巨勢堺麻呂の報告
仲麻呂が言葉を返そうとしたときに、宇比良古が息を切らして駆け込んできた。
「皇太后様が、公卿百官を朝堂院に集めてお話しなさるそうです」
宇比良古は深呼吸して息を整える。
「今朝、右大弁の
宇比良古はもう一度深呼吸をした。
皇太后様に直接奏上する者が出たのか。皇太后様が奈良麻呂の謀反について知ったとなると取れる手が限られてくる。自分のところに来てくれれば違った対処ができたのに。豊成が奈良麻呂の謀反を知っていて動かなかったというのが気になる。豊成にとって自分の命などどうでも良いのだろうか。それとも豊成自身が謀反に関係しているというのか。永手や八束、浜成は奈良麻呂たちの動向をどこまで知っていて、関与しているのだろうか。
分からないことが多すぎるが、急を要していることだけは確かだ。
「巨勢様だけではなく、昨日の夜には県犬養佐美麻呂、忌部鳥麻呂らが皇太后様に密奏に来ました」
「なぜ私に知らせなかった!」
仲麻呂の大声に、宇比良古は「私も今朝知りました」と小さい声で答えた。
「それで?」
「皇太后様は奈良麻呂様たちを諭すとおっしゃい、公卿百官を緊急に集めてお話をなさるとのことです。朝から法華寺の舎人や下男たちが総出で知らせに回っています。百官たちは朝堂院に集まりつつあります。私は田村弟に知らせると言って急いで来ました。田村弟が襲われるというのが恐ろしくて、恐ろしくて……」
「皇太后様は、私に言って下されば良かったのに。それにしても、説教するのならば、堺麻呂が上げた人間だけを法華寺に呼べばいいのに、公卿百官を集める意味は?」
「皇太后様は、特定の人を呼んでは悪事を企てた人が明らかになり、立場を悪くしてしまうと配慮されたようです」
「いらぬ配慮を。皇太后様が出てこなければ奈良麻呂たちを一網打尽にしてやれるというのに。堺麻呂たちの奏上について、天皇様はご存じか」
「皇太后様は内裏にも使いを出しました」
仲麻呂はため息をつく。
「隠し事は少数で行うものだ。仲間を増やそうと多くの人間を誘えば、漏れる危険性が高くなる。奈良麻呂の杜撰な計画のおかげで事前に察知することができたが……」
「さて藤原様。皇太后様が事を収めるためにお出ましとなれば、奈良麻呂殿の屋敷に中衛府の兵を出せなくなりました。奈良麻呂たちも謀が皇太后様に漏れたことを理解するでしょうから動けなくなるはずです」
「石川殿の言うとおり。皇太后様がすべての官人を招集するのであれば、我々も説諭を聞くしかない。皇太后様は説諭して許すおつもりかもしれないが、企みの全貌を明らかにして奈良麻呂たちを最低でも流罪にしてやる」
山背王が不安な顔で見つめてきた。
「王は心配なさるな。謀反の計画が知れ渡ったとはいえ、皇太后様は皇族である安宿王、黄文王を悪いようにはしない」
「皇太后様の説諭のために奈良麻呂たちが参内すると言っても油断することはできません。中衛府の兵をもって田村弟を警護させましょうか」
「中衛府の兵たちも皇太后様のお話を聞かねばならない。それに、田村弟に兵をいれたら、奈良麻呂たちは謀反だと騒ぎ立てるかもしれない。家人にしっかりと田村弟の門を固めるよう命じる。千尋は田村弟が持ちこたえている間に駆けつけられるようにしておいてくれ」
太陽が高く昇り蝉の声がうるさくなってきた。宇比良古が「お早く」と急かす。
「我々も朝堂院へ行き、皇太后様のお話を伺う」
仲麻呂は歩き出した。
五ヵ条の勅を出して都は平穏になったと思っていたが、地面の下では大きな企みが進んでいた。危うく長屋王と同じように殺されるところだったかもしれない。神仏の加護は、奈良麻呂ではなく自分にあるのだ。
奈良麻呂が正面から刃向かってくるのであれば返り討ちにしてやる。権力の恐ろしさを身をもって教えてやろう。
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