第89話 どちらでもない、うそ。ほんと。
諸般の事情により89話は削除した。コメント書いてくれた方、ごめんなさい。
気持ちも新たに改めて第89話。全く違うお話。いつもは私の愚痴だけど、今回は他人のそれ。
たぶん管理(回収)部署だけではなく、他部署・他社、そして他業種も、程度はともかく共通する話ではないか。その『程度』が最近ちょっと、酷いんじゃないかと思った話なのだけど。
2022年6月**日 13時半。
昼食を摂った後、職場の入ったビルの下に設えられたベンチに私は座っていた。曇り空で、風がやや強く、心地良い。
左手にはコンビニで買った、アイスコーヒーの入ったプラスチックのカップ。それを飲みながら右手のスマホに目を落とすと、私を呼ぶ声が聞こえた。
目を上げると、メガネを掛けた温和な笑顔。中肉中背。グレーのスーツ。白髪の目立つオールバック。50歳には届いていない筈だが、それくらいの年齢だ。人事部の課長。
「何してるの?」
私の返事を聞かず隣に座った彼とは、社内ではあまり接点が無い。それでも顔を合わせればそれなりに会話はする。数年前に社内の飲み会で偶然に話をしてから、そうなった。もっとも、単にそれだけの間柄ではあるが。
「ストレスで会社に戻りたくないだけですよ」
ややオーバーに笑った彼は、すぐに真顔に戻った。私と話す時には珍しい表情かもしれない。なぜなら彼とは殆ど仕事の話をしないから。
「やっぱりストレスあるの?」
「仮に私がその辺の通行人を撲殺しても、ストレスで気が狂ったって事で無罪になるんじゃないかって思ってますよ」
彼は、小さく咳き込むように笑う。
「やっぱりそうなんだねぇ」
自らの身体を抱きかかえるようにして、彼は組んだ脚に沈み込んだ。乾いた笑い声が聞こえた。
私は、怪訝な表情だとあえて悟らせる視線を向ける。
「どうかしたんですか?」
「いやね、」──彼の話を要約すれば、『若手の社員が1~2年で辞めてしまう』だ。それも管理(回収)部署での退職者が目立つ。
何人かの顔が浮かぶ。他の営業所なら顔は知らないが、社員が辞めた事くらいは耳にも入る。もっとも、他部署の退職者だってそれなりにはいる筈だ。しかし彼が言うのだから比率としては管理(回収)部署の人間が多いのだろう。
殆どは、しっかりと次の仕事先を見つけて辞めている。ならば彼らの人生にとって決して悪い事ではない。だが、人事部にとってはそう割り切れるものでもないのか。
「何でだと思う?」
「それ、私がわかると思ってるんですか?」
「君なら、若手のケアが必要とか、そういうの言いそうに無いから」
「さっき仰ってましたけど『思ってた仕事と違った』って言われたんですよね?」
「最近辞めたコに言われたのはね」
「確か、前職は介護士でしたっけ。27、8歳の。少しだけ話した事ありますけど」
私はストローを咥えたまま彼と視線を合わせた。
「うん」
「よくも真逆の仕事を選んだもんだと感心しますけど……。面接の時とかに嘘──とまではいいませんが、業務内容を正直に言ってないからじゃないんですか?」
「嘘って」……そう呟いて苦笑した。
首を傾げて彼を見上げるような視線を向ける。これは単なる感想というか先入観みたいなものですよ──と私は前置きした。
「他の家賃保証会社もそうですけど、支払いに困ったお客様へアドバイスするだの、入居者のコンシェルジュになるだの、困窮者を生活保護受けさせるためにサポートするだの、そういうの会社のウェブサイトに載っけてるから誤解されるんじゃないですか? 他社も含めてですけど」
私は彼と口論をしたいとは思わない。というより、私は仕事以外で口論だの交渉だのは、御免なのだ。だから雑談としか受け取られない口調を心掛ける。
「そういう部分は確かにゼロじゃないですよ。けど人にもよりますけど、業務の1%以下の割合でしょ。ちゃんと、払ってもらうか出て行ってもらうかのどっちかですって言ってます? 『ちょっとした魚釣りです』っていう仕事に採用されて職場に行ったら、実は南氷洋への遠洋漁業だったらどうします? 誰だって『思ってたのと違う』ってなるでしょ」
「ちゃんと管理(回収)の人も面接には入ってるよ。数字があるとかも言ってるよ。質問にも応えてるよ」
「入居から一回も払ってない女性を退去させた。その同棲相手が転居先の申込をした。何と保証会社はまた当社です。電話番号も登録してて、絶対に審査で弾けた筈なのに通した、とか。ネットに名前を入力すれば5秒でわかる詐欺師です。でも契約しました。家賃何十万円の物件です。そんなバカは日常茶飯事で、案の定、延滞発生。彼らは払う気なんてハナからありません。けど回収できなければ全て管理(回収)担当者の責任になりますとか、ちゃんと言ってるんですか? 数字達成しなかったら……まあ、昔ほどじゃあないですけど、結構詰められます。数字の進捗を戻せといわれます。1日2日でそんなに数字変わるわけねえだろなんて反論はできませんとか、説明してるんですか?」
「そんな細かい話なんて出ないよ……」
そう呟いた後、噴き出すように彼は笑って曇天を見上げた。私は視線を逸らさず、吐き出すように続ける。
「数字の締め日が終わってちょっと落ち着ける時期ってありますよね。数字の悪かった人間はそんな時期でも上司命令で延々と、朝から晩まで延滞客の部屋を訪問させられて、同僚からは陰ではルンバって呼ばれるとか」
「それは単なる悪口じゃないの?」
「可哀想ですよね。ルンバって呼ばれるの」
「僕は君がそう呼んでるんじゃないかって気がしてるよ」──彼は奇妙な虫を観察するような目を私に向けた。「審査がどうとか、回収のレアケースなんて、普通は面接で話さないでしょ」
だからレアケースじゃねえんだよ、と返そうと思ったが、やめた。彼は管理(回収)の仕事をした事もないし、よく知りもしない。そういうセクションではない。それで良いと思う。私も人事の仕事など知らない。
「でも仕事の日常ってそんなんですよね。少なくとも管理(回収)の仕事は、ボランティア団体みたいなもんじゃないですよ。家賃保証会社のウェブサイトに何を書こうが」
再びストローに口を付ける。もうコーヒーは入ってない。水が少しだけ舌を潤し、私は真正面のビルを見上げた。
「家主や入居者の笑顔のため、社会貢献のために家賃保証会社の管理(回収)業務やってますなんて、心底からそんなの思い続けて仕事してる人がいたら、たぶんソイツの家の風呂場にはバットで殴り殺した奥さん子供の死体があるイカれたヤツじゃないですかね。そんな素敵な事を語ってるの、家賃保証会社のウェブサイト上にしかいないですよ。もし実在するなら、駅のホームで背中は絶対に見せたくない危険人物だと思いますよ。こうやって、ストレスで来週には覚せい剤やってるかもなんて思いながらアイスコーヒー飲んでる私の方がまだマトモでしょ?」──彼に視線を戻し、既に氷だけになったプラスチックのカップを目の高さに上げる。彼は同意はせず、苦笑いで応えてきた。
私は憂さ晴らしにこんなもの書いてるけどな。誰にも言わずに。──胸中で呟く。これは言えない。断じて言ってはいけない。
「で、結局、どういう事なの?」
「インターンっていうわけじゃないでしょうけど、雇用契約する前に1ヵ月くらい実際の現場を見てもらうくらいしか、ミスマッチ無くす方法なんて無いんじゃないですかね? それでも続くかどうかわかりませんけど。そもそも本当に必要な仕事かどうかもわかりませんし」
投げやりな口調。スマホに目を落とした。立ち上がる──「すいません、そろそろ戻ります」
身体は向けず、小さく頭を下げた。すぐにビルの入口へ視線を向ける。彼の反応を確認せずに、歩き出す。
「無茶苦茶言うね」
笑い声と共に、彼が立ち上がる気配を感じた。
「ここだけの話って事で」──歩きながら、振り向き、やや大げさな笑顔を作る。間を置いて、続けた。
「この前、他の家賃保証会社の人と食事したんですよ。知り合いの同僚で、台湾人なんですけどね」
「そうなんだ?」
「台湾には家賃保証会社なんて無いんですって。その人、家賃保証会社で働いてるのに、存在理由をわかってなかったですよ」
私にも本当の所、わからん。並んだ彼に聞こえぬよう、呟く。
「外国の人は、そうかもね」
私たちの前にも、後にも、何人もの人がビルに吸い込まれていく。若い人も、中年も、定年間際といった人も。男も女も。
6月。色んな会社の新入社員が辞める頃か。
あまりいないとは思うが、家賃保証会社の面接を受けようと思ってる貴方。
営業とか審査とか総務とか人事とかその他の部署は知らないけれど、管理(回収)部署に関して言えば、あんまり家賃保証会社のウェブサイトの綺麗事を信じちゃダメだよ。
たぶんね。
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