第2幕「師匠と奴隷」

「つまり、全部師匠がやったんですね?」


「まあ、そういうことです」


 大きくため息をついてから、詠多朗は昨日の出来事を思いだす。


 バトルで気を失った落花が眼を覚ますのを陰から見守ったあと、詠多朗は彼女に見つからないようリディとその場を去った。リディはトイレに行った後だったが。

 落花は、詠多朗の奴隷となった。しかし、詠多朗は彼女をどうこうするつもりは毛頭なかった。涼子の件のために連絡先などは彼女の持ち物から確認しておいたが、今後は直接会わないようにしようとしていたのだ。


 もちろん、かわいらしい女子高生を自由にできるということ自体は、魅力的で魅惑的だったが、詠多朗は物語士カタリストとカードの力をどこか空恐ろしいものと感じていたのだ。

 運命をねじ曲げる物語士カタリストカードの力。書いてあることが、生死の運命さえもねじ曲げる。それはもう人間の力の範疇を大きく超えている。これを自分の欲望のままに振るえば、きっとどこかで反動が来る。

 これは別に確信があってのことではない。彼が読んだり見たりしてきた多くの物語に存在する「お約束」に似ていたからだ。大きな力を使えば反動が来る的なお約束。等価交換、代償……力にはエネルギーがいる。だいたいどの物語でも、これはお約束として存在する。

 無論、「そんな物語のお約束ごとなど馬鹿らしい」と笑いとばされるかもしれないが、そもそもが「物語を語る馬鹿らしいゲーム」なのだから笑いとばすわけにはいかない。

 要するに、このカードゲームは謎が多すぎる。


 それに落花とは約束をしていた。「悪いようにはしない」と。カードのせいで彼女がこれ以上、悲しまないようにしてあげたい。

 しかし、落花の方は詠多朗の奴隷として奉仕することが当たり前だと思っているはずだ。それどころかつくしたくてつくしたくて、たまらなくなっていることだろろう。なにしろ、落花は詠多朗を愛しているのだ。エンディングカードの力で。

 しかも、詠多朗はエンディングカードを自分に対して使っている。この場合、敗者である落花は物語士カタリストとしての記憶を失っていない。つまり「自分が詠多朗のことを好きなのはエンディングカードのせいだ」とわかってしまっているのだ。強制的に好きにさせられたという事実と、それでも好きだという感情が同居した場合、最悪彼女の心が壊れてしまうかもしれない。

 ならば自分は、落花の側にいない方がよいと思っていたのだ。それで多少は違うだろうと。


 ところが、リディがすべてを台なしにしていた。詠多朗の気づかいなど、見事なまでに跡形なく、後腐れないぐらいに粉砕し、後々まで引っぱる形にしてくれた。


 確かに落花と別れてからしばらくし、リディは用事があるからと別行動をとった。そして夜中になっても帰ってこなかった。見た目は13~14才の少女だが、彼女に限って何かあることは考えにくいし、今までも夜中にいなくなることは何度もあった。だから、またかと言うぐらいにしか詠多朗も思っていなかったのだ。まさか、落花と接触してしかも家に連れてくるとは思いもよらなかったのである。


「師匠、どういうつもりです?」


 12畳ぐらいの和室。細工の施された重厚なテーブルを挟んで、薄い笑いを浮かべるリディを詠多朗は睨む。しかし、そんな視線が彼女に通用しないことは痛いほどわかっている。


 ふとリディの隣に座る落花に視線を動かす。

 目と目が合う……と彼女は、すっと目線を下にして顔を伏せた。自分の学校の制服なのだろうか、セーラー服姿の体を小さくして縮こまってしまう。

 そんな申し訳なさそうな空気を纏う彼女に対して、詠多朗は何も言えない。なにしろ、彼女に非はないのだ。

 だから無駄とはわかりつつも、リディを問いつめるしかない。


「年頃の女の子が外泊なんて……。彼女の家族が、きっと心配していますよ」


「しないようにしておいたわ」


「しっ、師匠! 貴方はいったい何を――」


「本当に貴方は肝心なところがバカね、詠多朗」


 そう窘めると、リディは詠多朗が淹れていた日本茶に手を伸ばした。湯飲みをそっと手にして、ふぅふぅと息を吹きかけてからほんの少し口に含む。しかし、まだ熱かったらしい。リディは熱いのが苦手なため、そもそも詠多朗がかなり冷ましてから持ってきている。それでも彼女は、その小さな唇を細くして何度も息を吹きかけた。


「どういうことです、師匠」


 あまりにずっと、ふぅふぅとしているので焦れた詠多朗は急かした。


「僕は、彼女が辛くならないように――」


「だからバカなのです。この子が本当に辛いか確認したの?」


「……え?」


 リディが肘で落花をかるく小突く。

 すると落花は、ハッとしたように顔を上げ、小さくうなずいてから、まん丸とした両目で真っ直ぐと詠多朗を見てきた。

 その迫力に詠多朗は少しだけ身を退く。


「ボ、ボクはご主人様に奉仕できない方が辛いんだ! ……じゃなくて辛いんです!」


「……わかっているよね? それは本当の気持ちじゃない。エンディングカードのせいだ。君と僕は昨日、遭ったばかり。君が僕にそんな――」


「わかってる! それはわかっているんだ!」


「なら――」


「――でも!」


 落花は両手をつき、テーブルに体をのせてかぶせるように、言葉もかぶせた。


「ご奉仕したいって気持ち……ボクだって考えたんだ。この気持ちが本当かどうかとか、いろいろ。確かにご奉仕したい気持ちは、カードのせいだとは思う。でもね、そういうのって結局、もうよくわかんなくなっちゃているじゃん!」


「しかしだな……」


「それにさ、ボクね……その……ほら……」


 打って変わって言いよどみ始めた彼女は、のりだした身も退きながらまた体を縮こめる。


「あのさ……嬉しかったんだよ?」


「……? なにがですか?」


「ご主人様さ、なんだかんだ言って、バトルでボクに気を使ってくれていたじゃん。ボクがなるべく困らないようにとか……凉子さんのことも……それにボクが1年で死なないようにしてくれたし」


「それはついで・・・です。それにたとえば僕が今日、死んだら何の意味もありません」


「うん。それもわかってる。でも、やっぱさ、嬉しかったし、思ったんだ。ご主人様は本当にいい奴……じゃなかった。いい人だなってさ」


「……買いかぶりすぎです」


 詠多朗は動揺を隠すように黒縁眼鏡をクイッとあげながら、少し目線を横へずらす。


「本当にいい人なら、あなたに勝ちを譲っているでしょう」


「それができないことは、ボクだってわかっているもん。ボクたち物語士カタリストは、譲れないのためにっている。譲れない物語がある。でもさ、ご主人様はそんな中で、ボクにいろいろと譲ってくれた。そう思ったらさ……負ける瞬間、思ったんだ」


「……なにを?」


「あっ、あのさ……えーっと……なんか、その……この人……好きだな~ってさ」


「えっ?」


「一目ぼれってわけじゃないけどさ。あの時ね、なんか急に『すごーくいいな』って思った。最初に奴隷にと言われた時は、少し自棄気味に『まあ仕方ないか』みたいな気持ちだったけど、『一生一緒に』と言われた時には、本当に嬉しかったんだ!」


「い、いや、それは……」


「嬉しかったんだぞ! だって、それ……プロポーズみたいじゃん?」


「プッ、プロポ――」


「ボクみたいな女っぽくない奴にさ、好きになった相手が『一生一緒にいて仕えてくれ』なんて言ってくれるなんて……もうなんか、喜んで奴隷にでもなんでもなってやるみたいな?」


「す、好きになったって……いや、あの……」


「うん! ご主人様のこと、好きになった! だから、カードの結果でもなんでもぜんぜんかまわないんだ!」


「…………」


 詠多朗は、口ごもるしかなかった。もう何も話せない。顔が熱くて燃え盛る。今、口を開いたら熱暴走で爆発する。必死にポーカーフェイスを気取ろうとするが、全くすることができない。緩む目元が止まらない。頬の筋肉の痙攣が止まらない。当たり前と言えば当たり前だ。アイスを食べ合った関節キスしただけで赤面する彼が、この攻撃に耐えられるわけがないのだ。


「詠多朗……あなた、この語りがバトルだったら完全に負けていたわね」


「うぐっ……」


 リディの敗北判定に反論さえできない。

 黒い学生服姿のリディが、勝ち誇りながらニヤリと笑う。


「それから、彼女もここに住まわすわ。どうせ今、このバカでかい家に住んでいるのは、わたしと詠多朗だけ。部屋も余っているんだからいいでしょう?」


「へっ!? なにを勝手に!? ここは僕の――」


「詠多朗。多くの女性と関わりなさい。たくさんの女性を好き・・になりなさい。それは物語のためになるわ。これもそのためです」


「……それを言ったら、『嫌い』も学ぶべきでは?」


「バカ弟子にしてはよく気がついたわね。その通りです。……でも、もう一つ教えてあげましょう。人の心は、『嫌い』より『好き』の方が動かしやすいのですよ」


「……で、でも、一緒に暮らすなんて! 僕はこれでも健全な男の子ですよ! 悪いようにしないと約束したのに、我慢できなくなって襲ったりしたらどうするんです!?」


「え? 悪くないよ?」


 答えたのは、どこか嬉しそうに微笑む落花だった。彼女はまっすぐな目で、まるでなにかを期待しているように詠多朗を見つめている。


「好きな人に求められることが悪いことのわけないし。ボクはご主人様に求められれば、いつでも……いいよ?」


「――!!」


 限界だった。もう臨界点突破だった。一刻の猶予もなかった。


「がっ、学校に遅れるので……着替えてきます……」


 それだけ何とか口にすると、詠多朗は引き戸を開けて廊下に出た。後ろで落花が「ご主人様!?」と驚いているが答えることなどしない。できない。不可能だ。


 そして走らないよう、しかしなるべく早足で離れた場所にある自分の部屋のドアを開けて中にはいり、すばやく後ろ手に鍵を閉める。


(悟った……。今まで「リア充爆発しろ!」と思っていたこともあったが、言われなくてもリア充は爆発するのだ……)


 部屋には誰もいない。自分しかいない。それでも声は出せないから、せめて力強く握りしめた拳を振り上げる。それは感情の爆発。


(とうとう……とうとう女の子に……初告白された!!)


 初めての経験。好きと言われた。夢にまで見た告白。こんなに心地がいいものなのか。こんなに心が高揚するものなのか。この気持ちを文章で表わせられるのか。否、無理。即、無理と言えるほど無理ったら無理。というか、すでに頭が働かない。浮足立つとはこのことか。にやける顔が自分の顔じゃない気がする。コントロールが全く聞かない。


(しかも……好きにしていいって……あんなことやこんなことしていいって……いいのか!?)


 落花は自分を女の子らしくないと言っていたが、それは口調や服装程度の話だ。彼女は、詠多朗から見たらまちがいなく美少女だ。その言動なんて萌えの塊だ。思考だって素晴らしく女の子だ。そんな女の子が、「好きにして」と言ってくる。


(ヤバい……ヤバすぎる……物語士カタリストなのに語彙喪失!)


 自分のベッドに近づき、顔をつけて悶える心を晴らすように手でバンバンと布団を叩く。と、ふわっと薫る自分のものではない香り。その正体に気がつくと、朝の風景が脳裏によみがえる。白と琥珀の光る裸体。その姿で「いつでも好きにして」と言う落花が微笑む。血流は一気に下半身へ向かう。


(ああ……ああ! すまぬ! 今まで一線を越えないハーレムラノベ主人公をバカにしてすまなかった! 君らは……君らは本当にすごかったんだ!)


 これからどうやって血流を散らすか悩む詠多朗であった。




   §




「……あのさ、ご主人様ったらどうしたの? 怒ったのかな?」


「違うわよ」


「でもさ、なんか暴れているような音が……」


「男の子にはいろいろあるの。とりあえず、ご飯の支度でもして頂戴」


「うっす! 了解!」


(はぁ……楽しいわ……)

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