晩春──⑨

 本棚に並ぶ書籍たちの背表紙は、どこかおどろおどろしい雰囲気をまとうものばかりで、手に取るのを躊躇ってしまうほどだった。なかには人間の皮膚を模した本まである。どうしてこんな場所に案内されたのだろう。

 エコはなるべくほかの本に目を向けないようにしつつ、目的の本を見つけ出した。分厚い装丁が特徴的な学術系の本だった。背表紙には『第二の生』。

 この本に、メーチェが体験した現象に関する情報が記載されているのだろうか。

 ページを開くと、

〝二十一世紀半ばに差し掛かろうとする現在でさえも彼らの正体を完全には掴めていない──〟

〝これまでに確認されたなかでもっとも世界に害を及ぼしたのは1958年にイギリスで発生した──〟

〝あるいは染色体異常によるものか。二十一世紀も半ばに差し掛かろうとするこの世界に溢れる環境ホルモンとオゾンホールの破壊による紫外線量の──〟

 などなど、その他は難解な語彙が用いられているため、エコの知識では解読できそうになかった。辞書があればいいのだが……。

 ようやく入手できた本を抱えながらエコは検索マシンのところまで戻り、

「見つけました。この本で間違いありませんか?」

『そう、それそれ。ランチェスターさんが入力した現象とそっくりの事例がその本に載っているはずだよ』

「現象? わたしは症状について説明したと思うんですが……そうそう、この本ですが、難しい言葉が多いため読み解くのに辞書が必要なんです。どこにありますか?」

『辞書なんて必要ないよ。その本の背表紙に小さなカードが貼り付けられているだろ? それをこのマシンの画面へかざしてごらん』

「? こうですか」

 いわれたとおりにすると、乾いた電子音とともに画面から白い光が発せられた。

 画面から本をどけると、執事猫が得意げな笑みを浮かべつつシルクハットの指でいじっている姿があった。

『読み取り完了。音読モードに入ってもいいかな?』

「おんどくもーど?」

『この本に書かれている内容はすべて、このデジタルカードに記録されているのさ。この検索マシンは本のありかを利用者に教えるだけじゃなくって、こうして読み取った本の内容を音声に乗せて教えることが可能ってわけなんだ。目が見えないひとのための機能だね』

「ええっ。そんな便利なものがあるんですか」

 エコは人間の技術力の高さに目を見張るばかりだった。翼もないのに空を飛び、どの季節にもどんな野菜や果物でも栽培でき、このような機械まで作ってしまうとは。

 とにかく、本も満足に読み解けないエコにとっては渡りに船だった。

「ぜひお願いします。えっと、どこから読んでもらうのがいいのでしょうか。わたしにもわかるように解説していただけますか」

『それがぼくの使命だからね。じゃあ、この本を序説から読むか、かいつまんで説明するか選んでちょうだい』

「え。えっと……」

 序説ってなんだろう。よくわからないままエコは序説から読むように頼むと、急に鹿爪らしい口調になった執事猫が『かつて●●大学で行われた実験を参照にして●●教授が唱えた説によると、●●国の●●という地で●●という新たな仮説が●●──』と饒舌に語りだしたため、エコは慌ててストップをかけた。これでは時間がいくらあっても足りないし、そもそも説明が難解なため理解が追いつかない。

 かいつまんだ説明を求めると、執事猫はこほんと小さく咳払いをしたのち仕切りなおした。

『あなたが入力したデータを元にこの本の内容を照合した結果、その少女に起きた現象に関する僕なりの推測がまとまったよ』

「え」

 なんとこのマシン、内容をまとめて推論を導き出すことまでできるらしい。

「お願いします。その少女には、いったいなにが起こったのですか」

 言葉を選んでいるかのような沈黙のあと、執事猫は口を開いた。

『その少女はおそらく幽霊(ゴースト)になったんじゃないかな』

「幽霊……ですか?」

 幽霊。どこかできいたことのある単語だった。たしかホラー映画でそんな存在が出没したような気がするのだが……。

『幽霊(ゴースト)とは悪霊(ファントム)とか亡霊(スピリット)とも呼ばれる存在さ。死の瀬戸際に膨大な恨みや憎しみ、怒りを心に宿した子供の魂が悪霊となって蘇るとされている。幽霊になるのは子供のみと言われているね。もっとも、この科学万能で飽食の時代には滅多にお目にかかれないらしいけれど。食べるものにも寝るところにも不自由しないこの世界で、そこまでの怨みや憎しみを抱いて命を落とす子供は探すほうが難しいだろうし。だからこそ現在は、幽霊という存在そのものが忘れられかけているのさ──それこそ、映画や小説といったフィクションにしか登場しない程度にね』

「ちょ、ちょっと待ってください」

 いま、執事猫はなんといった。

 命を落とす、とは、どういうことか。

 死ぬ、ということか?

 いや、たしかに一度メーチェは息を引き取ったように見えたが、いまもぴんぴんして……。

『さっきランチェスターさんが教えてくれた少女の特徴が、どれもこれも幽霊のそれと当てはまるんだ。ランチェスターさんは墓穴の中で少女の骨を見たといっていたよね。しかし少女本人は生前の姿であなたが確認している。死体とは別に本人の姿をした少女が存在していること。ものを食べられないこと。眠らないこと。トイレにいかないこと。体温が低いこと。体重が極端に軽いことなど、すべてが幽霊の特徴そのものさ。詳しくはその本の一四七ページをチェックしてね』

 いわれるがまま、エコは書物を紐解いてそのページをめくった。

 そこには、ひどく顔色の悪い子供が自分の死体を見て佇んでいるイラストが載っていた。そして箇条書きで、先ほどエコがあげた特徴がすべて記されていた。

 落ち窪んだ少年の瞳には、理性の輝きが片鱗も見いだせなかった。

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