せた。



<終わり>

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nano―穢れなき魂は狂気と眠る― 天崎 剣 @amasaki_ken

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