第三章 栄耀栄華
人臣最高位
太政大臣就任
天平宝字四年(七六〇年)一月三日。仲麻呂は年始めの朝議を招集した。
元旦から降り続いていた雪は上がり、雲一つない青空が広がる。雪は漂っていた塵を落として、澄み切った爽やかな空気を作っていた。平城宮は二寸ほど積もった雪に覆われて白くなっている。山茶花の赤い花は雪に凍え、南天の実をついばんでいた鳥たちが何かに驚いて一斉に飛び上がった。積もった雪に日の光が反射して、部屋の中も眩しいくらいに明るい。新年の挨拶は一段落したが、どこからか聞こえてくる笙や鼓、太鼓の音がめでたい雰囲気を保っている。昼には新年を祝う料理として、明石から取り寄せた海老と、越前から献上された餅が振る舞われるという。
仲麻呂は上座から台閣の面々を見渡した。
努力をせずに何かを成し遂げることはできないが、努力したからといってすぐに結果は出なし、そもそも、努力が報われることはほとんどない。結果を出す前にあきらめてしまう者は多いが、地道に継続した努力は、人生を通して見れば、たとえ小さな形であっても報われるものだ。もちろん、努力と言っても、奈良麻呂のように方向が間違っていては空しい結果に終わる。自分は藤原南家の次男に生まれ、出世とは縁がなかったが、若い頃には漢籍や算術を学び、朝廷に仕えてからは、聖武天皇の元で民部卿や式部卿の職務に励み、正しい努力を積んできた。若い頃から重ねてきた努力の結果が、台閣の長という地位なのだ。人は権謀術策でのし上がったように言うが、人には見えない努力が背景にあるのだ。
台閣は仲麻呂を筆頭に、石川年足、藤原千尋、巨勢堺麻呂、山背王、塩焼王、船王、池田王、
孝謙太上天皇は光明皇太后の看病で朝議を休んでいたので、仲麻呂は淳仁天皇に上奏する。
「渤海から帰朝した小野田守の報告にありましたように、唐国は安禄山の乱で混乱して、周辺国への影響力を落としております。新羅は唐国の後ろ盾をなくしておりますれば、この機に乗じて新羅に軍を出したいと考えます」
朝議の部屋は寒いが、陶器の火鉢はかじかんだ手をほぐしてくれ、宇比良古が持たせてくれた
大保(右大臣)になってからは、すべてを思うままに動かせている。永手や八束がときおり文句を言うが、冬の寒さよりもあしらいやすい。日本国は自分を中心に回っているのだ。
新羅とは朝貢問題が長い間くすぶってきたが、唐国が弱体化した今、新羅を屈服させて、問題を一挙に解決し、恵美押勝の名前を日本国の歴史に刻んでやる。
「昨年は、唐国の混乱が我が国に波及せぬよう、大宰府に警備式を作成させましたが、今年は打って出るために行軍式を作成させます」
淳仁は仲麻呂に尋ねる。
「藤原卿はどのくらいの軍を考えているのですか」
「軍船五百艘、兵の数五万を考えます」
台閣の諸卿からため息が漏れた。
「百年前、天智天皇様は二万の兵を持って百済国救援のために出兵なさいましたが、唐・新羅の連合の前に破れました。
「藤原卿に勝算はあるのか」
「小野田守は、新羅では唐国の影響が弱まったので、王室が親唐派、独立派に分かれて争っていると報告しています。二派の争いにつけ込み、渤海と挟み撃ちにすれば必ず新羅を跪かせることができます」
「よく分かった。新羅征討を可としよう。藤原卿を中心に石川卿らは協力して行軍式を完成させるように」
仲麻呂はさらに数件を上奏し全て裁可された。
案件が片付いて解散というときに、天皇は少納言を呼んで詔書を読み上げさせた。
「藤原恵美朝臣押勝を従一位に昇叙し、あわせて大師(太政大臣)に任ずる」
天皇は「異論があるものはこの場で申し述べよ」と言い、仲麻呂たち太政官を見渡した。
年足が拍手すると他の参議たちも拍手を始めた。永手や八束は見ているだけだったが、拍手が大きくなると仏頂面のまま手をたたき始めた。ついには淳仁天皇までがうれしそうに拍手した。朝議の部屋は拍手で満たされた。
白々しいかもしれないが、不満があろうとも口に出せない奴は黙って従え。
永手や八束は心の中で、大師とは適任者がいない場合は置かない「
(天皇の師となり、万民の手本となる。国を治め道理を論じ、陰陽を調和させることができる人。もし適任者がなければ空席にせよ)
その人なくば欠けよというが、自分は孝謙太上天皇、淳仁天皇の師であり、天皇に代わって国を治めている。漢籍や陰陽について自分より詳しい者はいない。まさに自分こそが大師にふさわしい人間なのだ。
これまでに、太政大臣には
祖父不比等は律令を作って国の形を定めて歴史に名を残した。自分は、養老律令を施行し、朝廷を唐風にして国家を作り直した。漢籍に基づいて善政を行っている。これだけでも充分歴史に名を残すことができるが、さらに、太政大臣となって日本の歴史に燦然と名前を刻むのだ。
昇叙、任官に一喜一憂している永手や八束たちに、自分の考えは理解できないだろう。そんな小さな者たちのめんどうを見るのも
「自分だけ昇叙されたのでは、日頃汗を流して働いている公卿百官に申し訳ありません。天皇様の徳を多くの人に与えるために昇叙案を作りました。御裁可をいただきたいと思います」
仲麻呂の昇叙案が天皇をはじめとして公卿の間に回覧されてゆく。突然の昇叙の話に永手と八束は驚きを隠せない。すでに従三位中納言と位を極めている永手は昇叙の対象ではなく加禄だけだったが、藤原八束は正四位上から従三位大宰帥、文室浄三は中納言など多数が叙位任官されていた。仲麻呂はにんまりとする八束を横目で確認した。
天皇は奉書に「可」と朱書きして仲麻呂に戻した。
「朕は皆と一緒に新年を祝いたい。今日の良き日に日頃から思っていることを諸卿らに伝えよう。朕は藤原卿のことを、臣下ではなく父と思っている。藤原卿は父であり
天皇は仲麻呂と目が合うと、にっこりと笑って返してくれた。
「もったいなくもありがたいお言葉に感謝いたします」
仲麻呂が頭を下げると、年足たちも同じように頭を下げた。
淳仁天皇が朝議の終了を宣言すると、それぞれ部屋を出て行った。
仲麻呂が一礼して部屋を出ようとしたとき、淳仁は仲麻呂を雪見に誘った。
中庭は真っ白な雪に覆われていた。人が歩いた跡はなく一分の汚れもない。庭の隅に植えられている椿は雪をかぶって白い塔となり、塀は雪を乗せて普段よりも背が高い。都大路や家々も白い雪に埋もれ、生駒山や吉野の山々も白い化粧をしている。雪の白さと対照をなすように、空は吸い込まれるように青く雲一つ浮かんでいない。降り注いでくる日の光は体を温め、澄み切った空気は隅々まで清めてくれた。
足を踏み出すと、サクッという音がして、くるぶしまで雪に埋まった。
淳仁は冷たい空気を楽しむように、両手を広げて深呼吸する。
「昔から元旦に雪が降ると良いことがあると言われています。今年は元旦から雪が降り続き、都を純白に染めてくれました。きっと良い年になるでしょう」
淳仁が言うとおり正月に降る雪は慶事であるという。
淳仁は采女から木簡を受け取り筆を走らせた。
あしひきの 山に白きは 我が宿に
(山に積もっている白い雪は、宮に昨日降った雪と同じであろう)
「良き
仲麻呂も采女から木簡と筆を受け取った。
新しき 年の初めに
(新しい年の初めに、雪が降っているのは、豊年のしるしなのでしょう)
二人は木簡を交換した。
「藤原卿にはいつも感謝しています。
「先ほどの『我が父と思え』というお言葉には驚きました」
「本心から出た言葉です。藤原卿は舅殿ですから間違いではありません。日ごろの感謝の印と受け取って下さい」
仲麻呂は「慎んでいただきます」と頭を下げた。
朝堂院からは正月を祝う雅楽の調べと陽気な笑い声が聞こえてきた。
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