第74話 かつて存在した家族の話(後編)

(前編のまとめ)

 83歳のDは妻と息子の3人世帯。6月分の家賃(5月末が支払日)を6月15日に支払うと希望した。支払いは無く、電話は契約が切れている。D宅へ訪問するが、何を質問しても『わからない』と答える妻しかいない。周囲の情報から息子には精神疾患の症状か知的障害があるように推察できた。Dの住民票を取得。Dは、私が彼の妻と最初に会った数日前に死んでいた。(まとめ、終わり)


 時間を数カ月程、進める。

 

 ドアを開ける。玄関の床には請求書、チラシ、通知の山。廊下には以前に覗いた時と変わらず段ボールが積み重なっている。開けられているものは、上辺が無造作に破られていた。開けるというより、漁ると言った風だ。

 段ボールを避けながら、ダイニングへと進む。間取りは2DK。廊下も含めてゴミがそこら中に落ちている。食品の食べかす、容器、チラシに請求書。

 それぞれの部屋に入るには身体をずらしながら進まねばならない。

 足の踏み場もないと表現すれば、床一面を覆うゴミだらけの部屋を想像するかもしれない。が、この2DKはそうではない。

 確かにゴミは沢山落ちているが、単純に物量が多いのだ。


 ダイニングには古く大きな食器棚。4人掛けのテーブルと椅子。電子レンジやラック。そして段ボール。

 居室にも大きなタンスが複数個に衣装ケース。TVと机。そしてまた段ボール、段ボール、段ボール。

 83歳にもなればそうそう必要もなかっただろうに、スーツの数が多い。妻子の荷物はあまり見当たらなかったが、高く積まれた段ボールの中なのだろうか。

 およそ2DKの家具の量ではない。

 一戸建ての家財道具を一切合切、無理矢理に詰め込んだ印象。当然、配置も滅茶苦茶である。どこで3人が寝ていたのか見当も付かない。

 D一家が自ら運べる物量ではない。引越し業者も絶句しただろう。


 ただ、この量こそがDたち家族にも歴史や思い出はあった、その証明なのだろう。それもすぐに全て、ゴミとして処分されるけれども。


 時間を戻す。

 既にDは死んでいたと私が知った翌日。

 

 市役所へ電話を架ける。といっても、どこの部署へ電話をすればいいのかイマイチわからない。

 時々、高齢単身者を対応している部署と話をする事はある。が、自治体によって部署名も異なるだろうし、そもそも憶えていない。C市役所のウェブサイトを見る。高齢者の支援などを行っている部署。ここかな?


 高齢の認知症患者と精神疾患または知的障害者の世帯だ、誰かが生活のサポートをしていなければ、成り立つとは思えない。葬儀はたぶん役所が何かしら関与しているだろう。少なくともDの妻──以下Eと呼ぶ──に葬儀の手続きができたとは思えない。

 そもそもD自身が高齢者だったのだ。生前に何かしらのサポートを受けていた可能性は大きい。


 D夫妻の氏名や住所と状況、そして『部屋をどうするのか、このままでは裁判になるので、誰かサポートしている人がいるなら話をしたい』と伝えた。

 電話口の女性は彼らの事を知らない。当然だ。そこまでの偶然を期待してはいない。

 彼女は、もしも何かしらの対応をその部署でしていたとしても、個人情報なので何も答えられないと言った。構わない。

 もし担当している人間がいるなら連絡が欲しいと、社名と私の名前、電話番号を伝えた。それだけで良い。それだけしか出来ない。

 もしかしたら、何処かに伝わるかもしれないと期待する。


 その月はそれから2回、訪問した。ドアは開かない。電気は停まったままだ。


 8月。


 明渡訴訟を提起する。単なる延滞であれば間違いなく判決は取得できる。スムーズに進めば強制執行──断行(部屋から荷物を運び出して明渡を完了させる事)まで半年程度だろう。

 ただし今回は問題がある。被告に事理弁識能力が無いと裁判所から判断された場合、特別代理人の選任を申立てなければならないかもしれない。詳しくは法律の本でも読んでほしいが、通常の訴訟よりも時間が必要になる。その間ずっと延滞は発生し続ける。

 これが問題だ。私の数字にはマイナス。私は会社員。

 

 結局、裁判所から指摘されない限りは──通常通りの訴訟手続きで進める方針となった。実際の所、Eと息子の状態は不明瞭だ。


 問題は何一つ解決していないが、私のストレスは大いに減じた。

 明渡訴訟の手続きに入ったのだ。紆余曲折が仮にあったとしても、いずれ『解決』する。


 8月**日。

 ドアの金具に貼ったテープは、いつものように捻じ切れていた。ドアの開閉はある。インターホンの音が鳴った。停止していた電気が再開している。

 裁判が開始されていると書いた通知を投函し、テープを貼りなおす。

 

 会社へ戻る車の中。スマホの着信音が聞こえた。

 

 地域包括支援センターのRだとその女性は名乗った。地域包括支援センターは、高齢者の暮らしをサポートをする機関だ。自治体が設置している。

 あまり詳しく話せないが……と枕詞に付けて彼女は言った。『Eと息子は部屋で生活をしている。後見人をEへ付けたいとは考えている。息子も病気』

 後見人(判断能力の無い人の代理人とでも思ってください)を付けようというのだから、やはりEには判断能力が欠如しているのだろう。


『いまは現状維持しかできない』とRは続けた。部屋で生活せざるを得ない。施設には入れない。Eたちが嫌がっているから。

 彼女の口調からは、それが良い事とは決して考えていないと読み取れた。例えば彼女はEをどこかの施設に入れるべきだと口にした。


 彼女も大変だと素直に思った。それが全く最善の形とは程遠くても、Eたちの生活のサポートをしている。出来る事を出来る限りやっている。

 仕事なのだ。理想からどれだけ程遠くても、やれる事をやらなければならない。


 私も含めて外部の人間は『こうすりゃいい、ああすりゃいい』と簡単に口にする。もしかしたらそれは完全に正論なのかもしれない。しかし組織とそれに所属する人間には、そうできない事情──それがどれほど下らないものであったとしても──もまた、存在する。


 彼女のいくつかの質問に答えながら胸中で呟く。何のために電話をしてきたのだ? 

 状況を知りたかった事が一番の理由で、次にEを担当する市役所の部署と担当者名を教えたかったようだ。イマイチ私には包括支援センターと役所の担当部署の、線引きというか役割分担が理解できなかった。


 Rと時間を合わせてEと面談しようかとも考えた。口にもした。結局『意味がない』という結論になった。『現状維持』を選択されているのだ。部屋を明渡す事ができない。


 彼女は最後に言った。『もっとEの状況が悪化すれば、きっと彼女にとって良い方向へ変わると思う。裁判を進めてほしい』

 中々に達観したセリフだと思った。


 翌日、その担当部署の担当者と話をした。現状維持しかできない。それだけ。Rと同じ内容だが、何の感情も入ってない声だった。


 第1回の口頭弁論は9月の半ば。

 E達からは、何の反応もなかった。


 頻度はかなり減らしたが(時間の無駄だから)が訪問は続けた。ドアの金具にテープを貼る。部屋を誰かが使用し続けているのか? それは把握したい。

 隣室のドアが開いた。また中年女性だ。いつもいつも、仕事とか、ないの?

『息子が道端で大声をあげていた』──地獄絵図みたいな町内だなと苦笑する。

 

 判決が確定した。


 結局、スムーズに判決が取得できたのだ。ホッとした。

 だが明渡催告──執行官が部屋に入って『〇月〇日に強制執行します』という告知を貼るセレモニーだ──の時に、もしもDの息子が部屋で錯乱していたら、どうなるんだ? 執行停止の可能性は? 考えても仕方ない。その時はその時だ。


 市役所のEの担当者へ連絡する。判決は確定した。担当者は『Eはもう部屋にはいない』と答えた。どこにいるのかは教えてもらえなかったが。 

 

 Eが住んでいないといっても、家財道具を撤去して終了というわけにもいかない。何の了承も得られていないし、そもそもまだ息子がいる。彼の事は何も教えてくれなかった。

 

 強制執行の申立てへと手続きが進む頃、電話が鳴った。


 名前を聞いただけで『ああ、精神病院ですね』と理解できる施設名を名乗った男性。私の電話番号は大家から聞いたと続けた。用件は『Dの息子の衣類等を取りたいから鍵を貸してほしい』


 催告時には当然ドアを開ける必要がある。鍵が無ければ解錠業者に開けてもらう。私は大家から鍵を借りていた。


 3日後、何度も来たアパート前。白い軽ワゴンの運転席から降りた男へ名刺を渡して挨拶する。


 後部座席から降りたのは2人の男性。片方がDの息子だろう。

 薄い頭髪。肥満した身体を包んだ青と白のチェックのシャツ、そしてジーンズ。本人の衣服なのかはわからないが洗濯はされている。ビニール製の、足の甲の部分にいくつか穴の開いた形状のサンダルを履いていた。

 声をかける。委縮しているようには見えないが、微かに視線を私へ向けただけ。剃り切れていない首筋のヒゲが肉の狭間で動く。

 職員は私へお礼を言って、Dの息子とドアへ消えた。


 荷物をトランクへ運び終えた職員へ、部屋の明渡訴訟をしている事を伝える。

 Dの息子に必要なものは今日運び終えたと──3年後の天気を聞くような興味が無さそうな声音の返事。


 部屋の中を覗いても良かったが、正直なところ何ができるわけでもない。鍵を閉めて、ドアの金具へテープを貼りなおす。

『誰か』が部屋を使用している可能性を捨てない。が、結局の所その必要は無かった。


 Dの息子が暮らす病院から連絡が入ったのだろうか。電話が鳴った。Eが入居する施設の人間だとその女性は名乗った。事情をほぼ全て知っていた。Dが死んだ事も、息子の事も、部屋の明渡の裁判が行われている事も。地域包括支援センターのRや市役所の担当者の名前まで知っていた。

 

 既に強制執行の申立ては行われていると説明する。裁判が行われている事は知っていても、どういう現状で、だからこれからどれくらいの期間で何がどうなって……と理解しているとは思えない。そんな事は、私のように仕事でもなければ『普通』は、知らない。知る必要が無い。


 既に誰も住んでいない部屋で、これから強制執行へと進む。現状を維持させる意味も無い。大家もさっさと部屋を片付ける事を希望している──本当は当社こそがさっさと終わらせたいのだが──と続ける。


「もう部屋を片付けてもいいと思いますよ。必要なものはありませんし」


 Eの『形式上』だけでも了承は得られるのか? 書面にサインをしてもらうだけでいい。


「それくらいは出来ると思います」

 さっさと問題を終わらた方が良い、そう考えている口調だった。

 もう部屋に帰る事は無いだろう、そう口にした。


 私がEにサインさせれば、もしかしたら悪意ある誰かに『無理矢理書かせた』と思われるかもしれない。が、施設の手を経るなら問題ない。もっとも、文句を言う人間などそもそも存在しないが。


 部屋の明渡と家財道具の処分を希望する書面を送るから、Eからサインをもらって返送してくれと伝える。

 Eは部屋の鍵を所有していない。部屋のどこかにはあるかもしれないと女性は言った。鍵など、最早どうでもいい。


 延滞した家賃の事は聞かれた、Eには支払えないと思うと。確かに債務は存在するが、Eや息子の状態もお互い理解している。


「まあ、請求しても、どう考えても無駄だと理解してますから……私たちも無駄な事は普通しないので。今の世の中、無茶な事もできませんし」


 その回答に、女性は苦笑していた。相続放棄しているのかは聞かなかったが、それもどうでもいい話だ。

 

 ドアを開ける。

 2DKの部屋に無理矢理に詰め込まれた大量の家財道具。

 世帯主は死んで、その妻は、程度は実際のところわからないが認知症で施設へ入居。部屋へと戻る事は無い。息子は精神病院だ。


 テレビと立派な台座。木製の大きなタンスと衣装ケース。大きな食器棚。テーブル。机。薄汚れた布団。乱雑に積み上げられた段ボール。


 以前は一戸建てにD達は住んでいて、何かしらの理由で家を手放したのではないか? でなければこの量は説明できないように思えた。


 家族の歴史。記憶。Dの妻と息子の脳には、今どれくらいそれが在るのだろう。私にはわからない。

 もしかして最も正確にDたち家族の記憶を刻んでいるのは、この大量の家具なのではないか?


 その家具も、数日後にゴミとしてこの世から消えた。『解決』だ。

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