道鏡の横槍

 仲麻呂の反論を許さないという勢いで、孝謙は続ける。

「少僧都の慈訓じきんについて、政に理がなく僧綱にふさわしくないという上申が数件来ています。慈訓も年老いて頑なになってきたのでしょう。慈訓には休みを与え、道鏡禅師を代わりの少僧都としますので、昇叙案に付け加えておきなさい」

「道鏡殿に官職を与えよと言うのですか。先日、慈訓法師に会いましたが高齢にもかかわらずお元気でした。慈訓法師は僧綱の中心を担っており、仏教を統率する上で欠くことのできない人物です。誰が慈訓法師を誹謗しているのですか」

「慈訓は七十三でもあれば、休ませてやりなさいと言っているのです」

「道鏡殿も六十三であると聞いていますが」

「慈訓より十も若いでしょう」

 孝謙は仲麻呂を睨みつけてきた。

 なるほど。自分と親しい慈訓を僧綱から追い出して、孝謙に取り入った道鏡に役職を与えようというのか。いままで政とは無縁だった山出し法師に何ができるというのか。孝謙自身の発案か、道鏡がねだったのかは知らないが、孝謙はあからさまに自分の力を削ぎに来ている。

授刀衛督じゆとうえいのかみ(親衛隊長官)を坂上苅田麻呂にしなさい」

 仲麻呂も孝謙を睨みつけた。

「授刀衛督は藤原千尋が努めております。千尋を解任するのですか」

「藤原千尋は病に伏せっていると聞いています。衛士の長が病で動けないのでは仕事が勤まりません。千尋にはしっかり体を治してから仕事に復帰してもらいます。病気だからといって参議を取り上げるわけではありません。苅田麻呂は武術で聞こえた人ですので授刀衛には最適なのです」

「千尋に落ち度はありません。解任は不当です」

「宮中を賊から守る衛士の長が動けなくて務めが果たせると思っているのですか」

「千尋の病状は回復に向かっています。苅田麻呂は授刀衛佐じゆとうえいのすけ(次官)とし、千尋が復帰するまでは督の職務を代行させて下さい。解任は千尋の病状に響きます」

「よろしいでしょう。苅田麻呂はすけとして、登庁できない千尋の職務を苅田麻呂に代行させます」

 孝謙は皮肉な言い方をする。娘の頃は素直だったのに、薹が立った女はかわいげのかけらもない。とはいえ、千尋は起き上がることもできないほど病状が悪い。

 衛士を孝謙の色に染められてはたまらない。東大寺や僧綱を譲っても授刀衛だけは手放す訳にはいかない。

「武辺で名をはせている苅田麻呂は諸国での実績はありますが、宮で働いた経験はありません。苅田麻呂に授刀衛督を代行させるのであれば、補佐として、仲石伴なかのいわとも左衛士督さえじのかみ、大原宿奈麻呂に左兵衛佐さひようえのすけを、藤原薩雄を右兵衛督うひようえのかみに任じたいと思いますので裁可をお願いします」

「昇叙案に三人の名前は載っていません」

「三人は千尋の元で授刀衛として働いたことがあり、宮の警護には精通していますので、苅田麻呂をうまく補佐してくれるでしょう」

「三人はまだ若い」

「若いですが充分に職務を果たせます。苅田麻呂には薩雄たちを鍛えてもらいたいと考えます」

 仲麻呂の気迫に、孝謙は「よろしいでしょう」と引き下がった。

「さきほど、吉備真備を都にお召しになるという話がありました。真備が賜っている大宰少弐だざいのしようにに石上宅嗣、大宰府営城監には佐伯今毛人さえきのいまえみしを就けたいと考えます」

「昇叙案には、大宰大弐に佐伯毛人さえきのえみしを任ずるとあります。毛人と今毛人は同じ佐伯で名前もよく似ていますが、仲が悪いと聞いています。二人が同じ場所にいては都合が悪いでしょう。今毛人には京官を任せなさい」

 道鏡が横から口を出してきた。

「大伴家持殿が薩摩守とあります。藤原宿奈麻呂殿のときの意趣返しですかな」

「僧籍にある者は黙っていただきたい」

 仲麻呂の怒りのこもった声に、道鏡は下を向いたが、すぐに顔を上げた。

「大師様は、ご子息を越前、美濃の国司に任命しようとされていますが」

「若い息子たちを国司に任じ、下積みの苦労を経験させたいと考えています」

「下積みならば、かみ(長官)やすけ(次官)ではなくじよう(三等官)やさかん(書記官)から始められてはいかがでしょう」

「法師殿は位階相当をご存知ないと見える。息子たちはすでに五位をいただいておりますれば、掾ではなく守がふさわしいのです」

「大師様は長らく近江守を兼務されている。ご家族で越前、近江、美濃と都を囲むようではありませんか」

 仲麻呂が睨みつけると、道鏡は、ペンと自分の頭を叩いた。

「いやいや、変なことを申し上げました。どこかの僧の戯れ言としてお聞き流し下され」

「法師殿は僧籍にあれば、政に口を出さないでいただきたい」

 孝謙の態度に腹が立つが、道鏡の言い方はもっと腹が立つ。道鏡は孝謙の威を借りて好き勝手なことを言っている。本来、道鏡のような小者と直接話をする必要などないはずだ。

 孝謙は正月の人事で自分に近い者たちを排除して力を削ごうとしている。血筋だけで天皇になった孝謙、山法師の道鏡に何ができるというのだ。永手や八束が耳打ちしているのだろうか。なにはともあれ、お姫様は黙って自分が言うことを聞いていればよいのだ。

 台閣はすでに息子や腹心で占めている。孝謙や道鏡が何かしようとしても、文句をつける程度のことしかできない。孝謙は昇叙案に目を通す必要などないのだ。最初から「よろしいでしょう」の一言で済む話なのだ。無用な議論をさせて腹が立つことこの上ない。

「他に何かご意見はございますか」

「国家の賞罰は私が行います。六位以下の官人で孝行者がいたら、正月の人事と合わせて褒美を下そうと考えています。調べて名簿を持ってきて下さい」

 仲麻呂の「承知しました」という棒読み回答に、孝謙と道鏡の口元が緩んだ。

 孝謙の前を辞して、法華寺の庭に出ると、空は茜色から群青色に変わっていた。宵の明星が空に輝き、寒さに仲麻呂は体を震わせた。夜露が降りた庭は凍り始めている。輿を止めている南門までは遠い。庭の樫の木には、来たときよりも烏が増えていて、仲麻呂を笑うようにカア、カアと鳴いていた。

 仲麻呂が石を拾って、烏がいる木に投げつけると、一瞬だけ鳴き声が止むが、すぐに騒がしく鳴き始める。烏も気にくわないが、法華寺の無駄に広い庭も、大きな門も気にくわない。

 南門では輿の近くにいた下男たちが、一斉にお辞儀をして迎えてくれた。仲麻呂の輿から少し離れた場所に、二台の輿が置かれている。

「藤原永手様、八束様の輿です。大師様がお寺に入られてすぐにお着きになりました。お二人は、大師様が太上天皇様にお会いしていると知ると、そろってくりやに向かわれました」

「永手と八束が何をしにきたというのか」

 下男たちは、分からないと答える。いつの間にか後ろに来ていた陽候が

「永手様や八束様は秋口から何回もいらしてます」

 と教えてくれた。

「なぜ、私に知らせない」

 仲麻呂に叱られた陽候は、シュンとして下を向き小さな声で「すみません」と答えた。

 宿奈麻呂の時にも永手や八束の影があった。今回の人事も二人が絡んでいるに違いない。二人は孝謙と手を結んで自分を追い落とそうとしているのか。それとも、孝謙が二人を引き寄せたのか。いずれにせよ、めんどうなことには変わりない。

 木枯らしは容赦なく仲麻呂の体温を奪ってゆく。

 今日は熱い酒に酔ってむしゃくしゃする気分を吹き飛ばしたい。

 仲麻呂は輿に乗って田村弟に向かった。

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