第70話 畜生。畜生。畜生。

 厚生労働省が公表している児童養護施設に関するレポートをご覧になった事はあるだろうか?

 児童養護施設──昔で言う孤児院か──へ子供が入所した経緯などを纏めてある。『親が育てられない』から入所する子供。入所理由のうち『親との死別』はどれくらいかおわかりになるだろうか?


 2013年では2.2%だ(1983年では9.6%)。『父母の行方不明』を併せても7%に達しない(1983年では38%)。入所理由は大半は親による虐待、育児放棄、保護者が服役した、精神病院に入った……等々。つまり『孤児』ではない。(広義では『保護者のいない未成年者=孤児』となるのだろうが)

 戦乱が終わったばかりの国ならともかく、現在の日本で児童養護施設へ入所する子供の親のかなりの数は、生きている。


※厚生労働省 児童養護施設等について

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11901000-Koyoukintoujidoukateikyoku-Soumuka/0000166119.pdf



 そういう施設へ入所している高校3年生数人と以前に話をした。

 驚いたのは彼らの貯金額だ。70万円くらいが平均だった。100万円を越えている子もいた。もちろん、所詮は数人だ。たまたま彼らがそうだっただけかもしれない。それでも、大した額だと思わないだろうか?


 あなたは高校3年生の時にいくら貯金があっただろうか? 私はゼロだった。運転免許も親のカネで取得させてもらった。


 彼らはたくさんバイトをしていた。お金を貯めていた。その理由は『特段の事情がない限り18歳で施設を出なければならない』から。自立せねばならないから。

 自立の最低ラインは、自分のカネで自らの衣食住を賄う事だと私は思う。私が働き始めて数年経ってやっと意識できた事だ。彼らは高校生なのに認識できていた。立派だと思った。


 2021年2月**日


 去年の暮れに連絡が取れた延滞客から電話がかかってきた。『住居確保給付金』の申請のため社会福祉協議会へ相談に行ったが断られたと彼女は言った。


 A県B市。20歳の女性C。単身世帯。職業は大手飲食店のアルバイト。延滞2カ月。


 コロナ禍により飲食店は深刻なダメージを受けている。その影響を最も顕著に被るのは末端の非正規雇用者だ。働けないから収入がない。

 彼女もそういうアルバイトの一人だった。居住してからそれまでに延滞は2度だけ。延滞の常習ではない。


 時間を少し遡る。

 2020年12月下旬。B市の曇った空の下。古びた外壁を無理矢理白く塗ったアパートの一室の前に私は立っていた。


 Cとは最初の訪問で会えた。肩まで伸ばした黒髪の小柄な『女の子』という印象。美形とはいえないが、メイクをすれば変わるのだろう。その属性に『家賃延滞1カ月目』が加わるが。

『すいません』を、口癖のように繰り返した。カネがない。払えない理由は、ただそれだけ。

 決して贅沢な物件に住んでいるわけでは無い。家賃は彼女の本来の手取り月収の3分の1程度。

 B市でそれ以下の賃料の物件となると、若い女性1人では中々住みづらい環境になると思う。


 住居確保給付金の申請をするよう提案をした。


 そしてその後、連絡が取れなくなった。契約書に記載された緊急連絡先(連帯保証人はいない)にも私は連絡していた。緊急連絡先の女性はある児童養護施設の施設長で、Cの事はうろ覚えだった──『ああ、前に施設にいた子だと思うけど、連絡なんてしてないね』


 電話には出ないCへ、現状を再認識させるための厳しめの内容のSMS(SNSではない。念のため)も何度も送信していた。

 実際このまま時間のみ経過すれば、部屋の契約は解除される。明渡訴訟も視野に入る。そういう文面。何の反応も無いまま、1ヶ月分だけ振込があった。


 その後も連絡は取れないまま、2月に入る。そして前述した『住居確保給付金の申請を門前払いされた』という電話がかかってきた。か細い声。彼女は開き直るタイプではない。数分会っただけ。電話でも3度しか話した事はなかったが、気弱な女の子だと思う。


 理由を尋ねる。全くバイトに入れなくなって、収入が6万程度に落ち込んでいたと聞いたから『住居確保給付金』を案内したのだ。少なくとも『申請すらも受け付けない』とは思えない。


 ここで『住居確保給付金』を簡単に説明する。原則3ヶ月。最長9ヶ月。コロナ禍への特例として更に3カ月。家賃が給付される制度だ。『給付』なので返済の必要はない。自治体より直接、家主や不動産会社、場合によっては家賃保証会社へ支払われる。金額は生活保護の住宅扶助分を上限額と考えれば間違いではない。

 例えば東京都。23区と大抵の市の場合は、単身世帯の住宅扶助上限額が月額53700円(障害がある場合などで特例的に上限額が上がる事もある)。それを上限額として『給付』される(B市の場合は上限額はもっと低い)。当然、家賃に不足する分は自分で払わねばならないが、相当の助けにはなる制度だ。


 それが、申請すらも断られた? 


 体調が悪いのか、時折せき込みながら話す彼女の言葉をまとめると、なんだかんだと10万円には届かない額ではあるが、飲食店から収入が入った。それを社会福祉協議会の窓口に伝えたらしい。結果、申請すらできなかったという。いや、彼女が『(相談窓口で)自分には無理と言われた』と言っているだけで、実際にどんなやり取りがあったかわからない。が、結局申請すらできていない事は事実だ。

 収入が多少ある場合、住居確保給付金の上限額は無理でも、例えば1~2万円だけ給付されるパターンもある。もちろん彼女は申請すらできていないのだから、給付の可能性はゼロだ。

 Cは続けた。

「あと5日待ってください。1カ月分(の家賃)は払いますから」


 バイト先の給料日は25日だった筈だ。まだ遠い。5日後に何があるのか?


「もろ……風俗です」──畜生。


 誤解のないように書いておくが、私は性風俗産業に従事する人に対して全く悪感情をもっていない。風俗店の経営サイドはともかくとして、実際に性サービスを提供する女性は絶対に必要だと思っている。少なくとも家賃保証会社なんてものより余程、必要だ。

 そもそも単純に私は、セックスワーカーの存在する風景が好きだ。だから全く悪感情は無い。だけど……だけど。


 5日後に確かに1カ月分支払いがあった。


 電話がかかってきた。先日よりも更に暗い声音──「明日は休みなんですけど、あと1週間後にはもう1カ月分できると思います」


 畜生。畜生。


 施設を出てから一人暮らし。カネは全く足りず、多少は借金もしているのかもしれないがそれでも、安いバイト代の飲食店で今まで何とかやってきたんだろう?


「身体、大丈夫なんですか?」


 回答がない。ふと、以前会った時に案内はした筈なのだが?──という制度を再度伝える。

『緊急小口資金』。コロナ禍により審査も緩和され、無利子・無担保・保証人無しで、返済は1年後から。上限20万円を『借りる』事ができる。返済時に住民税非課税世帯なら(困窮したままなら)返済免除措置もある。

 それでも足りなければ『総合支援資金』。単身世帯であれば上限は15万円を、原則3カ月(3回×15万円)貸付を受けられる(延長で更に3回。コロナ禍による特例により加えて3回貸付を受けられる)。『借金』ではあるが少なくとも、サラ金から借りるよりは余程マシだ。


 施設出の彼女に対して聞くまでもないが、一応聞いてみる──頼れる親族はいるか? いるのなら、そこへ身を寄せればいい。

 聞くまでも無い回答が返ってくる。


 だったら自分で何とかするしかない。使える制度は全て使って、自分一人で何とかするしかない。

 どう考えても彼女に『モロ風俗』は向いてない。たった1カ月程度で咳き込んで声もかすんでいる。以前は気弱な部分は隠せずともマトモに受け答えをしていた。いまは消沈して声も朧げだ。私に風俗業界の何がわかるわけでもないが、それでも『向いてない』と思う。

 どう考えても時々しか働けてないのに(たくさん働いているならもっと稼ぎがあるだろう)このザマだ。向いてない。


 私は家賃保証会社の管理(回収)担当者だ。その前は10年くらい消費者金融で管理(回収)担当者だった。仕事は出来ないが、向いていないわけでもないから、たぶん嫌々ながらも20年くらい『お金を払ってください』と言い続けられているのだと思う。


 電話を受けた時刻は16時。社会福祉協議会の電話受付はまだ閉じていない筈だ。すぐに電話をして、相談・申請に行く日を決めるよう促す。


 出来ない。時間がない。これから飲食店のバイト。

 数時間しか働けないバイト。

 コロナ禍は風俗の仕事にも影響している。飲食店のバイトも辞めずに続けている。それは悪い事ではないが、不規則な生活が度を越しているように思えた。


 明日はどちらの仕事も休みなので、社会福祉協議会に電話をしてみると彼女は口にした。

 労働の対価は尊い。だだ、そんな価値観よりも今はまずより多く、なるべくリスクの低いカネを集めるべきなのだ。そうでなければ生活は再建できない。


 明後日は風俗の仕事があるという。1週間後には1ヶ月分の家賃が払えると、『すいません』という言葉を枕詞にして呪文のように繰り返した。

 いまは全くカネがない。仮に緊急小口資金を今すぐに申請できたとしても支給は2~3週間後だ。次の給料は明らかに10万なんて額にも程遠い。全くカネがない。『風俗』の力が要る。


 畜生。畜生。畜生。

 

 私は笑って顔を上げて「ところでそれ、どこの店。俺行くから」──そう、受話器に声を……吹き込まなかった。 代わりに「何とか生活を再建させましょう」と、小さな声で伝えた。

 その店に行って(店舗形態の風俗ではないようだが)、背徳的な気持ちで性サービスを楽しめれば私も大したモノなのだろうが、それが出来る程に肝は太くない。もちろん私は善人ではないが。ただただ中途半端な人間だ。

(もっとも私は、自分の担当する延滞客とプライベートで会いたいなどと思った事は一度も無い。これからも思わないだろう)


 もしかしたら、私がここに書いたような彼女の印象は、完全に間違っているかもしれない。いまは消沈していても、あと2カ月もすれば立派な風俗嬢になって、大いに稼いでいるのかもしれない。飲食店で、風俗に比べれば全く低賃金のアルバイトをしていた過去を馬鹿らしく思い返すのかもしれない。さっさと風俗の仕事に就けば良かったと自嘲するのかもしれない。


 だが私は、そうではないと思った。 


 中途半端な人間が、中途半端に他人を理解して話をする。

 中途半端な人間が、中途半端に迷って悩んで生きている。

 今回はそんな世界のお話。 

 

 

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