第71話 もうそろそろ、いいんじゃないの?

 私は家賃保証会社の管理(回収)担当者だ。その前は10年くらい消費者金融で同じ仕事をしていた。

 違いがあるとすれば家賃保証会社の仕事には『払ってもらう』だけではなく『(部屋を)出て行ってもらう』事も含まれる事だろう。


 どちらの業界にもそれなりの期間、末端の会社員としてだが、身を置いている。つくづく思う。本当に、管理(回収)部署の人間は、口が堅い。


 ある男性アイドルがいる。20代中盤だった頃から毎月延滞。当時から有名人である。明らかに仕事はしている。なのに本当に毎月、延滞する。

 2カ月延滞が溜まる事はないが、毎月々々延滞し続けている。

 電話の応対を誰もが嫌がった。あえてこの書き方をするが『クソみたいな』口調なのだ。

 徹頭徹尾、それこそ電話応対する女性アルバイトに対しても威圧的。彼女は回収数字を背負っていないためでもあるが、そもそもとても丁寧に接している。

 彼女に対してすら『払うっつってんだろ、イチイチ電話してくんな』──そんな口調。いや、もっと酷いのである。この男性アイドルと話をした管理(回収)部署内の誰もが彼を嫌っていた。

 いまかなり落ち目と聞く。万々歳である。


 ある会社の社長がいる。社員数は5人くらい。

 事務所の家賃をずっと延滞し続けている。1カ月分延滞、2か月分延滞そして延滞解消のサイクルを5年以上繰り返している。


 地方紙に彼の記事が掲載された。『小さな会社だけどその地方で頑張っている社長さん特集』みたいなやつだ。その何人目か何十人目かに彼が選ばれた。


『大変だけど、お客様の要望に応える事こそが自分の生きがいです』──そんな事を語っていた。素晴らしい。

 彼に延滞案内の電話をする時は注意が必要だ。彼が一方的に指定した『毎月**日』以前に電話を架けると、怒鳴りだす。18時を越えて電話をしても怒鳴りだし、管理(回収)担当者を彼の会社へ呼びつける。『いちいち電話してくんな!』──電話と同じ事を怒鳴るんだから呼び出す必要があるのかよ? と疑問に思うセリフを叫んだ挙句に『俺の時間を使ったんだ、損害賠償を請求する』。

 アタマがイカれている。


 もう、いいんじゃないの?


 例えば有名人が不祥事を起こすと、彼或いは彼女の『行きつけの飲食店』の従業員などがインタビューに応じているのを観たり読んだりする。

 態度が悪かっただの、誰かと争っていただの──そういう人となりをあっけらかんと語っている。


 では、その有名人の人となりを語っている『管理(回収)担当者』を見かけた事はあるだろうか? 私は、少なくともマスメディアの中では、一度も無い。


 以前から、つくづく不思議だった。そして、凄いと思っていた。我々『管理(回収)』部署の人間は、本当に口が堅い。

 家族が人質にでも取られているんじゃないかと思う程だ。


 我々(会社員)は、材木のような『人材』であり、いつでも取替え可能な『歯車』というパーツかもしれないが、感情のある、不完全な、血の通った人間だ。退職した人間も当たり前だが沢山いる。それでも私の知る限りマスメディアでは『口を割って』無い。天晴れである。


 だけどもう、いいんじゃないの?


 2020年5月**日。B県C市。男性”D”。52歳。家賃38000円。単身世帯。


 彼の仕事は警備員で、日当は8000円だった。毎日仕事があるわけではない。

 延滞発生を我々が知った時点で既に3カ月分の延滞があった。どういう事か?


 物件の管理会社が変わったため、やっと『延滞を弁済(保証)してください』と、当社へ連絡してきたからだ。


 家主も前の不動産管理会社も揃っていい加減で、延滞を把握はしていても何もしていなかったのだ。保証会社へ連絡する、そのひと手間すらしていないのだ。


 新しい不動産管理会社が精査すると、少なくとも3カ月分は間違いなく延滞している。ただ記録がいい加減で本当のところはよくわからない。実際はもっと延滞している。

 しかしそれはもうどうでもいいと超高齢の家主も納得しているらしい。金持ちケンカせずだ。羨ましい限り。


 5月分の延滞賃料は『仮に支払いがなくても』当社が弁済(保証)する。が、それ以前のものは『家賃が支払われてません、代わりに弁済(保証)してください』と連絡してくる期日を越えているため当社は保証できない。

 もちろん併せて督促はする事を新不動産管理会社の担当者へ伝える。6月分からはキチンと期日までに延滞の連絡をもらえれば当社が保証する。


 Dは開口一番から怒鳴っていた。給料が少ないため支払えない。当時はコロナ禍による10万円の特別定額給付金の支給自体は決定していた。給付されたらそれも利用して支払ってはどうかと提案した。

 家賃は38000円なのだ。10万円でもそれなりの救いにはなる。


 国が給付するカネの使い道を、なぜオマエに指図されなければならないと更に怒声が強まった。オマエはヤクザかと。


 私は、交渉で強い言葉は使わない。これだけは自戒している。

 消費者金融で働いてた頃から、自分のカネを貸したわけでもないくせに強い言葉を使う同僚──『会社員』を、軽蔑していた。今もだ。


 だから率直にいって、私の交渉は誰に聞かれても構わない。そういう口調だ。なのにDは電話口で怒鳴り続けた。


 警備員の仕事の給料が月に8万円に満たない事もあると言ったため、生活保護の申請も提案してはみた。


 働きながらでも生活保護は受けられる。

 簡単に書く。仮に生活保護を受けた場合に住宅扶助(いわゆる家賃)を含めて13万円支給されるとする。収入(給料とか年金とか)が月5万円とすれば、生活保護費として差額の8万円支給される(実際はもう少し細かな計算がある)。

 

 Dは生活保護を数カ月前まで受けていたと怒鳴り返してきた。そして、保護費の返還として毎月5000円支払わねばならないと続けた。

 たぶん、警備の仕事の給料を申告しなかったとかなのだろう(つまり、保護費をもらいすぎたため)。

 現在は生活保護は切られたと言っていた。ただ、うるさいので、もうどうでも良くなった。

 やはり私はこの仕事に向いてない。


 警備会社の給料は週払いなので、毎週木曜日に1万円支払うと宣言した。家賃が38000円なので、1ヶ月で2000円、延滞が解消されていく。

 翌週は支払った。その次には既に滞った。


 ではどうするのか? 当時は未曽有のコロナ禍。

 Dと直接に面と向かって交渉するのがセオリーではあるのだが、彼の部屋は遠かった。いや、正直に告白するなら、面倒くさかったのだ。ただただそれに尽きる。

 38000円という家賃。私の数字には殆ど影響しない。


 加えて世間の目を意識するようになった家賃保証業界。『コロナ禍の状況での交渉で揉める』くらいなら、コストはかかっても明渡訴訟で法的な解決をするハードルが下がっていた。少なくとも私が働いている会社においては。


 もちろん、私の知人が働いている『訴訟? 何それ?』という会社も世の中にはある。

 彼らは明渡訴訟などしない。そんな手間もカネもかかるマネはしない。追い出す。ロックアウト(ドアの外側から鍵をかけて出入りできないようにする、とでも思ってください)もする。

 6万円の家賃の督促へ分娩室まで行く連中である。時代も令和になろうかという頃にである。


 怒鳴るだけで会話にならないD。私は、ダラダラと待つことにした。延滞が溜まるのを。電話をすればDは出る。一方的に次回に支払える日と金額を叫んでくるのだ。

 ハイハイと聞く。

 どうせ支払えない。延滞金額は増え続ける。

 だから待つ。明渡訴訟の準備をして。『こんなキチガイ、誰が交渉しても無駄ですよ』──と、誰もが読み取るように、多少の作為を加えた交渉記録を残して。


 全く私は、模範からは程遠い会社員だ。

 私を雇用している会社が本当に気の毒である。


 Dは10万円の特別定額給付金からも一応は支払ってきた。2万。どうせ借金だらけ。警備員の仕事も減少している。だから頑張ってはいたのかもしれない。

 何の解決にもならないが。


 2020年9月には明渡訴訟が地裁へ提訴された。2020年11月には第1回の口頭弁論。Dは出廷せず。判決は確定。


 Dとは時々、電話をしていた。退去を促してはいた。その頃には多少はおとなしくなり『なんとか訴訟を取り下げられないか』と相談してきた。今更おとなしくなってどうする。

 判決も確定している。転居先を探すしかないのでは? それだけが回答。『転居にもカネはかかる、そんなカネはない』。そんな事、私の知った事ではない。

 

 2021年1月には明渡催告──執行官が物件に行って『〇月〇日に強制執行をします』という告知を貼るセレモニー。Dは不在。警備員の仕事なのかもしれない。

 順調、まさに順調。

 〇月〇日に強制執行されるDがどこにいくのか知らないが。


 結局、2021年2月に強制執行は実施された。Dは部屋にいなかった。家財道具は意外な程残っていた。冷蔵庫もTVも。夜逃げってヤツだ──ああ、スッキリした。


 不動産管理会社へ、さっさと鍵を交換して、もし万が一Dが戻ってきたら不法侵入で警察にでも連絡するように伝えて仕事は終了。完全に終了だ。


 ああ、スッキリ──そう、スッキリ、できるのである。


 前述の有名人にせよ『小さな会社の社長』にせよ、そしてDにせよ、当社へ契約時には保証料を支払っている。

 だから、確かにコストを考えれば『客じゃない』とも思うが、それでもやっぱり一応は『お客』ではあるのである。


 更には延滞が重なれば、明渡訴訟をして強制執行──『スッキリ』できるのである。


 我々、家賃保証会社が直面する『真実、オマエなんか客じゃねえ』──そういう人間は、不動産会社だと思う。

 入居者(わかりやすく=契約者とする)の大抵は延滞しない。私が今まで書いてきたのは延滞客の一部のそのまた一部の話だ。

 大抵の入居者はただ保証料を支払ってくれるだけである。まさに『お客様』だ。

 

 しかし不動産会社は元より『お客様』ではない。単なる取引先である。


 確かに不動産会社が当社の商品を使ってくれるから、我々は収益をあげられる。しかし、不動産会社も家主も、我々にはビタ一文支払っていない。支払っているのは契約者(=部屋の借主。賃借人)だ。


 にもかかわらず、異常な程に高圧的だったり、不義理だったり、不誠実なのが不動産会社の一部でありその従業員だ。不動産会社は家賃保証会社からキックバックまで貰ってるのに。

 問題なのは、彼らと取引を切るのは、中々に難しいのだ。

 延滞客のように、延滞しました、強制執行、はいスッキリ──なんて終わり方をしようがない。会社と会社の取引なのだ。そんな簡単に『〇月〇日に終わり』にはできない。

 そもそも『いまも住み続けている契約者の』保証契約をどうするんだという問題が残る。

『今後一切その不動産会社が関わる契約は受けない』と決定すれば、その時点で存在しているすべての契約の終了をもって、関係は終わる。賃貸物件の家賃保証なのだから、いつかは全員転居する(もしくは死亡して終わる)。

 しかし時間がかかる。中々、面倒くさい話だ。


 あるケース。


 コロナ禍の中、外国籍の契約者が帰国した。解約の連絡も何もない。部屋の出入りは当然に、無い。荷物は殆ど残っていない。段ボール一つ。他は全て処分している。

 延滞も3ヶ月目に入ろうとする頃、彼から国際電話がかかってきた──『もう日本には戻らないし、部屋は明渡す』。要約すればそんな所だ。それ以来彼とは連絡が取れない。


 部屋の賃貸借契約は延滞は、既に3ヶ月目に差し掛かろうというのだから当然に解除されている。室内の確認も実施しているから、部屋の状態(段ボール一つ)もわかっている。

 当社が段ボール一つを片付けて終了。それで御仕舞。

 何の問題もない──の筈が『部屋の明渡は契約者が部屋にこなければならない。段ボールも取りにこさせなければ明渡完了とは認めない。勝手に処分するな』。ある不動産会社の社員が言った。


 オマエ、気は確かか?


 私の案件ではなかったが偶然、同僚へ同行していた。

 私物は段ボール一つしかない伽藍とした部屋で、その社員は我々にそう言ったのだ。

 耳を疑った。


 延滞客は、『お客様』ではないかもしれないが『お客』ではあると私は思う。彼らが我々の収益の源だ。

 だが、不動産会社はそうではない。彼らはビタ一文支払っていない。少なくとも『お客様』ではない。取引先である。もちろん優良な、素晴らしい取引先も沢山ある。

 だがその一部は──少なくとも管理(回収)担当者にとっては──『敵』というのは言い過ぎかもしれないが、それに近いものじゃないかと思う。


 有名人がトラブルを起こすと、インタビューに応じる彼あるいは彼女の『行きつけの飲食店』の従業員等がいる。管理(回収)担当者でそんな人間を私は見た事がない。全く、我々は本当に口が堅い。


 契約者は、なんだかんだと『お客』だ。彼らの支払う保証料があって我々は給料を得ている。それでも、耐え難い延滞客は存在する。

 ましてや不動産会社はお客ですらない。その一部は本当に、あらゆる意味で、そうではない。


 だからもう、いいんじゃないの?


 家賃保証会社や消費者金融を、既に辞めてしまった貴方たち。

 貴方たちだったらもうそろそろ、いいんじゃないの?


 私? 私は会社員で、現役の管理(回収)担当者だから、こんな風に匿名で、誰の事だかわからない愚痴を書く事しかできない。我が身が可愛いから。

 けれども、そうだな。もしも東南アジアで海を眺めながらの生活に入る事ができたならその時は、もう少しタガを外して書いてみようか。

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