初夏──④
午後三時のホーリースター教会の食堂には、ドライアドとサキュバスが向かい合ってテーブルでお茶会を開くという世にも珍しい光景があった。
リィラへ差し出した淹れたての紅茶は高級品とはいいがたいけれど、保存状態もよく上品な香りを漂わせている。砂糖なしでも舌に蕩けるような甘味を残すノドごしをエコは気に入っていた。
「美味しい紅茶じゃないの、これ」
「ありがとうございます。お茶請けにクッキーをどうぞ」
エコはテーブルの上に大皿に乗せたクッキーを置いた。焼きたてではないもののバニラ味やチョコ味、バナナ味にイチゴ味と飽くことなく舌を楽しませてくれるだけの種類を用意してある。クッキーのとなりには小皿があり、そのなかには黄金色の粘液が汲まれていた。ねっとりとした質感のその液体からは、クッキーに負けないくらい甘ったるい香りが漂っている。
リィラ・カルマールが深紅色の瞳を輝かせた。
「これ、ホエホエミツバチの蜂蜜じゃん。気前いいねぇ。もらっていい?」
「もちろんです。我が教会で働いてくれている子たちががんばって作ってくれた自家製の蜂蜜ですよ」
リィラは手近なクッキーを指でつまむと、まずは一口かじってクッキーそのものの甘味を堪能してから小さじいっぱいの蜂蜜をクッキーに乗せてほおばり、金色の眉を満足げに吊り上げて感嘆の声を出した。
「なにこれ最高。シスター・ランチェスターはさ。いつもこういう美味しいものを食べてるわけ? うらやましいなぁ」
「いえ、そういうわけでは……あっ」
「なに」
「し、失礼しました。リィラさんはその……サキュバスですし、クッキーや紅茶を召し上がれるかどうか確認をとるべきでしたね」
エコは完全に失念していた。エコは生物学に明るくないものの、ケダモノによって消化器官の造りが異なり、クッキーどころか紅茶すら口にできない脆弱なケダモノがいることは知っている。幽霊とはいえ人間のメーチェでさえモノを摂取することができないというのに、男精をすするサキュバスがクッキーを食べられるかどうか尋ねるのを怠っていた。人間とそっくりの容姿のため大丈夫だろうと思い込んでいた。
「ケケケ、その点は問題ないさ。消化にいい食物であればあたしにも問題なく食べられるから」
「そ、そうでしたか……どうぞ、たくさん召し上がってくださいね」
「シスターは食べないのかい」
「わたしは少しだけ。外の大樹を通じてシイロくんの肉体をいただいているところですから、あまりお腹は空いていないんです」
「ふうん。普段もやっぱり食事は節制しているとか?」
「あまりたくさんは食べないですね。食べるとすれば、冬眠の準備をするときくらいでしょうか」
「冬眠かぁ。ドライアドの冬眠に興味があるんだけど、どんな感じなの、それって」
「どうといわれましても特に変わったところはないですよ。冬の始まりになると徐々に睡眠時間が伸びていくようになります。一日十八時間ほど眠るようになったところで本格的な冬眠に入りますね。あとは冬が終わりを告げるまでぐっすりと眠ったままです」
「はー。ほかのケダモノの生態って知ってるようで知らないことばかりだから勉強になるね。でもそんなにお寝坊さんだと、泥棒に入られたりするんじゃないの」
「いえ、もちろん冬眠前にはしっかりと戸締りをしますよ。虫たちに警備も命じますし、教会のドアや窓は茨のカーテンで覆って侵入者を防ぎますから。そもそも、この教会には窃盗に入る価値があるほど裕福ではありませんから」
その言葉を耳にしたサキュバスが、その言葉を待っていたとばかりに八重歯を剥き出しにして凄絶な笑みを浮かべた。
「はあ。どこもおなじなんだねぇ」
「おなじとは?」
「いやなに。あたし、一応は東地区のボスだろう? 東地区の連中の悩みや相談を時折受けることがあってね。最近彼ら、満足に食事を食べられないらしくってさ」
「どうしてですか」
「単純に不景気なんだよね。この街から人間がいなくなってから四年ほど経つけれど、第一次産業はともかく第二次産業や第三次産業は廃れただろう。ガスも水道も電気も止まり、医療や観光業はひどい有様だ。それも原因でたくさんのケダモノが職を失った。人間が街を発展させるまで生業としていた農業や漁業、畜産といった純粋に〝喰うため〟の仕事に逆戻りってわけさ。あるいは、人間たちが残していった缶詰なんかの食料品を漁ったり、宝石店に残留していた貴金属品をトレジャーハントして売りさばいていたりね」
エコは黙って耳を傾けている。ケダモノの多くは学がない。それはエコも例外ではなく、こうした社会経済に触れる会話は彼女にとって新鮮そのものであった。
リィラ・カルマールはトントンと眉間を人差し指でつついて、
「しかし、モノには限度がある。スーパーマーケットの保存食や飲料水も底を尽きかけているいま、どこかから新たに食料を調達する必要が出てきたんだ」
「あの……青空市場へ行かれてはいかがでしょう。あそこでしたら、たくさんのお肉もお魚もお野菜も並んでいますし、きれいな水だって手に入りますよ」
「値段が高いんだよね」
リィラは苦笑交じりに呟いて天井を見上げた。
「市場に流通している商品っていうのは、一度卸業者を介して市場へと出回っている。畑から採れた野菜がそのまま市場に作物が並ぶんじゃなくって、別の人間が代わりに受け取って営業してくれるってわけ。ここまではいい?」
「ええ、大丈夫です。わたしも取引先の狐人、三日月さんにそうしていただいていますし」
「ただね。それをすると、庶民の手に渡るときにはどうしても価格が上がっちゃうわけよ。仲介業者がマージンとして何割かの利益を得るから仕方ないんだけどさ」
「はあ……」
マージンってなんだろうと思いつつ、エコは生返事をした。話が徐々に難しい方へ流れていっている気がする。
と、天井から顔を下げたリィラがエコの瞳を覗き込んだ。女性でも胸をときめかせるほどの美貌を前にして、さしものエコも面食らった。
「シスター・ランチェスター。そろそろ本題に入ろう」
「はい……え? 本題?」
「きみが青空市場へ農作物を出荷していることは知ってる。きみの野菜は美味しいことで街でも有名だから」
「……そ、そうなんですか、有名なんですか。初めてききました」
「しかし、きみの野菜が一度仲介業者の手に渡っているために、東地区の住民たちには手が届きにくいほどに値がつり上がっているんだよ。そこで」
リィラが身を乗り出してきた。漂う上品なコロンの香りがエコの鼻腔をくすぐる。ホーリースター教会の食堂に、得もいわれぬ色香が渦を巻いているような気がした。
「シスター・エコ。きみが青空市場へと出荷する農作物や果物、キノコ類、それに蜂蜜の一部をあたしにも納入させてもらえないかな」
「……ええっと、おっしゃる意味がよくわからないのですが。話がややこしくて」
「簡単にいうとだね。東地区の住民を助けるために、きみの畑で採れた農作物をあたしに配布してくれないかというわけ。もちろん無料とはいわない。相応の額は提示させてもらいたいと思う。あたしがきみから野菜を仕入れて、それを安値で東地区の住民たちに配布するってわけ。あたしも微々たるものだけど収入を得られるし、住民たちもお腹いっぱい野菜を食べられる。もちろんきみの懐も潤う。みんな万々歳って流れさ。どうだい。ケダモノ助けだと思ってさ。ね?」
彼女の意図はなんだろうとエコは思う。
リィラ・カルマールというサキュバスを信用していないわけではないけれど、急に取引だのケダモノ助けだのといわれても困惑してしまう。エコの農作物が目当てであることはわかるのだけれど、どうしてそれを彼女が欲しがるのだろうか。
「あたしのところの客人たちに元気がないことがあって、なんでか尋ねると食事もろくにとってないっていうじゃないか。そんなヘロヘロな肉体で図書館に来られてもできるサービスなんて限られているし、そもそもきちんと精をつけてからでないとあたしも美味しく精を吸えないっていうか」
「…………」
「……ああいや、もっとはっきりいったほうがいいか」
当惑するエコの様子を見かねたのか、リィラがさらにダメ押しした。
「あたしと友達になってほしい」
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