初夏──③

「主よ みもとに 近づかん 登る道は 十字架に……」

 葬儀の幕開けはエコの賛美歌から始まる。子供の頃から慣れ親しんだ、神を尊び死者の安らぎを願う歌。

 エコの透きとおるアルトの声が礼拝堂に染み入った。パイプオルガンの調子が悪くアカペラで歌わざるを得ないものの、常日頃からのどの鍛錬を欠かしていないため歌唱に滞りはない。

 この葬儀の主役たるカゲトラ族の八歳の少年はいま礼拝堂の中央に横たえられた棺のなかで永遠の眠りについている。死後一日と経過していないため、遺体はまだ美しい状態を保っていた。エンバーミング処理は施されていない。死を迎えた生命は腐り土に還る──それがこの街における昔からのルールだ。

 カゲトラ族は漆黒の毛並みの美しい、筋肉質な体躯を持つ二足歩行タイプの猫に似たケダモノである。身長は成人男女ともニメートル程度で、日頃から衣服や靴を身につける習性はない。少年の体長は一メートル五十センチほどあり、長いふさふさのしっぽも加味して大人用の棺に横たえられていた。純白のシーツに敷き詰められた白いカーネーションの微かな芳香が礼拝堂に漂っている。

 少年の表情には微塵も苦しげな気配はなく、どこか幸福そうな微笑みが浮かんでいた。死因は不明。山のなかで狩りをしている最中に踏んづけた錆びた釘からなんらかの毒が体内に回ったのではないかと見られているが、人間の医者が存在しないいまのマリアヴェルでは司法解剖できるものもおらず、しょせん憶測の範疇から出ていない。

 ホーリースター教会の礼拝堂には二十人ほどの男女が集まっていた。エコの賛美歌が響くあいだに私語をするものはなく、みな一様に頭を垂れて死者の安らかな眠りを祈っている。

 参列者のうち、ふたりは少年の両親であった。普段は衣服をまとわない彼らも、今日は黒いネクタイを首にしめていた。父親は気難しい顔で瞳を閉じ、母親は泣きはらした赤い目で黙したまま棺を見つめている。少年にそっくりの兄妹もいた。まだ幼くて兄の死を理解していないのだろう。親御と手をつないだまま途方に暮れたような面持ちでじっとしていた。

 種族もまちまちな小さな子供たち五人はおそらく少年の友達であろう。それぞれに親が付き添っており沈鬱な表情で俯いていた。ケダモノ同士の垣根を越えて死を悼める関係なのだろう。

 残るひとりはだれだろう、黒衣のドレスを着たヒューマンタイプのブロンドの女性だ。上品な立ち居振る舞いが印象的なケダモノだが、俯いているため顔立ちがわからない。彼女はときどき葬儀に参列することのある顔なじみだったが、いまだにエコは彼女の素性を知らなかった。

 ケダモノは死に対し無頓着な種族も多く、エコに挨拶もなく教会裏手の腐れ穴に見ず知らずの死体が放り込まれていることも多々ある。これらは決まって知性の低い粘体タイプや両生類タイプのケダモノの仕業である。

 対してドライアドや人魚などの知性の高い種族ほど仲間の死を悼む傾向が強く、このように牧師やシスターを招いて葬儀を執りおこなうのだ。現在のマリアヴェルにおいてエコ・ランチェスターは唯一の宗教家であるため、葬式に駆り出される機会が多かった。

 ひとつ目のシスターの賛美歌が聖域に溶け込むようにして終焉を迎える。ケダモノたちに歌詞の意味はわからない。ただ、神の代弁者であるエコの歌には鎮魂の意味が込められていることを肌で感じるばかりだった。

 エコは粛々と葬儀を司る。牧師であった父の指導を受けてきたため、とりしきりは堂にいっていた。

「シイロの霊魂は神の身許へ近づきます。参列のみなさま。どうぞシイロに最期のあいさつを」

 エコから配られた白いカーネーションを手に持った参列者は順次に彼の棺に華を添えていく。泣く母親。口元を固く結ぶ父親。死の意味も知らずに華を手向ける子供たち。教義によれば、死は悲しむものではなく神の身許へ近づくための崇高にして祝福されるべきものであるとされているが、ケダモノたちにとって哲学や宗教学は難解すぎる分野である。彼らはただ、土に還る同族との別れを嘆くばかりだ。

 せめて──とエコは思う。

 シイロ少年の顔に苦痛や絶望の影が浮かんでいないことが幸いだった。熱病にうなされて世を去るケダモノの多くは苦悶に歪んだ形相のままこの世を去る。両親から症状をうかがった限りではシイロ少年も相当な苦しみを味わったものと想像がつく。しかし、彼の表情は安らかなものであった。それが両親にとって救いであればいいとエコは願う。

 少年を安置した棺が持ち上げられ、葬式の場が教会の裏手へと移された。

 腐れ穴の前に二十名を超える参列者が並び、シスターの手と大樹の根で腐れ穴へと下ろされていく少年を見送った。

 葬儀はエコの分身である大樹が遺体を喰らうことで締めくくられる。土葬が主流のケダモノシティでは、ドライアドの協力を経て土へと還るのが習わしだった。

 蟲たちが遺体を喰み、エコの根が腐肉を吸収するまでには早くても数時間がかかる。少年の遺骨は翌日に家族へと引き渡す手はずになっていた。その後、共同墓地に骨を埋めるか、自宅へ持ち帰って庭へ撒くかは家庭によって異なる。

 少年の遺体を腐れ穴に安置したエコは穴の入口をブルーシートで覆った。白い芋虫たちに亡骸が食い荒らされる場面を遺族に見せるのは忍びないためだ。

 その後、両親から締めくくりの言葉があり、葬式は幕を閉じた。シイロ少年の家族と友人たちは口々にエコと、そして黒衣の女性への感謝を述べて、帰路をたどっていく。

 ふと空を見上げると、灰色の雲が大きな手のひらを広げて街を覆っていた。この季節は湿度が高くなり雨の頻度も多くなる。大抵のケダモノは雨を苦手とするが、エコはさして嫌いではない。天から降り注ぐ水はケダモノシティの植物たちを潤してくれるからだ。貯水池や学校のプールに雨を貯めておくことで干ばつなどの非常時に活用できるし、エコの根が日頃から美味しく吸い上げている地下水の質も高まる。

 雨は神が流した涙であるとエコの父が語っていたことを思い出す。おとぎ話の類だったらしいけれど、子供だったエコにはそれが世界の真理であるように感じられたものだった。自分は、父の教えをすべて受け継ぐことができたのだろうか。

 さて、棺の片付けをしなければならない。台車に乗せた棺を引いて教会へ戻ろうとしたところで、

「シスター・ランチェスター」

 と、背後から若い女性の声がした。

 ケダモノの葬式にしばしば現れる、黒衣に身を包んだブロンドの若い女性だった。やや顔を俯けているため素顔を見せない人型のケダモノ。その声をエコは初めてきいた……わけではなかった。どこかで聞き覚えのある声である。

 と、口元に余裕げな笑みを浮かべる彼女の正体を、真正面からその美貌を確かめることでようやくエコは見破れた。あのときとは印象が違いすぎたせいでまったく気付かなかった。

「リィラ・カルマールさん?」

「ケケケ。ご無沙汰」

 さも楽しそうにリィラが哄笑をあげた。

 エコは絶句した。マリアヴェル図書館を根城にしていた東地区の女王だった。なぜサキュバスの彼女がここにいるのだろう。ホーリースター教会は淫魔である彼女からもっとも縁遠い場所だと思っていたのに。そもそも、なぜ彼女がカゲトラ族の子供の葬儀に参列していたのだろうか。

「なんて顔してんのさ。あたしがここにいるのがそんなに意外?」

「あ、いえ、そういうわけでは……背中に黒い翼が生えていらっしゃらないもので別のかたかと。それに雰囲気もずいぶん……」

「サキュバスの翼は伸縮自在だからね。室内では無用の長物だし、出し入れ自由なの」

「はあ……どうもお久しぶりです、リィラさん。もしかして、シイロくんの関係者さんだったのですか」

「ん。まあ、関係者っていえばそうなるね」

「そうだったのですか……天の国で、彼に安らかな日々のあらんことを」

 といってエコは胸で十字を切る。自分よりもわずかに背の低い美女を見下ろしつつ、さらにエコはたずねた。

「リィラさんはこの教会で執り行われる葬儀にまれに参列なさっておいでですよね、見覚えがありますよ。ただ、失礼ながら今日までリィラさんとは気づきませんでしたが……」

「まあねえ。普段しないメイクとかしてるし、ネコをかぶって大人しくしてるし、翼だっていまは背中の骨に収納してるしね。あたし自身葬式ってあまり好きになれないからすぐに帰っちゃうし」

「お好きではないのでしたら、なぜ葬儀に出席なさっているのですか」

「あたしが最期を看取った死者の葬儀に出席するくらい許されてもいいだろ」

「え……リィラさんが、シイロくんの死の床にご一緒されたのですか」

「そうよ。死にゆくケダモノに最期の夢を見せてあげるのもあたしの仕事なんだが、知らなかったのかい」

「どういうことですか」

「本当に知らないみたいね。サキュバスの能力、夢への侵入に関して」

 エコはサキュバスの生態に関してまったくの無知であった。

 ドライアドであるエコが植物や昆虫を操るように、ケダモノはそれぞれ種族によって特殊な能力を有しているケースが多い。大概のケダモノは〝豪腕〟〝瞬足〟といった肉体を強化する力であるが、サキュバスの〝夢への侵入〟とはなんだろう。

 その名のとおり、眠っている人間やケダモノの夢を操る能力さ、とリィラは笑った。

「つまりだね。死期の近づいたケダモノと契約をして、そいつが見たい夢を見せてあげるのさ。サキュバスには睡眠中にその人間やケダモノが見る夢を自在に操る能力があるからね……普段はオスから精気を吸い取るために使ってるけど。夢を見ているあいだは現実のケガや病による痛みを感じないし、恐怖も忘れられる。だから死の間際にいるケダモノにとってあたしの能力は引く手あまたってわけ。そいつらが望む夢には際限がないけれど、あたしならどんな夢だって見せてあげられるしね。もちろん代償はもらうけど」

「代償、ですか」

「寿命さ」

「?? 寿命って……」

「寿命は寿命だよ。生命力そのもの。そのケダモノの残りの命を少しいただくわけ。サキュバスにとってケダモノや人間の生命はかけがえのないご馳走だからね。なにもいつも男から精を吸引してるばかりというわけじゃないんだよ我々は」

「……あなたは、熱病でうなされていた瀕死のシイロくんから、さらに生命を、吸い取ったのですか」

 持ち前のアルトの声が冷たく固くなっていることにエコ自身気づいてはいなかっただろう。返答次第ではリィラは即座に教会から追い出されていたかもしれない。

 リィラは、まるでエコの質問を予期していたかのように絶妙なタイミングで切り返す。

「いや。寿命をいただいたのはシイロの両親からさ。あのふたり、わざわざ東地区の図書館までやってきて、シイロの苦しみを和らげてやってくれと懇願していたんだ。さすがに子供から寿命をいただくわけにもいかないし最初は断ろうと思ったんだけれど、両親が自分自身の寿命を差し出してもいいと条件を提示してきてね。そこまでいわれちゃ無下にはできないでしょ」

「…………」

「両親ふたりで一ヶ月分の寿命をいただいて交渉成立。それからはあたしも二日間付きっきりでシイロの枕元で夢操作の能力を費やしてたってわけ。これ以上苦しむことがないよう意識を奪っておいて夢に干渉する。そこまでいけば、どんな夢を見せるかはあたしの思いどおりってわけ。まあ、熱病に汚染されたゴミゴミした無意識のなかでシイロを見つけるまでが大変なんだけれど、遭遇できればあとはこっちのものなのよ。シイロに自分の死期を告げて、最期にどんな夢を見たいのかを本人からたずねてもよかったけど、適当にごまかして遊ばせてあげた」

 淡々と語るリィラ・カルマール。その口調には得意げな様子はなく、むしろどことなく後ろめたそうな気配さえあった。シイロ少年の両親がエコのみならず、このサキュバスにも謝辞を述べていたことをエコは思い出した。そして、シイロ少年の安らかな死に顔も。

「……。リィラさんが、シイロくんの死を看取ったのですか」

「まあね。坊やの寝床から離れるわけにもいかなかったし、夢の世界が閉鎖されるまでは幸せな夢を見せてあげる契約だったから」

「彼には、どんな夢を見せてさしあげたのですか」

「んー、別にぃ。人間が食べてるお菓子がいっぱいある、広ぉい遊園地に案内してあげただけ。ほら、子供ってそういうのが好きだろう。甘いものとか、楽しいものとか。息を引き取るまではそこでたっぷり遊ばせてあげて、それで終わり。まあ、多少はサーカスの出し物とかアトラクションとかに付き合ってあげたけどね」

 エコは初めて目の前の若いサキュバスに好意を持った。そして、いくばくかの同情心と共感も。

 このサキュバスは、少年から最期の苦痛を取り除くために、カゲトラ族の少年が熱病にかかり徐々に弱っていく姿を見届けたのだという。シイロの死の間際、彼女はいったいなにを思い、なにを感じていたのだろう。

 メーチェと出会った春の夜を思い出す。血まみれでベッドに横たわるメーチェが、失血と激痛によって徐々に生命力を削り取られていくのを助けることができなかった。あの無力感は、経験したケダモノでないとわからないだろうとエコは思う。

 マリアヴェルに、人間がいてくれたら、シイロは助かったのだろうか。

「そうそう、せっかくこうして知り合えたんだから、お話でもしない。少し長話になるかもしれないし、ここ借りてもいいかね」

 というとリィラは礼拝堂への入口を親指でちょいちょいと指した。

「えっ。でも、シイロくんの遺骨を腐れ穴から回収する作業がまだ……」

「終わるまで数時間かかるでしょうが。大木が食べ終わったころにまたくればいいじゃないさ。ほらほら」

 そういうとリィラは困惑するエコの背を押して、半ば強引に礼拝堂へと連れ込んだ。

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