二回目の説諭

 翌七月三日、仲麻呂が田村弟で朝餉を取っていると、法華寺の宇比良古から、光明皇太后が、塩焼王、安宿王、黄文王、橘奈良麻呂、大伴古麻呂を法華寺に呼び寄せたという知らせを受けた。

 仲麻呂が慌てて法華寺に着いたとき、五人はすでに皇太后の部屋に通されていた。

「軟禁中の奈良麻呂たちを呼び出すとは、皇太后様は何を考えていらっしゃるのか。どうして私に相談下さらない」

 仲麻呂の案内をして前を歩いていた宇比良古は答えることができない。

 仲麻呂は部屋の中に入ろうとする宇比良古の腕を握って引き留め、戸口の脇に隠れて聞き耳を立てた。本堂から朝の読経が流れてくるが、部屋の中の声を聞く邪魔にはならない。

 まさかとは思うが、皇太后様は謀反の首謀者を直接処分しようとされるのか。皇太后様のことだから、甘い処分になるだろう。いずれにせよ、東人たちの自白が得られていない時点で、皇太后様が余計なことをされると計画が狂ってしまう。

「先日より、黄文王や奈良麻呂ら五人が謀反を企てていると何人も告げてきました。天皇から高位をいただいている者が謀反を企てるとは考えることができませんでしたし、怨まれるような覚えもなかったので、たいへん驚きました。皇族はもとより、橘奈良麻呂、大伴古麻呂も私は身内です。身内を疑い処分するのは嫌なものです。天皇は律令に従い処分しようと主張しましたが、私は天皇をなだめ、説諭を下すことでお前たちが改心してくれることを願いました。お前たちだけを呼んで説諭したのでは、謀叛の首謀者が明らかになります。お前たちがこれから朝廷で肩身の狭い思いをするとか、処分を求める声が出ると考え、昨日は公卿百官を集めて説教したのです。天皇や私が何を言っているのか理解できない者がたくさんいる中で、お前たちは私たちが何を言っているか理解してくれたはずです。理解してくれたのだと思っていたのですが……」

 皇太后の声は力なく消えて、沈黙がしばらく続いた。

「反省するどころか、朝に聞いた説教を昼には忘れ、東人を使って謀反のために動き出すとは何事ですか。天皇から知らせを聞いたときに、私は言いようのないむなしさに襲われました」

 皇太后の絞り出すような言葉に、五人は両手をついて頭を下げた。塩焼王や安宿王は身を震わせ泣きだした。

「天皇はお前たちに高位を授け重要な仕事を任せました。多くの位封や季禄も下賜しているというのに、お前たちは何を怨んで謀反などと言う大不忠を企てたのですか」

「我らは藤原仲麻呂の専横を誅するために……」

 皇太后は「お黙りなさい」ときつい口調で奈良麻呂の言葉を封じた。

「仲麻呂は亡き太上天皇様によく仕え、橘諸兄左大臣の元で大仏造立にも身を粉にして働いてくれました。朝廷の仕事や算術、漢籍に明るく、政は仲麻呂なしでは動かなくなっています。奈良麻呂は従兄弟である仲麻呂を殺そうと考えていたのですか」

 奈良麻呂は反論せずに頭を下げる。

「お前たちが行おうとしていたことは全て分かっています。国法に従えば、お前たちに死を下さなければなりませんが、身内と思うお前たちを殺すことは自らの体を傷つけることよりも辛いことです」

 皇太后は大きく深呼吸をし、次の言葉を選んでいる。

 読経は終わり、中庭から蝉の声が聞こえてきた。

「今回の謀反については水に流して許そうと思います」

 皇太后様!

 仲麻呂は、思わず宇比良古と顔を見合わせた。

 奈良麻呂たちは、私や皇太子を殺して権力を得るために謀反を企てたのです。律令を持ち出すまでもなく、許されることではありません。相応の処罰をするべきなのです。皇太后様の恩情は奈良麻呂たちには通じません。奈良麻呂は反省しません。許すなどという甘い処分ですませば、必ず同じ事を繰り返すはずです。次は防げないのです。

「風は灰色の雲を吹き飛ばし青空を作ります。お前たちは、心を入れ替えて明日からは天皇に仕え、国家のために働きなさい。天皇と仲麻呂には私から、処分をしないようにと伝えておきます。お前たちは屋敷に戻ってしばらく謹慎していなさい」

 蝉の声に黄文王のすすり泣きが混じって聞こえてきた。

 部屋の中から五人が出てくる気配がしたので、仲麻呂は宇比良古を連れて隠れた。

 五人は力なく首を前に垂らしたまま、仲麻呂たちに気がつくことなく廊下を抜けていった。仲麻呂は五人に気がつかれないように跡を付ける。

 五人は法華寺の門を出ると振り返って深く頭を下げ、それぞれの屋敷を目指して朝日の中に消えていった。

「藤原様」

 声に驚いて振り返ると年足と千尋、巨勢麻呂が頭を下げていた。

「宇比良古様から五人の処分について伺いましたが……」

「石川殿の考えるとおり、皇太后様が許しても、自分の命を狙う者らを許すことは絶対にできない。幸いにと言うか、私は皇太后様の説諭と処分を聞いていない。もし五人と一緒に部屋に入っていれば、皇太后様は五人を許すようにと私に命じたはずだ。命令を聞いていない今のうちならば、皇太后様に背くことにはならない。明日になれば、皇太后様は再び百官を集めて詔を下すだろう。皇太后様が動く前に我らは決着を付けなければならない。奈良麻呂たちを捕らえて謀反の全貌を自白させる。証拠を示して天皇を抱き込み、我々の行動を正当化する。速さが命だ。石川殿は中衛府の兵を率い奈良麻呂を、巨勢麻呂は黄文王と安宿王を、千尋は古麻呂やその他の関係者を捕らえよ。捕らえたらきつい取り調べを行え」

「皇太后様には?」

 千尋が不安そうに聞いてきた。

「すべて終わってから奏上する。東人の取り調べはどうなっている」

 千尋は、

「痛めつけていますが自白は得られていません」

 とすまなさそうに答えた。

百済王敬福くだらのこにしきけいふく坂上苅田麻呂さかのうえのかりたまろのような荒っぽい連中を使え。今日中に自白を得るのだ」

 年足たちは一礼して走り出した。

「宇比良古は、法華寺の舎人を動員して寺の警護。もう皇太后様には誰も通すな」

「仲麻呂様は」

「私は宮を警護するように命じてくる。天皇にも余計な奏上をさせない」

 奈良麻呂や黄文王たちは、皇太后様の説諭で許されたと思っているだろうが、やすやすと望みどおりにはさせない。私を殺そうとした報いは必ず受けてもらう。

 手で庇を作って見上げた空には、入道雲がもくもくと立ち上がりつつあった。風はなく蒸し暑く不快な空気がまとわりついてきた。

 暑い一日になりそうだ。

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