初春──⑭
エコは、つっと目を細めてメーチェを見つめ、質問を変えた。
「メーチェさん。ご家族はどちらにいらっしゃいますか」
ふっとメーチェが口の端を歪めた。それは、十二歳という若さには似つかわしくない、ひどく疲れた雰囲気を漂わせる笑みだった。
「家族なんて、いないし」
「え……では、マリアヴェルへくるまではどこで暮らしていたのですか?」
「…………」
「どこか、行くあてはあるのですか? 普段寝泊りをしている場所とか」
「だから、下水道」
「そんな場所で、人間が暮らすのは難しいでしょう」
「でも、ウソじゃないし。一週間くらいそこでじっとしてたよ。ネズミにさえ気をつければわりと静かな隠れ家だし、夜のうちに外へ出て小川の水を飲めばまずだれにも見つからないし」
「ああ、そんな……」
知らぬうちにエコの声はかすれていた。こぶしを握りしめ、肩を震わせていることに自分で気づいていない。
ウソだと思いたかった。こんな人間の子供が、ケダモノでさえ忌避する汚らわしい空間で寝泊りをしているなんて。浮浪児、という単語がエコの脳裏をよぎる。
エコは両手でひたいを押さえてテーブルにひじをついた。
「メーチェさんは、これからどうなさるおつもりなんですか」
「どうって……」
メーチェが小さな声でぼそぼそと答える。
「どうもしないよ。また下水道に戻るか、だれも使ってない廃屋を見つけてそこに隠れるつもり」
「……なんのためにそこまでして、マリアヴェルに滞在なさっているのですか」
沈黙。
「メーチェさん。悪いことはいいませんから、マリアヴェルは危険ですから去ったほうが」
「絶対やだ」
メーチェが泣き声にも等しい声をあげた。伏し目がちだった顔を上げて真っ向からシスターを見据えるその相貌には、ある種の狂気が宿っていた。
「ケダモノシティの外には戻りたくない。戻るくらいなら、この街にいるほうがましだ」
「けれど、あなたはこの街にいたためにだれとも知らないケダモノに襲われて命を落としかけたのですよ」
「いいもん」
これまで淡々と受け答えしてきた少女が、激情という炎を吐き出し始めた。しかし肝心の事情を語ってくれる節がない。
なぜ、彼女がマリアヴェルにいるのか、まったくわからないままだ。
が。
「……わかりました。では、あなたさえよかったら」
エコは一息つき、
「この教会にしばらく身を寄せるのはいかがでしょうか」
「え」
いきなりの提案に、メーチェが面食らった顔をした。その瞳に動揺と疑念の波紋が揺れている。
「この教会は路頭に迷ったかたへ屋根を貸しています。ずっとは無理だけれど、新しいお家が見つかるか、あなたが街の外へ戻る決心がつくまでのあいだだけ、あなたにお部屋を用意します」
「え、でも」
「あなたのような少女を下水道などに住まわせるわけにはいきません。そうでなくても人間はケダモノよりも身体が弱いものなのですよ。不衛生な場所にいて病気にかかったらどうするのですか。それに下水道といえどケダモノの出入りがないとは限りません。ホーリースター教会ならケダモノの立ち入りを制限できますから、下水道よりは安全でしょう」
「…………」
「ただし屋根を貸せるのは、街の外であなたの新しいお家が見つかるまでです。あなたが暮らせる場所をわたしがマリアヴェルの外で見つけてきますから、そうしたらメーチェさんの安全のためにも、この街を去ることをおすすめします。それでいかがですか、メーチェさん」
「え。えっと」
メーチェはぽかんと口を開けたままエコを凝視するばかりだった。
「なんで、そこまでしてくれるわけ。おかしいじゃん。あたしたち、会ったばかりなのに」
「なにもおかしくありませんよ。当然のことじゃないですか。困っているひとを放っておけるはずがないでしょう」
神の御心のままに、と父なら表現したかもしれないな、とエコは思う。聖書すら半分も読み解けないいまの自分には、神の御心のなんたるかがいまいち判然としないけれど。
呆然とする様子のメーチェを差し置いてエコは立ち上がりランプを手に取った。
「この教会は修道院もかねていますので、修道士用の私室はいくつかあります。ベッドメイクしてきますので、もう少しだけここでハニーティーを飲みながらお待ちください。それとも一緒に部屋までおいでになりますか」
「あ、い、一緒に、いく」
メーチェは慌てて腰を上げ、ぐすんと鼻を鳴らした。どこかすれた雰囲気を漂わせていた少女が初めて見せた子供らしい仕草だった。
ひんやりと寒い教会の廊下を歩いていると、背後から少女の声が聞こえた。
「……ありがとう……」
「いいのですよ」
少女のお礼の言葉を耳にして、エコはようやく胸を撫で下ろすことができた。
いまは少女の身元に関して深く詮索するのはよそうと思う。だれにだって事情があるのだから。
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