王宮の白薔薇

飴谷きなこ

第1話 王宮に咲いた薔薇

 がちゃり、とあたしの脚に嵌められた輪っかとそこから延びた鎖が鳴った。


 何故こんなことに。


 あたしはぎりっと歯噛みした。自分が情けない。まんまと騙され、捕らえられ身ぐるみ剥がされて。肌が透そうなほど薄い衣に着替えさせられていた。

 鎖は太く足枷も外せそうにない。お手上げの状態でそれらを眺めていると、部屋の鍵が回された音がした。


 扉が開き、その向こうには見慣れた男が立っていた。思わず唇を咬む。


「ブランカ」


 男は、あたしそっくりの顔で瞳をとろりと蕩かせて囁いた。


「よく似あってる」


 ベッドの端からあたしの身体をおおうように身体を乗せてきて、あたしは動けなくなった。咬みしめた唇から、口の中に血の味が広がる。男は細い指であたしの唇を撫でた。


「そうやって咬んではいけないよ。せっかくこんなに美しいのに」


 ぬるり、とぬれた感触と同時に熱さを感じて、あたしは全身を震わせた。


「お前の血も、肌も肉も骨も、髪もすべてわたしの物だ」


 目の前でそう言って笑う男。その瞳に狂気を宿してあたしを見ている。恐怖の余り、歯が鳴った。


「何故、あんなことをなさったのですか」


 男が薄衣の上から肌を撫でる。ぞわり、と肌が粟立つ。


「あんなことって? 」


 男はそう言いつつ、あたしの髪から頬を撫で、首筋を舌でねっとりと舐めあげる。


 気持ち悪い。


 涙が滲んで、吐き気がした。それでも、聞かねばならない。この事態を引き起こした原因は間違いなくあたしにあるのだから。


「とぼけないでください、兄上」


 その日、突如として襲われた王宮は血で染まった。壁や床は血で汚れ、そこに生きる住人も動物も貴賤を問わず、みな殺された。生き残ったのはあたしひとり。


 捕らえられ、縄を掛けられて引き出されてみれば、かつて父王が座っていた謁見の間の玉座に納まっていたのは、あたしの兄だった。


「何故こんなことを」


 そう呟いたら、同じ顔をした男は嬉しそうに笑って見せた。


「お前が欲しかったんだ、ブランカ」


 身震いした。恐ろしかった。いつの間にこんなことを考えていたのだろう。生まれた時から身近な存在だったはずだった。一体いつ、その瞳に狂気を宿らせたのか。そして、たった一人生き残ったあたしをどうするつもりなのだろう。それを考えるのが恐ろしかった。そしてその夜から、悪夢は始まった。


 実の兄と夫婦となり悪夢のような夜を過ごし、何年か経った頃あたしは身ごもった。兄との間に出来た子供がお腹にいることを知った時泣き叫んだ。産みたくなどない。実の兄の子など産みたくない。無理矢理に孕まされた子など、要らない。


 兄は、妊娠がわかるとその美しい顔に笑みを浮かべた。泣き叫び産みたくないと嘆くあたしに薬を盛った。意識を混濁させ、自ら世話をした。その甲斐あって、無事産み月を迎え、子供を産み落とした。


 腹に居る時はあんなに嫌だったのに生まれてみれば子は可愛い。だが、兄との子だ。禁忌の子。子がすくすくと育つのを見て、罪悪感に苛まれながら涙を流した。


 そんなある日。あたしの世話をする侍女の一人が囁いた。


「脱出の手筈が整いました」


 驚いて見ると、かつて一緒に育った乳姉妹だった。てっきり兄に殺されたと思っていたのに。他の使用人に紛れ、ずっと接触の機会を窺っていたらしい。それから、あたしたちは計画を立てた。この檻からの脱出を。自由を夢見て。


 少しずつ準備をして、警備が薄くなったある日。夜陰に紛れて脱出を図った。小さな娘を抱きかかえ、あたしたちは闇夜を味方に進む。たった三人の逃避行。先へ先へと、とにかく目立たないようにひたすらに逃げた。


 無事に国境を抜け、更にいくつかの国を抜けて、あたしたちは小さな町に辿り付いた。ここでなら、母と娘、そして乳姉妹と三人穏やかに暮らせると思った。そこではつつましやかであったけれども、自由を満喫した。


 それが一変したのは、ひときわ風が強い日だった。


 下町からの失火で町が焼け、あたしたちも焼け出された。そして、その焼け落ちた建物に身を寄せるようにしていた復興のさなかに、町を護る外壁の外に見えたのは、かつて捨てた祖国の旗だった。その旗を見て、恐怖に身が震えた。


 あたしは、娘と共に再び捕らえられた。付き従っていた乳姉妹は目の前でなぶり殺された。慕っていた乳姉妹を殺され、娘は半狂乱になった。殺されたのは彼女だけではなかった。町の住民も皆殺された。あたしたちを匿っていた。ただそれだけの理由で。あたしたちは再び囚われの身となった。


 娘と引き離され、囚われた部屋でまた、兄と再会した。兄は何も言わずにひたすらあたしを貪った。朝も夜もなくいたぶられ、疲れ切って気を失うことが続いた。


 そんな毎日が続いてまた季節が変わる。そう言えば娘はどうしたのだろう。兄に聞こうにも顔を合わせば問答無用でいたぶられる日々。時間の感覚もそのうちなくなっていた。


 ある日、庭に出ることを許された。理由はともかく、久しぶりの外気が気持ちよく、それだけで気分がよかった。日差しが眩しい。すこし冷たい風を遮るように兄がマントに入れてくれてともに庭を歩く。そして、小ぶりな薔薇が咲き乱れる生垣に囲まれた小さな広場に出た。


 そこにあったのはぽつんと置かれた小さな石。よくよく見てみると、刻まれていたのは娘の名前。


 それを見た瞬間、呼吸を忘れたままその場に立ちすくんだ。


「枷にもならないから、殺したよ」


 そう言って優し気にほほ笑む兄にぞっとした。


 産みたくなかった娘。けれど、とても愛しい我が子。


 怒りが身体をおこりのように震わせ、拳を握りしめるとぬるりとした感触と共に手のひらに痛みを感じた。


「覚えて置け、兄上様よ」


 あたしは兄を睨み据える。


「あたしの愛するものを殺したあなたを許しはしない」


 すると兄は嬉しそうに微笑んで、あたしに深く口づけた。

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王宮の白薔薇 飴谷きなこ @nekonopuchiko

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