第60話 今後こんなチャンスはたぶん無いよ?

 201*年*月20日 14時50分 兵庫県B市。

 関西で家賃保証会社の管理(回収)担当者として働いていた頃の記憶。


 毎月、その場所だった。交差点の一角に私は向かった。前々任者より継続されている作業。

 自転車にまたがったまま、薄汚れた服を着た男──Cは先月と同じように、そこにいた。私を見つけた彼は、口から煙を吐き出し、タバコを道路に捨てた。


 50代後半。家賃2万円の部屋に住んでいる。仕事は『空き缶拾い』。もちろん、どこかに雇用されているわけではない。

 皆さんも見かけた事はあるのではないか? 自転車に、袋詰めした大量の空き缶を縛りつけて道路を走る人の姿を。あの仕事だ。

 Cはそれで、生計を立てている。立つものなのか? 今でも不思議なのだが、2万円の家賃は確かにその収入で払っていた。


 私がその後に働く東京では、さすがに空き缶拾いの仕事で家賃を払っている契約者を知らない。家賃が2万円だから何とかなっていたのか、Cが『空き缶拾い』としては凄腕だったのか、私にはわからない。


 そんなに空き缶を拾う努力をするなら、普通に働いた方がよほど効率よく稼げるのではないか? そう思う人もいるかもしれない。『性格的に、普通に雇われて働く事ができない人間もいる』──そう前任者は言っていた。


 Cは食事を、スーパーで買う事もあるし、コンビニの廃棄弁当が拾えるスポットで入手する日もあるそうだ。なんというか『賃貸物件に住んでいるホームレス』という形容矛盾が脳をかすめる。


 先月末が家賃の支払日。延滞している。カネを受け取り、領収書を渡す。次回はまた20日の15時に集金に来てほしいとCは言った。このサイクルが3年以上継続されている。

 Cは電話を持っていない。当然に単身世帯だ。毎月毎月この交差点の一角で延滞している家賃を受け取る。

 2か月分家賃を延滞する事は今のところ、ない。ただし正常な支払いのサイクルに戻る事もない。集金時に、次回集金の日時を──次に家賃分のカネが貯まる日の翌日あたりを──決める。


 連絡手段がないので待ち合わせの約束を違えると面倒な事になる。縄文時代の待ち合わせかよ──領収書にサインをするCを見ながら私は、胸中で嘆息した。


 5000年前は『月が30回昇った翌日、太陽が真上にある時間に一本杉で会いましょう』などという約束の仕方をしたのではないか。Cとの集金の待ち合わせは、縄文の昔のそれと殆ど変らないのではないか。


 集金ではなく、銀行口座に振込みをさせれば私の手間は減る。というより、21世紀の日本で、集金での支払いをしているものなど、どれだけあるのだ? 私は一つもない。

 集金であればCには、銀行振込手数料等の負担はない。だから振込を拒否し、集金を希望してくる。前々任者から開始されてしまった慣行のため、振込で支払うよう変更させる説得は難しかった──バカが。顔も知らない前々任者へ胸中で毒づく。

 そういうわけで、B市を担当している頃は、面倒ながらも集金に行っていた。


 『空き缶拾い』の仕事に、繁忙期や稼ぎ時があるのか、私は知らない。しかし当時ですら3年以上も延滞発生~一時的な延滞解消のサイクルを続けていた。そのサイクルを断ち切る事は、中々の難事業に思えた。


 そのサイクルに陥っている延滞客は多い。

 給料というのはポンポン増えるものではないし、ボーナスがない仕事もまた多い。非正規雇用なら不定期に『一時的な失業状態』が発生しがちでもある。


 生活保護受給者が一度延滞のサイクルに入ればさらに解消は困難である。

 仕事をしている人間なら、もっと給料の高い仕事へ就く意欲やチャンスもあるかもしれない。しかし生活保護を受給している、特に30~50代の男性は労働意欲を失っている場合が少なからずある。

 生活保護で生活を続ける希望があるだけ。収入アップは望めない。わけのわからないプライドに凝り固まっているケースも多い。つまり延滞は解消しない。延滞解消が困難という意味では、年金受給者もそうだ。彼ら彼女らは労働意欲はあるかもしれないが、年齢的に難しい。


 しかし、2020年。世界を覆うコロナショック。日本政府は各個人へ10万円の特別定額給付金の支給を決めた。

 紛れもなくコロナ事変は世界の災厄だ。

 だが、収入面でいえば生活保護受給者、年金生活者に影響は無い──どころか、1人10万円分増える。

 

 東京23区や東京都下の大抵の市では、生活保護の住宅扶助(家賃)の限度額は53700円。大阪市なら40000円だ。


 10万円は家賃の約2か月分~2.5か月分である。

 この給付金で延滞のサイクルを断ち切らねば、いつ断ち切るのだ?

 

 他にも、生活保護受給者は受けられないが、収入が減少した人ならば、無利子で貸付される緊急小口資金を利用できる可能性がある。返済開始まで猶予期間も設けられているので、自分に有利なら利用して良いと思う。

 

 コロナ禍は世界の災厄だが、もしかしたら延滞のサイクルを断ち切る機会にもなるかもしれない。特に生活保護費の家賃扶助(家賃)を散財して延滞のサイクルに陥った人間は、給付金を延滞解消以外の目的では使うべきでないと思う。


 今後こんな機会は、たぶん無いよ?

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