初夏──⑤
「……え」
まったくもって想像だにしなかった言葉をきいて、エコは完全に呆気に取られた。
友達。
わたしと。
「ドライアドは敵に回すと恐ろしいけれど、友達に持つと生活が豊かになるっていう話をきいたことがあるんだ。第一印象はお互いにあまり穏やかとはいえなかったけれど、せっかく知り合ったんだしさ。敵対するよりは仲良くなって交流を持っておいたほうが将来的にも望ましいと思うんだが、どうかな」
美貌のサキュバスがまっすぐにエコのひとつ目を見つめてきた。魂まで吸い込まれそうな美しい真紅の瞳に射抜かれて、エコはドギマギした。ほほがかっと熱くなり、思考が煮えて混濁し「あうぅ~」とか「ひえぇ~」という意味を持たない感嘆符ばかりが半開きの口から漏れてくる。
どうしよう。どう返答すればいいのだろう。
無論エコは、別段リィラが嫌いというわけではない。しかし彼女はサキュバスであり、ケダモノや人間を淫欲に溺れさせる存在であり、エコの属する教会の倫理や教義と真っ向から相対する生活を送っている女性である。男を侍らせて愛の巣を作り、気ままに精を啜る暮らしなどシスターたるエコが許していいものではない。
の、だが。
サキュバスというケダモノはそもそもさして強い種ではない。男性を虜にして味方に引き入れることで物騒な世を渡るコバンザメのような存在である。オスとサキュバスとは、栄養を分けてもらう報酬として彼らに快楽を与えるという、ある種の共生関係に過ぎない。それを否定してしまうのは、サキュバスの種としてあるべき姿と異なるのではないか。そもそも、彼女は食事をとっているだけなのだ。それが男性のエキスというだけで、だれに害があるわけでもなく、
いやいや、そんな理屈など関係ない。
友達。
その一言が、エコの胸を強く動揺させていた。
エコにも人間の友人はいた。しかし、彼らはみな、四年前の市長戦を期にマリアヴェルから引っ越してしまったのだった。現在の市長の方針によって人間が排斥されたためだ。
年齢を重ねるにつれて、異種のケダモノ同士と関わる機会も薄れていった。知り合いと呼べるケダモノはいるけれど、友達といえるほどのケダモノはいまのエコにはいない。いつもそばにいてくれるのは配下の蟲たちやメーチェくらいのものだ。
そんな自分の境遇を思い起こしたエコの胸に、小さな痛みが走った。それは、寂しさにも似ていた。だれかと関わりたいと思うのは、ケダモノも人間も変わらない。
聖職者でありながらエコはこの街のなにに貢献しているのか──と、かつてリィラから問われたことがあった。あの一言が小さなトゲとなって、エコの心にしばらく刺さったままだった。
リィラ・カルマールと友達になる。
彼女に農作物を引渡し、東地区のケダモノたちへ安値で分配する。
これは、マリアヴェルへ奉仕できるよい機会なのではないだろうかと思う。
エコは前向きに考えることにした。食物を安値で提供することは悪いことではないはずだし、飢えたケダモノが救われるのであれば、喜ばしいことではないか。迷える人々やケダモノに手を差し伸べることが、エコの本懐なのだから。
エコはゆっくりと返答をした。
「えーっと、その……はい。わたしでよろしければ。承知いたしました。農作物の件ですが、さすがに即答はできませんのでしばらく考えさせていただきますか。前向きに検討したいと思います」
その言葉をきいて、リィラは心から安堵したように椅子に深く座り直して大仰にため息をついた。
「助かるよ。東地区の代表として礼をいわせてほしい。食料品に関していえば、物価が安いに越したことはないからね。このあいだはあんなことがあったから、東地区の連中のことを嫌いになってるんじゃないかとヒヤヒヤしててさ」
「あ、いえ……別にそんなことはありませんから。取り越し苦労ですよ」
そこまで緊張することはないのにとエコは思う。エコは東地区のケダモノたちに格別な好感を持っているわけではないけれど、援助を求められた手を叩くような趣味も持ち合わせていないのだから。
リィラは星型クッキーをかじりつつ、さりげなく商談の続きを切り出した。
「了解、正式な返答はまた後日にうかがいましょ。ところで収穫物の輸送に関してだけど、東地区の男衆から何匹かよこすから、好きに使ってくれていいよ」
「輸送……ああ、たしかに東地区まではさすがにわたしひとりでは遠いですからね。中央区の青空市場へはわたしが蟲たちと一緒に台車で運んでいましたけれど」
「そうなんだ。ところで、きみの教会から収穫できる農作物はどんな種類があって、どれほどの量があるのか教えてもらってもいいかい? 農作物への対価はシスター・エコが満足いく額を提示したいと考えてるんだけど、まずはそれを知らないことにはね」
「ああ、はい。ええっと」
エコは覚えている限りの野菜と果物の名前と、そして収穫量を告げた。そのほとんどが青空市場の卸業者である三日月へと渡されるものだった。残りの農作物は自分で食べたり、次期に植える株や種として大事に保管しておく。
ふと思う。今後は東地区へ農作物を配布するとなると、中央市場の三日月へと渡す農作物の量は制限されることになるかもしれない。エコがひとりで収穫できる量には限界があるのだから。
農作物の品数を大雑把に把握したリィラは感心したようにため息をついた。
「ずいぶん大量に品出ししてるんだねぇ。参考までに、それだけの作物を引き渡した場合、三日月って狐人からいくらほどの報酬をもらってるかきいていい?」
「五百ドルくらいですね」
リィラは飲みかけの紅茶を鼻から噴出した。
「ちょっ……だ、大丈夫ですかっ?」
「えふ、おほっ。い、いやいやいや、待って待って、なにそれ冗談?」
エコが咳き込むリィラの背中をさすってあげると、眉間に皺を寄せたままリィラが呻いた。
「いくらなんでも安すぎでしょそれ。本当にそんな安値でそれだけの農作物を引き渡してるわけ」
「え、ええ。なにか問題が……?」
「問題もなにも無茶苦茶じゃないの。通常のレートを完全に逸脱しているし……あたしだったら二千ドルはきみに渡してるよ、それだけの農作物をシェアしてもらえるんなら」
「え……」
今度はエコが呆気にとられる番だった。二千ドルって。三日月さんからいただいた金額の……何倍だっけ。とにかくずっと多いことはエコにもわかる。リィラさんはどうしてそんな大金をはたいてまでわたしの野菜が欲しいのだろうかと思う。
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