仲夏──⑤
新たな畑を開墾しなければならなくなった。
三日月とリィラ・カルマールの手前では、さも簡単に種を発芽させられるようなことを述べてしまったものの、現実問題として預かった花の種をほかの野菜と共作することは難しかった。多種類の植物を同時に育てると畑のあらゆる栄養をいっぺんに吸い上げてしまい、土が枯れてしまうためだ。連作は禁物、というのはかつてエコが人間の小学校で学んだ知識であり、ドライアドの常識である。
エコは愛用の革靴を泥まみれにしながら、裏の畑を横切っていった。今季の畑には足の踏み場もないほどたくさんのジャガイモが植わっている。それらも収穫ののち青空市場、および東地区へと卸す予定であった。
先日降った雨の露が草花の葉を滑り台にして地面へと自由落下している。地中の水分は充足しており、海藻の肥料も撒いたばかりだ。エコはポケットに突っ込んだ小粒の種子を撒く場所を探すべく、畑の奥へと進んでいった。
伸びるがままの槭樹(カエデの亜種)や黄海樹(モミジの亜種)が生い茂る先に、その荒地はあった。
硬い地表がむき出しのまま、岩の隙間を這うようにして背の低い雑草が生えているその狭いスペースは、畑としても墓地としても利用されずに放置されていた。エコがひとりで生きていく分には裏庭の畑と公園の花壇さえあれば必要十分だったのだが、いまは事情が異なる。
ここを耕そう。
エコは大地を踏みしめて瞳を閉じ、心を研ぎ澄ませ、教会の大樹に精神を重ねた。
ドライアドと生命をリンクする大樹が静かな眠りから目覚めていく。
「みんな~。危ないから離れてて~」
と、一声かけてからエコは柏手をひとつ打った。エコが従者たちになにかしら命じる際のお決まりの作法である。
それから待つこと五分。地中の蟲たちの退避が完了した頃合を見計らって、エコが大きな瞳を見開いた。
彼女が視線を送った先は、畑となる予定の荒地の中央であった。
そこに突然巨大な穴が空き、岩でも転がるかのような轟音とともに地中から丸太のような巨大な根っこが顔を出した。地表が派手に割れて、その場にあった石が散弾のごとく四方に飛散した。飛び出した根は見る見るうちに空へ向けて伸びていき、茶色い巨大な触手と化して教会の風景の一部となった。空気に晒された三十メートルほどの根っこは、ダイオウイカの足のようにくねっている。
「よいしょ」
エコの掛け声とともに根っこがその巨体を振り回し、根の尖端の硬い部分──根冠を地中に潜り込ませた。そのままフライパンでもひっくり返すようにして、邪魔な岩石を力任せに引っペがしていく。岩を持ち上げては離れた場所へ放り投げ、地面を掘り起こすことで土を柔らかくほぐしていった。
エコの根は、象でさえ手間取りそうな力仕事を易々とこなしていった。
怪物じみた根は続けざまに、根冠の尖端で地表をなぞるようにしてまっすぐな溝を作り始めた。風に晒されて固く乾燥した地表をさらに削り落としていくことで、種子を植えやすくしているのである。裏庭一帯を揺さぶるほどの地響き。やや離れた場所にある教会の分厚いステンドグラスまでもがガタガタと音を立てていた。
エコの分身である巨樹は、マリアヴェルの端々にまでその根を張り巡らせている。その範囲、およそ十キロメートル四方。中央区で平穏に暮らす常識クソくらえの精霊の根は、ケダモノシティの山や林、砂地、川辺、住宅街から海岸付近にまで蔓延(はびこ)っていた。その根は街のあらゆる場所から地下水を吸い上げさせてもらう代わりに、各地区の大地を補強し水害や地すべりからケダモノたちを守る存在でもある。ドライアドとマリアヴェルは、いわば共生関係にあった。
エコはしゃがみこんで掘り起こした土の一部を口に含み、舌で転がして味を確かめてみた。柔らかく湿り気を帯びた土にほのかな苦味が混じっている。塩気はほとんどなく、土の粒子が舌のあいだで自然と細かくすり潰されていった。
期待していた以上に土壌の栄養が高そうだ。この荒地は教会の領地の一部であるため、エコの虫たちが地中でわんさか繁殖していたのだ。ミミズを始めとするエコの虫たちが日頃から教会の土を食べて排泄してくれているため、すでに種植えにふさわしい環境へと整っているらしい。
巨木の根がペースを緩めずに地表を耕していく。
トラクターもかくやという恐ろしい力が大地をひっくり返していく。
人間たちがユンボやトラクターと呼ばれる大きな車を使って土地を耕していた姿をエコは思い出す。荒地を鋤(すき)や鍬(くわ)で汗水たらして掘り起こす時代は過ぎ去り、いまは機械文明の時代。より広い土地を耕し、より多くの農作物や家畜を育てて生活を豊かにしていく人間たちを、エコは純粋にすごいと思っている。
反面、ドライアドであるエコは車の操作法などとんとわからないし、車体のメンテナンスもまったくできない。結局は自分の能力の及ぶ範囲でできることをしていくしかないのだ。
「エコオオオオオオオオ」
そのとき教会の二階から、血相を変えたメーチェが猛烈な勢いで一直線にエコのもとへすっ飛んできた。
完全に意表をつかれたエコのふくよかな胸に幽霊少女が飛び込んできた。この世の終わりのような表情で震えながらエコにしがみつき、彼女は涙声で声を絞り出す。
「大丈夫! 足、大丈夫!」
「は、はい!? どうしたんですか、突然」
メーチェは鬼気迫る形相でエコの修道服のスカートを捲り上げた。靴下さえ履いていない生娘の素足があらわになった。
驚きのあまり悲鳴もあげられないエコの生足を上から下まで確認したメーチェはすぐさま周囲を見渡して────あれ? という呆けた顔をした。
「な、な、なにをするんですかっ」
「すごい音がしたから、地雷の爆発かと思っ……たんだけど」
「じ、らい? あの、畑を耕すので少々騒がしくなることは事前に伝えておいたはずですよねっ」
「どっかんどっかん爆発みたいな……あんなのどうきいても畑を耕す音じゃないじゃん! それとも、どっかで空爆が落とされて」
「なんだかわかりませんけど、違いますから!」
知らない単語に翻弄されつつもエコがこれまでの経緯を説明すると、メーチェは心底ほっとしたような面持ちに戻った。
シワの寄った裾を正しつつ、エコはふたたび開墾作業へと戻った。メーチェも部屋へと戻らずに精霊の土地ならしの様子を見学し始めた。
大樹の根が一渡り大地を掘り起こしたあとは、崩れた石ころや刻まれた雑草を手作業で取り除いていく段階に入る。こればかりは大樹の力を借りるわけにはいかず、エコの細腕でひとつひとつ拾い上げていかなければならない。メーチェが手伝いを買って出ていなければ、作業が終わるころには日が暮れていたに違いない。
これにて開墾終了。
およそ一エーカーの荒地が平坦に均され、石も雑草も取り除かれて、もこもこした黒土が絨毯のように敷き詰められた肥沃な土壌の誕生である。
地中にいる配下の虫たちを呼び戻したエコは、さっそくその場に三日月からもらった種を撒き始めた。先約の三日月を優先するため、リィラの奇妙な種は後日植え直す予定である。
エコが小粒な種子を撒く様子を眺めていたメーチェが、そのとき抑揚のない声音で問うた。
「……それ、エコが仕事で育てるっていってた種?」
「そうです。知人から育ててほしいと頼まれまして」
「…………あたしもこの種、育ててたことあるよ」
意外な言葉だった。
「メーチェは農家の子だったんですか? それともお花屋さん?」
「…………」
生前の記憶を語るメーチェの表情には、しかし過去を懐かしむような気配は微塵も感じ取れない。むしろ──。
寂寥の滲む湿った風が裏庭を滑り抜けていく。さわさわさわ、と畑の周辺に咲く草花が一斉にお辞儀をした。
「あたしにも、この種から生まれる花がなんなのかわからない。知る必要はないって教えてもらえなかったから。ただ、育てさせられてただけだったし。っていうか、どうでもよかったし。あのときは」
闇の奥底を這いずるようなメーチェの口調に、エコの胸中は戦いていた。メーチェの様子がおかしい。
「ねえ、エコ」
「……なんでしょう」
「その仕事、断れないの」
「できません。この花は、三日月さんのお母さんに捧げる花ですし……それに、約束です。約束を破ることはできません」
「……んー。なら、いいよ」
そういって寂しげに──というよりなにかを諦めたように唇を噛み締める幽霊の少女が、エコにはひどく大人びて見えた。
「あたしはね。エコが、どんな花を育てても、気にしないよ」
それ以上、この重く沈んだ空気に耐えられそうになかった。
エコはメーチェのほほをさすりながら、ある提案を持ちかけた。
「ねえ。メーチェも花を育ててみますか」
「えっ。でもそれ、エコの仕事じゃないの。失敗できないし、いいよ」
「いえ、仕事の話ではありません。わたしがいっているのはガーデニングのことです」
「ガー……?」
「ガーデニング。ほら、教会の入口をフジの花でトンネルのようにしたり、背の高い生垣を植えて育てたり、ああいうものです。教会の裏庭はこんなに広いですから、もっとたくさんの花で彩ってみませんか」
「んー……?」
メーチェはよくわかっていないようだった。こういう反応は子供っぽいのに、と思う。
「えっと……ほら。お花、きれいでしょう」
「エコのほうがきれいじゃん」
「ちょおっ」
エコは顔を真っ赤にして両手をブンブン振った。〝真面目だね〟〝よく働くね〟という褒め言葉はよくかけられるものの、容姿に対しての言葉はなかなかもらえないのが実情である。悲しいほど、エコは見てくれに関して褒められ慣れていなかった。
「と、とにかくですね。ガーデニングとはきれいな花をたくさん育てて、庭園をより見栄えよくすることをいいます」
「ふうん。わかった、エコがしろっていうならするよ。それ、どうやるの?」
「えっとですね……せっかくですし、この畑を半分ほど花壇として利用しましょうか。すでに耕し終えましたので、次は種を植えるお仕事ですね」
「種を、植える」
「そうです。種を植えたらやがて小さな芽が開いて、それがどんどん大きくなって、きれいな花が咲くんです。ちょっと待っててね」
そういうとエコは教会へと取って返し、倉庫から小さなビンを取ってきてメーチェに手渡した。中には小さな縞々模様の細長い種がみっしりと詰まっている。
ヒマワリの種だった。この時期に植えれば、夏の終わり頃には花開く生命力の強い植物である。水やりさえ怠らなければ園芸の初心者にも育てられる、メーチェにはもってこいの種子だ。ヒマワリの種は調理すれば食べられるため、ホーリースター教会ではいつもこの時期から育成を開始することにしていた。失敗するおそれは小さいし、この作業はメーチェに手伝ってもらおうと思う。
手渡された花の種を、メーチェは珍しげに観察しつつ、
「これ、初めてみるかも」
「なら好都合ですよ。ふたりで一緒に育ててみましょう」
まんざらでもなさそうな様子でメーチェがヒマワリの種を指先でつついて、
「これを、エコと育てるんだ。そっか。エコと、一緒にかぁ」
「では最初から教えましょうか。初めはこの種をね……」
エコは文字通りメーチェの手を取って種まきを教えていった。
すでに血の通っていない彼女の肌が、ひんやりと心地よかった。
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