晩春──⑩

 エコは、おそるおそるたずねた。

「つ、つまりメーチェさんは、死後、幽霊になった、と……」

『そういうこと。ランチェスターさんは、そのメーチェちゃんの死体をたしかに確認したんだろう? この上ない証拠じゃないか。死んだ人間が生き返ることなんてありえないんだから』

 エコはひたいに指を乗せて、顔を俯けた。

「死んだ……メーチェさんが……。ああ、えっと……不幸にして命を落とした子供が、幽霊になることはわかりました。では、その子供を助けるには、どうすればいいんですか」

『助けるって?』

「つまり、幽霊でなくするといいますか……生きている身体に戻すには」

『不可能だよ』

 執事猫の即答。

『その少女は〝助かる〟でも〝助からない〟でもなく〝助からなかった〟のさ。その少女はすでにこの世のものではない。死人なんだ。だからもう、手の施しようがないんだよ。食べ物を口にしても吐き出してしまうし、トイレにもいかない。もう永遠に成長できないし、眠ることもない。もちろん子供も産めない。当然だけれど、生き返る可能性は皆無さ』

 エコの呼吸が乱れていく。信じられない情報が雪崩となって彼女の思考を埋めていく。

「あ、う……でも、だって、あの子はちゃんとしゃべりますし、歩きますし……幽霊っていっても、普通の人間とほどんど変わらないんです、よね?」

『そこが厄介なのさ。幽霊の外見は生きている人間と見分けがつきにくいんだ。でも、存外にあっけなく彼らは正体を露呈させるケースが多い』

「……どういう意味ですか?」

『大抵の場合、彼らはすでに発狂しているからだよ』

 エコはこのときようやく、執事猫が無表情になっていることに気がついた。

『彼らの言動は高確率で異常をきたしている。死んで幽霊になった直後にひとを襲ったり、器物を破損したりと破壊衝動に駆られるままに暴れまわるそうだよ。死んでなおこの世に留まっていられるほどのストレスや憎悪を溜め込んでいれば、そうなってもおかしくないのかもしれないね』

「…………」

『幽霊は非常に危険な存在だといわれているんだ。実際に過去、幽霊の暴走によってたくさんの人間が犠牲になっているのさ。有名なものではイギリスが発生した事件が有名かな。幽霊となった少年が鉄塔の支柱を固定していたビス二百本を同時に外して塔を崩落させ、三十人以上もの死傷者を出した悲劇だよ。幽霊には特別な力があり、手を触れずに物体を動かすことができるんだ。ポルターガイスト現象とも呼ばれているね。その幽霊は倒壊する塔を見て笑い転げていたそうだよ』

「そんな……どうしてその幽霊は、そんなひどいことを」

『動機は不明さ。犯人の幽霊は、事故を引き起こした直後に消滅が確認されてるんだ。直接本人に尋ねることができなかったため、本当の動機は藪の中だよ。ただ犠牲者の中に、その死んだ少年の家族らしき人物が確認されているから、おそらく動機は怨恨じゃないかといわれているね。その少年の家の地下室を調査したところ、全身に打撲や骨折の痕が見られる少年の死体が発見されたんだ。おそらく虐待を受けていたのだろうと推測されている。彼は死後、魂だけの存在になって家族に復讐を果たしたってわけさ。罪のない一般人を巻き添えにしてね。詳しくは二〇九ページを見てね』

「…………」

 エコはめまいを覚えた。

 家族を、殺す? 自分の家族を、子供が? 想像さえできない。エコには絶対に無理だ。自分の家族を手にかけるなんて。

『ちなみに、その少年の幽霊はビスを外すために霊力を使い果たした結果、霊体を構成することができなくなって霧のように消えてしまったらしいよ』

「……。どういう、ことですか」

『幽霊には霊力というある種のエネルギーが体内に蓄積されているんだ。それを使い果たした瞬間に幽霊は消滅してしまうという話だね。そのエネルギーも時間の経過とともに充填されるという説が濃厚だそうだけれど、まだ裏付けはされていないようだね』

「消滅って……く、詳しく説明してください」

『幽霊が辿るとされる末路は、現在確認されているだけで二通りあるみたいだね。ひとつは強烈な電流に触れることで核となるアストラル体が霧散、消滅するケース。もうひとつが、持ちうる力をすべて消費しつくし、衰弱ののちに自己消滅するケース。かいつまんでいうと、強い電気を当てて霊体を分解させるか、力を使い果たせ弱らせることで自滅させるかだね。かつて人類が電気を使いこなせるようになるまでは、後者しか幽霊を撃退する方法がなかったらしいよ。幽霊をわざと怒らせて霊能力を浪費させて、動けなくなったところを地面に刃物で串刺しにしたんだって。おっかないね』

 電気。衰弱。ああ、このキジトラ猫はなにをいっているのだろう。

 吐き気がしてきた。

『それ以外に幽霊をこの世から消滅させる方法は、いまのところ見つかっていないね。だから電気の共有のない状態で幽霊と出会ったら非常に危ないんだ。もしも幽霊を見かけたら警察か市役所に通報しなくちゃだめだよ。放っておいちゃ危険だからね』

「いえ、でも……そんなはずないんです。彼女は、暴れたりしていません。幽霊なのかもしれませんが、危険な存在なんかじゃないんです」

『もしも幽霊を見かけたら警察か市役所に通報しなくちゃだめだよ。放っておいちゃ危険だからね』

「ですから、いったとおり」

『もしも幽霊を見かけたら警察か市役所に通報しなくちゃだめだよ。放っておいちゃ……』

「もういいです。もうやめてください」

 エコが声を荒げると、執事猫がシルクハットを振りつつエコへお辞儀をした。この猫は所詮はプログラムされた通り動くに過ぎないのだろうか。

『わかった、やめるね。ほかに知りたいがあったら、あとひとつだけ答えられるよ。もう五分ほどで充電切れにより省エネモードに入ってしまうからさ。起きられるのはまた明日の今頃だね』

「あとひとつ……」

 省エネモードなるものはよくわからないが、おそらく機械的な意味での眠りについてしまうのだろう。

 時間が残りわずかだが、なにをたずねるべきかわからない。聞きたいことが多すぎて思考がこんがらがってしまっている。

 人間が排斥されているマリアヴェルから人間の暮らす世界へ戻せばメーチェは安全に暮らせるとばかり考えていたが、その内実は正反対だった。

 幽霊と化したメーチェを人間社会へ戻せば、人間たちはメーチェの存在を許さないらしい。

 彼女は、ケダモノシティの中でも外でも、居場所がないのだ。いや、幽霊の対処法が解明され、周知されているだけ人間世界のほうが危険だ。

 ならば──。

 エコは胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「もしも」

 質問が決まった。

 エコは固く閉じていたまぶたをゆっくりと開き、抑揚のない声音で問うた。

「もしも人間の法律の及ばない土地で、凶暴ではない、ごく普通の少女と同じような幽霊と遭遇したとき、その土地の住民はどのように彼女へ接するべきですか」

『…………』

 執事猫が微動だにしなくなった。このような複雑な質問は想定していなかったのかもしれない。

 検索マシンの内部からなにかが震えるような電子音が響いてくる。マザーボードがせわしなく内部処理をおこなっているその音が、エコには必死で答えを導き出そうとしているようにきこえた。

 一分ほど時間をかけたのち、執事猫がやれやれとばかりに肩をすくめた。

『質問が難しすぎて答えることができないよ。ただ答えられるのは、幽霊は電気で分解される際に多大な苦痛を覚えるらしいということと、どちらの消滅条件も満たされなかった場合には、幽霊はいつまでもこの世に存在する可能性が高いことかな。ただ、その土地の住人が幽霊をどうしようと、それは彼らの自由だと判断されるかな。なにしろ法律がないのなら、通報の義務という法的拘束力が発生しないのだからね。その幽霊がいつ暴走して何人を殺害するかまでは予測不能とだけ返答するよ。じゃあ、そろそろ時間だから僕は休むよ。最初にいったとおり会話の記録はすべて抹消しておくね。おやすみ、ランチェスターさん』

 直後、執事猫が元気に跳ね回っていたディスプレイから光が消え失せた。最後に『メッセージメモリー デリート』という表示だけを残して。

 無音の世界にひとり、エコは取り残された。

「…………」

 エコは右手に抱えた本『第二の生』を大事そうにカバンへしまい、会議室の扉を開けた。

 リィラ・カルマールがエントランスを横切るエコへとなにか語りかけてきたようだが、二言三言やりとりをしただけで、ほとんど会話の内容は覚えていない。

 自動ドアを抜けたエコは、いまだに意識を失って痙攣しているネズミ男の腹を踏んづけたことにすら気づかず、ふらついた足取りで図書館をあとにした。

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