最終話

 帰ってもむしゃくしゃが収まらず、「ご飯いらない!」と宣言して自室に閉じこもった。

 あんな嘘ついて、しかもキスして!? 私の心配はどこにいったのよ! なんなのよ! もう!

 ああむしゃくしゃするー!! とがむしゃらに腹筋して100回。腹が痛くなってきて、ようやく私は落ち着いた。

 しかしなんであんな嘘を……。

 つまり、兄が死んだのは本当だけど、死んだのは押した兄を七瀬が避けたからじゃない、と。で、死神(七瀬曰く、それは兄)が明日殺しに来るのも嘘だと。

 よく考えれば死神が殺しに来るってどこの小説よ。あまりに七瀬の顔が真剣だから信じてしまった。それにカウントだって引っ越しだって言ってたし、

 ……ん?


 あれ?


 教室で会った時、七瀬は引っ越しじゃないって言ってたよね。いや、「引っ越しみたいなもの」とは言ったけど、あれは誤魔化すためだけに言ったように感じたんだけど。

 変だな、と思って冷静に振り返ると、最後の七瀬の否定の仕方が、あまりに急すぎるように感じた。だってそれまで泣いていたのに。あれまで嘘だったとは、どう考えても信じられない。

 くらげ展を見ていて七瀬が崩れ落ちた時、確かお兄さんに謝ってたよね。謝ってるってことは、お兄さんに押されてはないんだと思う。押された七瀬が謝ってるのは、意味が分からないもの。

 それなら、どうして手首にブレスレットをしていたのだろう?

 もしかしたらお兄さんのではなくて、自分で買ったものかもしれない。けれど、さっきの押された云々の話が嘘だったとしても、ブレスレットについては具体的すぎた。だからあれがお兄さんの、っていうのは、合ってるんじゃないかな。

 ホームで押されたくだりを嘘だと七瀬は言ったけど、作り話であんな線路に絡めたような話、すぐに出てくる?


 ……ホームで何かあった。それは本当じゃないの?


 だからって何があったというのか。何も思いつかなくて、無意識にツイッターを開いた。タイムラインを遡り、あ、

 ナナハルの、ツイート。



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  ナナハル @seven_spring・3時間前


   死神は鎌を忘れはしなかった。件の場所に来

   いと、彼は言う。きっと魂を奪われた後も、

   呪われた兎は天国にも行けず地獄への道を何

   年も彷徨うのだろう。付添おうという飼い主

   を置いて、兎は家を出る。全てが最後だった。

   家も空気も何もかも。それを悲しいと泣く権

   利は、兎に無かった。#140字小説


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「なに、これ」

 死ぬと言わんばかりの内容じゃないか。

 実在の彼を知った今、暗喩が分かってしまう。兎は彼。飼い主は、親か。そうして死神は、

 死神は、誰?

 そうだよ、誰が七瀬を殺すというのだろう。

 どうしても私には、お兄さんだと思えなかった。はたして、七瀬も優しいと言っていたお兄さんが、弟を殺すだろうか。

 仲が良さそうな兄弟、「ごめん」と兄に向って泣いていた七瀬。手首に巻いてるブレスレット。

 ……七瀬の話では、お兄さんが七瀬を押そうとしたのを避けたから、お兄さん自身が線路に落ちたと言ってた。そうしてそれを助けようと、お兄さんがつけていたブレスレットを引っ張ったって。

 でも。

 普通引っ張るなら、服じゃない?

 お兄さんが七瀬を押そうとして線路に落ちた場合。お兄さんは七瀬を押すために、線路に正面を向けて立っているはずだ。それを七瀬が避けたら、お兄さんは正面から、しかも手を前に伸ばした状態で線路に倒れ込む。

 この時、七瀬がお兄さんを掴もうとするなら、背中の服とかになるはずだ。手首じゃ、あまりに遠すぎる。

 それをブレスレットを握って助けようとしたっていうのなら。

「お兄さんが、背中から線路に落ちているよね」

 落ちていく中、地上のホーム――七瀬が立っている場所に向かって手を伸ばしてる、という状況になるはず。それでブレスレットを掴んだっていうのなら、理解できる。そしてそういう態勢になるということは、お兄さんは線路に背を向けて、落ちていったということだろう。

 じゃあなんでそういう状況になったの、という話で。

 ただ足を滑らして、お兄さんが落ちたか。または、

「七瀬が落ちそうになったのをお兄さんが助けて、代わりに落ちた?」

 最悪な状況が目の前に浮かんだ。ふらっとホームに落ちそうになる七瀬。それを引っ張り上げるお兄さん。反動で、代わりに線路に投げ出されて、そのまま。


 ――お兄さんを殺したと思っている七瀬は、明日自殺しようとしている?


 自虐の多いツイート、嫌がるカウントダウン、テストの順位も落ちたっていってたっけ。

 まさか、自分が許せなくて死ぬつもりじゃあ。

 本当かどうかも分からないけれど、居ても立ってもいられなくなって、私は七瀬にツイッターでDMを送った。「明日、何する気なの?」

 2分くらい経って確認しようとして、びっくりした。ブロックされてる。

 七瀬のLINEなんて知らないし、メールなんてもってのほかだ。

 そうだ、電話があった。

 部屋のファイルを開ければ、連絡網のプリントがある。スマホで七瀬の家に電話をかけた。

 2コール目で、「はい」と声がした。男の声だったから、七瀬だろうか。

「あの、遠宮ですけど」

 ガチャンッ

「……あいつ」

 切った。切りやがった。

 なに、そんなに付いてくんなっていう訳? 吐露してキスして挙句の果てに嘘ついたとかぬかしたくせに?

 腹が立ってきたと同時に焦った。こんなに連絡を拒否されたんじゃ、いよいよ自殺するんじゃないだろうか。

 想像が全部間違っていればいい。杞憂で終わればいい。

 でも、もし、本当に死ぬつもりだったら、どうやって止めればいい?

 連絡手段は、もう何もないんだ。私は必死で考えた。




 結局、水族館に行く時に七瀬と会った駅に、4時からいることにした。

 どこに行くにしても駅には来るでしょ。というか、ここ以外で出会える場所が思いつかない。とりあえず1日駅に張り込む覚悟で、私は準備してきた。

 コート、マフラー、手袋は当たり前として、カイロ10枚に、紅茶を入れた魔法瓶、携帯の充電器もある。

 多分いつか、駅員さんに声を掛けられるだろうけど、上手く誤魔化そう。

 まだ外は暗い。ホームの天井のライトが、白々と地面を照らしてる。空は地平線すら明るくなくて、目立つ星をひとつだけ見つけた。

 それにしても寒い。さっそく1個目のカイロを開けて、手に当てる。しゃかしゃか振る音がやけに響いた。

 始発までまだ時間はあるから、駅に誰もいない。駅員さんはいるのかもしれないけれど、見ていない。

 来るかなあ、七瀬。

 来ないで、今日が普通に終わればそれでいい。本当に話は全部嘘で、自殺もしないで一日が終わればいい。私の1日返せってちょっと思うけど、勝手にやっていることだし。文句を言ってもしょうがない。

 それより、ここにも来ず家にもいないで、どこかに消えてしまったらどうしよう。そうしたらもう止められない。

 ちょっと不安になってると、階段を昇る足音が聞こえた。誰だろう、ぱっと顔をあげて暗い中、目を凝らす。


 階段の電灯に照らされて見えてきたのは、遠目からも覇気の無さそうな、ふらふら歩く七瀬だった。



 昇り終えた彼は、ホームに立って線路を見る。何十秒か止まっていたかと思うと、俯きながらこちらに歩いてきた。大方、始発が来るまでベンチに座ってようと思ってるんでしょ。

「よ」

 片手をあげて軽く挨拶したら、顔を上げた七瀬が、幽霊でも見たかのように動きを止めた。

「どうやってここに」

「タクシー」

「なんで」

「色々考えて、それに七瀬が連絡手段全部絶ったから」

「だからってなんで駅に」

「予防のためよ」

 何の予防か、言わなくても分かったんだと思う。七瀬はため息をついて、私の隣に座った。

 七瀬はまた薄着だ。コートしか羽織ってないし、その下はワイシャツっぽい。

「カイロあげる」

 もう1個封を開けて、七瀬に渡した。微妙そうな顔をするけど、私は押し付ける。しぶしぶ七瀬は受け取った。

「……あのさ」

「……」

 七瀬の返事はないけど、目が開いてるから聞いてるはずだ。

「あの話、どこまで本当だったの?」

「……全部嘘だよ」

「じゃあなんで今、ここにいるのよ」

 七瀬は黙り込んだ。すごく言いたくなさそうだ。

「……なんで私がここまで来たかって言うとね。そりゃあ七瀬に嘘もつかれてキスもされて、昨日の帰り道はイライラしてたけど」

「……ごめん」

「でも、あんなツイート見て、水族館で青ざめて泣いてたのを思い出して、ブレスレットも思い出して、カウントダウンも思い出して、それで自殺に結び付けちゃったら、放っておけるわけないじゃない」

「……」

「お兄さんと何があったのか知らないけど、何も死ななくても」

「俺が殺したようなもんなんだよ、兄ちゃんのこと」

 七瀬が言葉を遮った。手首をさする。きっとそこにはブレスレットが。

「水族館の帰り道、ふらふらしてた俺は線路に落ちそうになって。兄ちゃんが引っ張り上げてくれたけど、代わりに線路に落ちちゃったんだ。それで電車に……」

 嫌な想像が当たってしまい、思わず私は顔をしかめた。

「でも、その事故から3年経ったんでしょ。なんで今更」

「事故の時、兄ちゃんは17。俺は明日誕生日だから、明日で17。兄ちゃんの年齢と同じになるんだよ」

「うん」

「でもさ、兄ちゃんみたいにはなれないんだよ。そりゃ最初は頑張ったよ? 兄ちゃんのためにも、完璧な人間になろうってさ」

「なれないから、死ぬの?」

「親だって俺を悲しそうな目で見るんだよ。時々兄ちゃんの話もしてる。頑張れって何度も言われたけどさ。もうダメなんだよ。ダメ」

 七瀬が顔を伏せる。低く低く、誰かに謝るように。

「頭の中で、誰かが言うんだよ。『兄みたいになれないなら死んじゃえ』って。『どうせお前は何者にもなれず兄みたいにもなれず、周りに迷惑をかけるだけだ』って」

「それが『死神』?」

ツイートを思い出して言ったら、七瀬に通じたようだった。伏せたまま頷かれる。

「そうだね。脳内の、俺を許せない『俺』。それが死神」

 だから、とか細い声で七瀬は言った。

「死なせて。兄の代わりになれない俺を、兄の年齢に並ぶ前に、死なせて」

「嫌だ」

「え?」

 私のあまりにきっぱりした言葉に、七瀬が思わず顔をあげた。

「嫌だって」

「嫌よ。そんなの誰も喜ばないじゃない。七瀬、断罪のつもりで死ぬんでしょ。お兄さんだって喜ばないわよ、そんなの。せっかく助けられた命よ? 親だって悲しむわ」

「助けられた命だろうがなんだろうが、成長してない俺だよ。兄を殺した罪を償って、死ぬべきだろ」

「そういう身勝手も腹立つわね」

「腹が立つって……」

「私も、悲しむ」

 七瀬の言葉が止まった。迷うように目線を動かし、また頭を下げる。

「私は、七瀬が死んだら、悲しい」

「……昨日、あんなに怒らせたんだよ」

「じゃあ聞くけど、昨日のキスはなんだったの? ただ私を怒らせるため?」

「不愉快にさせたくてしたわけじゃなかったんだよ、ほんと」

「じゃあ理由を言いなさい」

「……言わないとダメ?」

「うん」

「……」

 七瀬の肩が、また震えた。

「……思い出」

「思い出?」

「嘘の言葉を信用して、俺に死ぬなと言ってくれた女の子を、死ぬ前に好きになってしまったから、思い出」

 ぜんぶ身勝手でごめん、と七瀬が呟く。

 ああそう、そんな身勝手許してあげようじゃないの。でも、でも七瀬。あなたは好きな人が出来たからって、自殺を留まろうとは思わなかったのね。

 なによ、なによ。キスする勇気はあるくせに。そんな身勝手はする勇気あるくせに。

 馬鹿じゃないの。

 七瀬の髪を掴んで、引っ張る。いたっ、と小さく声をあげる彼を無視して、私は自分から口づけした。

 七瀬が大きく目を見開く。

「じゃあ死なないでよ、私のために!」

 ああ、ダメだ。色々言いたいことがあるのに、泣きそうだ。

「どれだけ七瀬が苦しんでるのか分からないし、どれくらいの覚悟を持って死のうとしてるか、多分私は分からないわよ。でも死んだら悲しい。もっと七瀬と話してみたい! それじゃあダメ? その為に生きるのはダメなの?」

 零れる涙をぬぐう。届け、届け。

「七瀬もお兄さんもお母さんもお父さんもどう思ってるか私は分からないから、その人達の気持ちを予想して言って引き留めても、七瀬は止まらないでしょ? じゃあ私の本音を聞いて留まってよ。生きてよ、死なないでよ、もっと話をしようよ!」

 始発の電車の来る音がする。それを見て七瀬は、

 七瀬は、

 ――――――――――、


























 走り出す電車。七瀬はそれを見送り、私の方を向いた。

 涙にぬれた頬で、ぎこちなく笑って。

「やっぱり、生きてもいいかな」

「もしかしたら天国でお兄さんに怒られるかもね。でも、それなら数十年後に怒られればいい」

 私は力強く笑って、七瀬に抱きついた。


 FIN.

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立春の死神 キジノメ @kizinome

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