晩夏──⑦
大通りを少し歩くと、鯨ランプの灯るカフェが一件だけオープンしていた。酒類やジュースといった飲み物のほかに軽食なども提供している店らしい。
この手のカフェに入店するのは初めてのことでエコがいささか気後れしていると、場馴れしているらしいリィラがすいと木製の扉を開いて入店していった。
さして広くない店内を横切り、エコはリィラのあとに続いて窓際の席へと腰を下ろした。店内には夜行性のケダモノの姿がちらほらと見えており、それなりの賑わいを見せているようだった。天井に吊り下げられた藁や壁に並べられたモロコシ、ひび割れた車輪などを見るに、このカフェの主はウエスタンな雰囲気を好むらしい。
メニューを覗いてみると『生卵』『小麦粉を溶いた水』『塩水』『車の部品(オイル付き)』などなどずいぶんバラエティに富んでいるようだ。とりあえずエコは真水ときゅうりの酢漬けを、リィラはカプチーノとマシュマロを注文した。
「どう。この店はあたしが贔屓にしてるカフェでね。昼も夜もなくオープンしてるし女性客も多いから入店しやすいのよ。あ、あたしが誘ったんだから、ここはあたしに持たせてね」
有無をいわさぬ口調でリィラはそういうと、こほんと咳払いをした。漆黒のドレスをまとう彼女は、そうといわれなければ人間と見間違えてしまうほどに美しかった。
自分が接待を受けているという自覚を持たぬまま、エコは耳をそばだてた。
「話の続きね。あたしは北欧の出身なんだけど、人間社会は草食系男子が多くなったせいで食い入れが悪くなったんでマリアヴェルへ越してきたんだ。強いオスが多いって聞いたから東地区を選んで、しばらくは目立たないように裏路地でオスたちの精をすすったりこっそり夜這いをかけたりしていたんだ。知っているかもしれないが、あたしはサキュバスのなかでも男を扱う術にはかなり長けているほうでね。いつのまにか『美人のサキュバスにいいことしてもらえる』って噂が東地区中に広まっちゃったんだ。あたしとしては餌になるオスが自分からやってきてくれるから願ったり叶ったりなんだけど、やがてこのオスたちのなかから、あたしを独り占めしようっていう輩が出てきた」
リィラは小さく息を吸い、
「あたしはオスから力ずくでモノにされる趣味はないから丁重にお断りするんだけど、そういうオスに限って暴力をちらつかせてくるんだよね。ところがそうなると他のオスが黙っちゃいない。『テメェなにサキュバスを独り占めしようとしてんだ』って、東地区のあっちこっちでオス同士の抗争が勃発しちゃったのよ。生物の掟に従うのであれば最終的には一番強いオスが勝つんだろうけれど、話はそう簡単じゃない。ほかの弱いオスたちも負けじと一致団結して強いケダモノに挑みかかっていったわけ。簡単に説明すると『強くて好戦的なケダモノ』と『弱くて好戦的なケダモノの集団』が真正面から殴り合ったの。それで……ふう。結局、どうなったと思う?」
「え? えーっと……」
どうにか話の流れを頭のなかで整理しつつ、エコは考える。
心情的には弱いケダモノが力を合わせて勝ってもらいたい気もするけれど、現実的に考えれば……。
「強いケダモノが勝った、のでしょうか」
「そのとおり。なんだかんだいっても、弱いケダモノたちが即興で集まってチームワークを十分に発揮できるはずもなかった。シスター・エコの蟲たちと違って統率が取れていなかったせいだ。彼らが効率的な作戦を練るよりも早く、屈強なケダモノにひとりひとり狙われていって倒されていき、ついには全滅してしまった。んで、当のあたしとしてはそんな状況がまったく面白くなかったんだよね。考えてもみなよ。オスの数が多いほうが養分をたくさん搾取できるのに、エサが互いに潰しあって弱っていっちまうんだから。しかたなく何度も『あたしのために争うのはやめて』ってどこかのお姫様みたいに両方の勢力を説得したんだけど、争っているやつらはだれもあたしの言葉には耳を貸してくれなかった。そのあいだあたしは諍いから一歩退いて事態を見守っていた『強くて平和主義のケダモノ』と『弱くて平和主義のケダモノ』たちの世話になってたんだ。みんなで〝早くケンカが終わらないかねー〟なんて世間話しながらほのぼのとエッチしてた」
リィラはうんざりしたような、しかしどこか懐かしげな声音で淡々と過去を語り続ける。
「さて、ご存知のとおり東地区には気性の荒いケダモノが多いからね。サキュバス争奪戦で勝ち残ったのもそういう輩だったわけ。で、マリアヴェルのルールは基本的に『強いものに従え』でしょ? そのころは市長を除けば、まだ東地区を統率する地区長はいなかったんだ。それぞれが個人主義者で好きなように生きていたし、アクの強いケダモノたちを束ねようっていう度量の大きいオスもいなかったからね。ところがこの戦いでついにだれが一番強いかが決定したってわけ。そいつは……勝ち残ったやつは、体の半分が炭と化した鉱物タイプのケダモノで、身長が三メートル近くもあった。腕力があって身体が硬いだけが取り柄なやつだったんだけど、ことケンカにおいては腕力ってのが大きく戦局を左右するんだ。だからそいつが勝ち残っちゃったのよ」
エコはふと違和感を覚えた。彼女が語る過去は、エコが知っている現在の東地区の勢力図とまるで違うのだ。いまはリィラがトップに君臨しているはずなのだが……。
リィラは肩をすくめていった。
「そいつはあたしの腕を取って持ち上げるなり、東地区の広場まで連れ出して、衆人環視の前であたしを犯そうとしたんだ。きっと自分の力を証明できたのが嬉しかったんだろうし、賞品であるサキュバスを見せびらかしたかったのもあるんだろう。いやあ、さすがに頭にきてさ。あたしの意見なぞシカトして散々にケンカしてあたしのお得意様たちをキズモノにしてくれたあげく、女をモノ扱いだもんだからね。一泡吹かせてやりたくなった。だから、あれこれ適当に言いくるめたあとで口でしてあげることになったんだけどさ。そいつの……っていうか、すべてのケダモノは共通して〝その〟部分だけは脆弱っていうか柔らかくできてるわけよ。で、そいつが油断しているのを確認してから……こう、ブチッとね」
リィラは牙の生えた口を大きく開き、勢いをつけて閉じてみせた。
さすがのエコも眉をひそめた。ブチッという効果音をつけたということは……。
「そいつ、泡を吹いて卒倒しちゃってさ。まあ、男の一番の急所を噛み切られたわけだからさもありなんって感じなんだけどね。んであたし、そいつの身体を足の裏で踏みにじりながら、呆気にとられていたその場の全員に大見得を切ったわけよ。〝あたしはだれのものにもならん〟ってね。その場の全員があたしの啖呵に目を丸くしてたっけなぁ……さて問題。その時点で東地区でもっとも強いとされるケダモノはだれになるでしょうか」
あ。
ようやくエコにも話が見えてきた。
「つまり、東地区でもっとも強いと証明されたばかりのケダモノを、リィラさんが倒してしまったと……」
「しかも衆人環視の前でね。ところが、そのケダモノがまだ生きていたんだ。ナニを切断されただけだからまだ生命はあったんだねぇ。そいつ、目を血走らせながらあたしに掴みかかってきたのよ。あたしも油断していたし、そいつはまだあたしの足の裏にいたから、手を伸ばせば掴まれる位置にいた。正直、あたしは〝こりゃ死んだかなー〟と覚悟を決めた。なにせ真正面から戦って勝てるような相手では絶対になかったからね。あたしは目を閉じてエロスの神に最期の祈りを捧げた。そのとき、まったく予期しない方向から横槍が入ったんだ。だれだと思う? 『強くて平和主義のケダモノ』たちさ。そいつらは炭野郎のこぶしを代わりに受け止めて、あたしを守ってくれたんだ」
リィラの声音には、どこか誇らしげな響きがあった。
「すでに弱っていた炭野郎は、その平和主義者たちの助太刀の牙で呆気なくノックダウンされた。広場は水を打ったように静まり返っていた。あたしも命拾いしたおかげでへたり込みそうだったんだけど、空元気を振り絞って棒立ちになってた。で、そんなあたしのすぐそばに平和主義者たちが集ってきて傅いて、こういったんだ。〝気に入った。あんたについていきたい〟ってね。なにがなんだかわからなかったけれど、あたしも混乱していたし、なんとなく〝よろしく〟って答えちゃったのよ。で、その直後『弱くて平和主義のケダモノ』と『弱くて好戦的なケダモノ』まで集まってきて、あたしを持ち上げ始めた……そこから先は話すとちょっと長くなるんだけど、なんだかんだがあって、いまのカルマール家があるってわけ」
「はあ……」
ケダモノに歴史ありだとエコは思う。四年前といえばエコはまだ父を亡くしてまもなくのころで、生きていくだけで精一杯だった時期である。それを自分よりも年若い少女がそこまでやってのけていたとは。
ふと、エコは首をかしげた。
「……えっと。どうしてこの話題になったんでしたっけ」
「たしか金の使い道について話してたらこうなったんだよね。で、本題。そんなこんなであたしは東地区のトップに君臨したわけ。空調がきいているからっていう理由で図書館を根城にしてハーレムを結成したあと、ときおり時間が空いては図書を読んでいたんだ。しかし図書館の本はすでに七割ほどが冬の寒波を乗り切るための燃料として使われていて、ろくすっぽな本が残っちゃいなかった。そんなも裸も同然だった本棚からかき集めた小説やマンガのなかに、恋愛に関する物語があったんだ。あたし、ついそれにハマっちゃってさ。もっともっとそれを読みたくなった。だけど活版印刷なんて技術は人間しか持っていないし、他国から図書を集めるにはそれなりに金が必要なんだよね。結論を述べればそれが金を欲しがる理由ってわけ」
「……つまり、恋愛に関する本を読みあさるため、お金が必要、なんですか」
「そのとおり」
「でしたら……なんだか繰り返しになるようですが、ご自分で恋人を見つけて素敵なときを過ごされたほうがいいのでは。現実の経験はフィクションを上回る有意義な時間を与えてくれるでしょうし」
「それがちょっと都合が悪くてねぇ」
リィラはひたいに手を乗せてみせた。
「かつて〝あたしはだれのものにもならない〟って宣言してしまった以上、特定のつがいを持つのは都合が悪いのさ。加えて、仮にも東地区の頂点に立つ立場なもんだから、色恋にうつつを抜かしているなんて噂が立とうものなら、あたしの部下たちに示しがつかないし、彼らの顔を潰しかねない。まったく面倒な話さ。それでも、そんな環境であっても、あたしは恋愛に興味があって仕方がないんだよねぇ。サキュバスっていうのは、どうしても自分とオスとのあいだには損得勘定が介在してしまうのよ。彼はどのくらい逞しいか。栄養を絞れ取れそうか。自分を守ってくれるほどに強いかってね。そういう雑念の存在しない想い……純愛っていうのは、サキュバスのあいだでもなかば伝説として語り継がれているのよ。人間の恋歌のタイトルにもあったじゃないか。〝恋とはどんなものかしら〟ってね」
「なるほど……わたしにはよくわからない話です」
「なるほどなのか、わからないのか、どっちなの」
「あ、でもかろうじてわかることがひとつありました。わたし、ひとり知っております。どんなときも、だれが相手でも、無償で無限の愛をくださるかたを」
「へえ、だれそれ」
エコは貪欲に食いついてきたリィラに曇りのない眼差しを向けたまま、すっごくいい笑顔でマジでこういってのけた。
「神です」
「なるほど。それもいいんじゃない」
リィラは華麗にスルーして、それから少しだけ声を潜めて告げた。
「まあ。このことは秘密にしてね。サキュバスがこんなことを考えているって知ったら、大抵の相手にはからかわれるんだよね。男は〝おれが相手じゃダメですか〟って●●●おっ立てて名乗り出すし、女は〝男を食い散らかしてるくせに恋愛もしたことないのか〟って蔑んでくるし」
「わかりました。秘密は守ります」
そういって胸で十字を切るエコに対して、
「それでさ、シスター・エコ」
きみはあたしに隠し事はないの、とリィラが問おうとした矢先にカフェの入口扉がやや乱暴に開かれ、筋骨隆々としたケダモノが首だけ出して店内をせわしなく見渡し、リィラの姿を見つけるなり駆け寄ってきた。
「ああ、ここにいたんですかカルマールさん。トラブルが発生しまして。東ゲートに妙な人間が来て、入国させろってしつこいんでさ。このまま放っておくと市長の耳に入りかねないんで、ちと場を収めちゃいただけませんかね」
「……人間?」
エコとリィラは同時に眉をひそめた。
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