晩春──⑧
時間が惜しかった。
室内にだれもいないことを確かめたエコは、さっそく検索マシンを起動させることにした。
それは四年前に図書館を訪れたときにエコがこの図書館でお世話になっていたものと同じタイプのものだった。細長い立方体の無骨な鉄箱。箱の上部には液晶画面があり、そこを指でなぞって文字を入力したのを覚えている。
鉄板でコーティングされた箱のサイドには〝マリアヴェル図書館〟という印字がされており、動物を模した子供向けのシールがあちこちに貼られていた。マリアヴェル図書館は子供たちの遊び場としても親しまれていたものだ。さきほど図書館周辺の児童公園に遊具が置き去りにされていたのをエコは思い出した。
エコは箱の前に立ち、液晶画面を指でなぞった。たしかこれで……。
ポーン、と軽快な電子音が鳴り響き、真っ黒だった画面が白い光の海で満たされた。うまく起動できたらしい。
ディスプレイを覗き込むと、画面の正面に仰々しいフォントで『いらっしゃいませ』という文字が浮かんだ。
画面の下側には、黄土色と白色の文様がファニーな四頭身のキジトラ猫が、執事服を着てステッキを振っている姿があった。襟元できちんと締めた藍色のネクタイが似つかわしい。
エコは懐かしさのあまり口元を緩ませてしまった。彼はナビゲーターといい、利用者に検索の報告をしてくれたり、図書館の見取りを解説してくれたりと、いろいろ便利な仕事をしてくれるキャラクターである。彼のほかにもボールのようなロボットやスーツを着た女性といったモデルがいたはずだけれど、いまは子供向けに設定されているのだろうか。
小さな猫がふにふにと踊る画面の右端に小さく『20/05/2034』と表示されている。もう五月二十日になるのか。ついこのあいだ冬眠から目覚めたばかりだと思ったのに、季節の移り変わりは早いものだ。
謎のダンスを踊っていた猫を指先で撫ぜると、ようやく彼は踊りをやめてエコのほうを振り返った。彼の口の開閉に合わせて、どことなく滑稽な合成ボイスが流れてきた。
『マリアヴェル図書館へようこそっ。ご利用されるかたの市民ナンバーとパスワードを入力するか、指紋認証をしてちょうだいね』
指示に従ってエコが画面横に備えられた四角く平らなスペースに人差し指を乗せると、指紋を認識したらしく軽快な電子音とが鳴り響き画面上部にエコのプロフィールが映し出された。
『市民ID 1192296
名前 エコ・ランチェスター さま
性別 女性
種族 ドライアド・ヒューマン
住所 マリアヴェル中央地区 1-1-1 ホーリースター教会』
エコの個人情報はすべて間違いなかった。この図書館のデータは人間がいなくなったあとも保存されているらしい。市民ID……ずっと忘れていた言葉だ。もはや市民IDという概念が意味を成さなくなってから四年の月日が経過していた。
懐古の念に浸っていると、ネクタイを締めた猫が丁寧にお辞儀をし、スピーカーから子供じみた声が発せられた。
『ご利用目的を教えてね』
画面へ指を伸ばしかけたエコは、ふと思い出した。このマシンは確か音声認識も可能だったはずだ。
利用者の声を読み取るためのマイクは画面のすぐ脇に設置されていた。エコは検索マシンのマイク部分へ向けて控えめにしゃべった。どうしても確認しなければならないことがあるのだ。
「調べたいことがありますが、その前に確かめたいことがあるんです」
『なんなりとどうぞ』
鉄の箱内部でカタカタと軽快な電子音が鳴り響かせて、猫が軽やかに後ろ足でホップステップし始めた。
エコは、意を決してたずねた。
「あなたは、秘密を守れますか」
少しの沈黙のあと、猫が答える。
『秘密を守るというのは、なにについて調べたのかをほかのひとに知られないようにする、ということかな』
「平たくいえばそうです」
『簡単さ。閲覧履歴を削除すればいいんだよ。自分以外の市民の検索データを参照するには特別な許可が必要になるから、そもそも他人にのぞき見される恐れはないんだけどね』
その一言が、エコの口を軽くさせた。
「わかりました。ところで、わたしがなにを調べていたのかを、あなたがほかのひとに知らせることはありますか」
『ないない。エコ・ランチェスターさんの個人情報はすべて個人情報保護法によってプロテクトされているから、だれの耳に入ることもないよ。ぼくがほかの利用者や職員にしゃべることも決してないから安心してね。履歴の削除はご希望とあれば、ご利用後にすべてデリートさせてもらうよ』
「よ、よくわかりませんが、秘密にしていただけるんですね。よかった……是非、その処理をお願いします」
ここまで念を押されれば、エコの心配も払拭されるというものだ。
この検索マシンで閲覧した情報が万一、リィラ・カルマールに漏れれば、彼女のことだ。面白半分に首を突っ込んでくるだろう。
『それで、どんな本を探しているのかな?』
「人間の病気、あるいはケガに関する資料です。たぶん、お医者さんが読むような本だと思うのですが、わたし、そういうのが詳しくなくて」
『うんうん。ちょっと待ってね』
軽快な電子音。
『見つかったよ。D-2の棚が医学関連の書籍になっているよ。もっと絞り込んで探すかい?』
「絞り込んで……?」
『D-2の棚には二百冊以上の本がずらっと並んでいるんだ。しかもたっくさんのジャンルが軒を連ねているんだよ。そのなかから適切な本を探すために〝どんな本を探しているのか〟をより正確にインプットするのさ』
「そ、そんなにたくさん本があるのですか」
『インプットは簡単さ。〝おしりが痛い〟って教えてくれればその痛みをなくす本を探してあげるし、風邪を治したいのなら薬効のある食べ物が記載された図鑑を探してあげるよ』
なんて便利なんだろうとエコは思う。メーチェの症状に関する本をピックアップする手間が省けるならば、それだけ早く彼女の具合を和らげてあげることができるはずだ。
エコはなるべく詳細に説明することにした。庭に倒れていた少女。致命傷だったはずなのに穴から出てきたときには完治していたこと。食事を食べるとすぐに吐き出してしまうこと。睡眠障害らしき症状を患っていること。メーチェが人間であることは伏せて症状を克明に語った。
ディスプレイの執事猫がぱらぱらと本をめくっている。おそらく検索していることをアピールしているのだろう。丸っこい腕が器用にページを捲る仕草が愛らしい。
しばらくして、執事猫が鹿爪らしい面持ちで本を閉じた。
『エコ・ランチェスターさん。お探しの本はさっきの場所にはないみたいだね。正しくはF-6番の棚、上から二番目の段の左から六番目にあるよ。タイトルは〝第二の生〟だよ』
なぜか指定の場所が変わったことに小首をかしげつつも、エコは立ち並ぶ本棚の合間をすり抜けていった。
ふたたび本棚の森に迷い込むエコ。会議室に持ち運ばれた書物はジャンル不問のようだった。絵本や美術関連の本、歴史書に医学書までが網羅されていた。カルマールさんは読書に関して悪食なのだろうか。
やがてエコは指示された場所へとたどり着いた。本棚の側面に貼り付けられた看板には、こう書いてある。
〝オカルト関連書籍〟
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