謀反の計画

太上天皇との決裂

 仲麻呂が年初の人事で孝謙と痛み分けをしてから半年経ち、蝉の声が騒がしくなって夏本番を知らせ、座っているだけでも汗がしたたり落ちる季節になった。

 午前中に法華寺から呼び出された真先は、昼過ぎになってようやく太政官室に戻ってきた。

文室浄三ふんやのきよみ殿と一緒に太上天皇様の法華寺まで行ってきました」

 真先は悔しさを隠そうとしていない。

「太上天皇様は紀益人きのますひとについて、お父様の決裁を変えて良民とし、益人ら十二人に紀朝臣きのあそみ、紀真玉ら五十九人に内原値うちはらのあたいの氏姓を下賜しました。益人らを良民にすることに反対していた紀寺の紀伊保きのいほもあわせて呼ばれていましたが、伊保は太上天皇様の詔の前に、何も言えずに恐縮していました」

 真先は唇を噛む。

「お前たちは聞いていただけか」

「文室殿と猛烈に抗議したのですが、太上天皇様は、異を唱えることは許さぬ、最後には異論は謀反と考えるなどと言われ、引き下がるより他はありませんでした」

「老練な浄三でも引き下がったのか」

「浄三殿は紀寺に筋があると言って頑張ったのですが、天下の賞罰は私が決めるとの仰せの前に沈黙するしかありませんでした」

 蝉はうるさいほどに騒がしく、うちわで扇いでも涼しさのかけらも出てこない。

「太政官会議でしっかりと議論して結論を出したのに、太上天皇様の言葉一つで覆されてはたまりません。自分としては悔しくて悔しくて……」

 紀益人の一族が、寺に隷属する賤民のままでいるか、独立した良民になるかは、多くの人間の思い入れや利害関係がかかる重要なことだ。真先だけでは足りないと思い老練な浄三を付けたのに……

「紀寺のことなど太上天皇が裁可する必要はない。太上天皇は正月の人事から何事に付けても絡んでくる。譲位した天皇はおとなしく写経でもしていればよい」

「寺に関係することですので、道鏡の差し金でしょうか」

「道鏡は孝謙の歓心を買うことには抜け目はないが政には疎いはずだ。孝謙の決定は紀寺の力を削ぐことになり、ひいては少僧都の影響力も小さくなる。道鏡と紀寺の関係が悪いとは聞いていないから、道鏡が噛んでいるとは思えない」

 仲麻呂は腕組みをした。

「文室殿はよほど悔しかったのでしょう。法華寺を出ると同時に『致仕(辞職)する』と大きな声で言っていました。法華寺は尼寺であれば、自分たちは容易に入ることができず、太上天皇様に会うこともできません。太上天皇様は常に道鏡を近くに置き、何事に付けても道鏡に諮っているとのことです。お父様は違うと言いましたが、今回のことも道鏡が糸を引いているに違いありません。道鏡を遣唐使の船に乗せて都から追放しましょう」

「違うな。今回の件は道鏡ではなく太上天皇だ」

 孝謙の嫌がらせか、または、太政官会議で異論を唱えていた者の巻き返しか? いずれにせよ台閣の筆頭である自分の顔はつぶれた。

「太上天皇様が何故に?」

「太上天皇の権威、権力を示そうとしているのだ。最近はどんな決定にも、孝謙は文句を言ってきて腹が立つ。もう我慢できない。天皇が裁可したことについて、いちいち孝謙に伺いを立てるのは止めにしたい」

「太上天皇様は日本ひのもとで一番偉いお方です。権威を示す必要などありません」

「お前が政を進めようとするときに、淳仁天皇と私のどちらに相談する?」

 真先は「なるほど」という顔をした。

「太上天皇様は、お父様の失脚を狙っているのでしょうか」

「孝謙だけではなく、永手や八束たちも私の失脚をもくろんでいる。私の権勢を嫉む者たちが、孝謙の元に集まっているのだ。首魁が孝謙となると、奈良麻呂の時のように、簡単に倒すことはできない」

「永手叔父さんと八束叔父さんが父様に反旗を翻すのですか。同じ藤原一門なのに……」

「宿奈麻呂の時も、北家、式家、京家は邪魔をしてきた。藤原四家の時代は終わりだ。これからは、藤原恵美の家だけで政を行う」

 真先は力強く肯いた。

「この半年間考えてきたことを実行するときが来た。おまえにも働いてもらう」

「考えてきたこととは?」

「太上天皇には飛鳥の小墾田宮おはりだのみやで写経にいそしんでいただく。あわせて永手や八束も追い出して、朝廷を風通しの良いものに組み直す」

「太上天皇様を放逐するとは、お父様の考えは謀反なのではないでしょうか」

「謀反ではない。私の元には淳仁天皇がいる。船王、池田王、和気王わけおう、塩焼王など多くの皇族、石川氏人いしかわうじひと、佐伯毛人、大伴古薩など多くの氏族も集まってくれている。駅鈴と玉璽は天皇の元にあり、太政官院は田村弟にある。私に刃向かう者が謀反人となるのだ」

 真先は再び肯いた。

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