第61話 この面倒な連中を養い続ける事などできないのだから……

 2019年5月*日の東京都A市。

 27歳の契約者B、23歳の妻。そして子供3人の5人世帯の部屋のインターホンを押す。反応は無い。延滞は……9カ月。明渡の訴訟中。


 外壁があちこち剥がれた、古いマンション。3階通路から、道路を見下ろす。私は階段に足を向けた。6万円という格安の賃料に見合って通路や階段には鉄柵のみ。殆ど吹き曝しだ。


 2019年1月までには、Bと数度話した。日雇いの土木作業員。主に『先輩』の所で働いていると言っていた。延滞客にありがちな、よくわからない人間関係。


 カネはないので電話も停まると当時言っていて──実際それから数日後には確かに停止した。カネがない、退去は考える、ヘラヘラ笑いながら、それしか言わない男だった。1月を最後に、Bとの交渉は無い。

 

 3月までは、訪問時にはいつもBの妻と子供は──3人共に幼児だ──いた。

 Bの妻には、訴訟になっていて、明渡の判決が出るだろうと伝えていた。退去を薦めるが、自分には何もできないと繰り返していた。思考停止の模範解答。


 彼らの子供は、人懐っこい性格だった。子供は泣くのが仕事。こんな馬鹿な親を持ったのだ。泣くという仕事もさぞやりやすいだろうと思ったが、泣き声を聞いた事はない。

 幸せな生活とは、私には思えなかったが。


 結局3月中旬から、いつも在宅していた彼女たちも消えた。洗濯物が干される事もなくなった。

 ただ、ガスは停止しているが、電気と水道メーターは変動していた。誰かが部屋を使用している事は間違いない。


 マンション前の道路へ足早に降りた──私を認めたBが、驚いた顔をした。彼に寄り添うように歩いていたのは、IQが低そうな服を着た女性。怪訝な目を私に向ける。Bの妻ではない。

 Bは女性に顔を近づけ、小声で何事かを伝えた。彼女は5メートル程Bから離れ、スマホに目を落とした。


「部屋の明渡の裁判になってるのは知ってますよね?」

 Bは以前と変わらずニヤニヤ笑いながら頷いて、歩き出した。女性に会話を聞かれたくないのだろう。

 

「生活保護(の受給)が決まりました」

 角を曲がり、女性が見えなくなってからBが口を開いた。無職。転居先も決まった。5月末には退去できる。妻子はどこに行ったのかわからない。


 当然、転居費用はA市の生活保護担当部署より支給される。

 嘘ではないのだろうが……27歳、男一人。妻子もいなくなったのなら、住み込みの仕事にでも就けよと胸中で呟く。声にはしない。意味がない。

 それでも──たまたま今日、私が訪問したから会った。転居先は決まっているとはいうが、不動産管理会社や我々は、何の連絡も受けていない。何の連絡もせず出ていくつもりだったのだ。その勝手さには嘆息した。


 その場で退去する旨を記載した書面を書いてもらう。退去期限は5月末。今更何の意味がある書面でもない。が、退去日や名前を書かせる事で『退去しなければならない』という認識を強化させたい。

 

 電話はもっているが、『後輩』から借りているスマホだという。そのわけのわからない貸し借りや人間関係は何なんだ。普通、スマホなんか貸すか? 嘘だと思うが、彼ら延滞客は本当にわけのわからない貸し借りをするのも事実だ。どうでもいいから退去日までは借りておいてくれと伝える。

 5月末日の14時に部屋の明渡をする事を約束をしたが、連絡手段もない人間との待ち合わせはしたくない。


 5月31日。

 舌打ちしてマンションを見上げる。マンションのゴミ捨て場から溢れ出した大量のゴミ。分別していないので収集されてないものが目立つ。

 有料で収集してもらう必要があるため残されているものもいくつか混じっている。

 20室あり、マナーが良い住人が集まっているとは言い難いマンション。ゴミにBの名前が書いてあるわけではないが、このタイミングであれば彼だろうと確信する。


 部屋を訪ねる。反応はない。通路から道路を見下ろすと自転車に乗ったBが見えた。


『下にゴミを捨てたのはBさんですか?』『いくつかは。だが粗大ごみなので持っていってくれる』──持って行かねえよ。その言葉は呑みこんだ。会話するだけ時間の無駄だ。

 Bに片付けさせるにも量が多すぎる。そもそもゴミがすべてが自分のものだとも認めないだろう。仮に認めても、短時間で片付けさせる時間も手段もない。日にちを与えても何もしない。そういう人間なのだ。ゴミはちゃんと処理しなければならない──そんな社会常識にすら適応できない人間。

 私の目的は部屋の明渡を完了させる事。ゴミは──不動産管理会社が片付けられなかったら当社で片付ければ良いと判断する。

 それに、すべてのゴミがBのものかというと、確証まではない──と、あえて認識を甘くさせて話を進める。


 Bの部屋のドアを開けて、再度舌打ちする。窓に近いフローリングに水たまりができている。

「窓閉め忘れてました」──Bがヘラヘラ笑いながら言葉を続ける。「何にも部屋無いでしょう。はい鍵です」

 鍵を受け取り、再度水たまりへ視線を戻す。窓が開けっ放しのため、雨が室内に入ってきて作った水たまり。

 2DKの室内には確かに何もない。本当に、小さなゴミだらけで、汚れた壁には穴の開いた部分はあるが、確かに何もない。水たまりだけが目立つ部屋。廃墟のようだ。


 仕事を進めよう──引っ越し先を書かせるため紙を差し出す。住所を覚えていないとヘラヘラ笑いながら答えたBに、再度嘆息する。もういい、面倒くさい。

 鍵を受け取って、明渡は完了だ、支払いはたくさん残っている、あとで連絡をくれと伝える。どうせ連絡してこない。

 

 生活保護を受給しているのだから住民票は移しているだろう。住所は調査すれば判明する筈だ。退去後の客へ督促する部署が追跡する。

 私の優先事項は部屋の明渡完了だ。


 水たまりを、1階廊下に捨ててあった新聞紙で簡単に拭き取る。あとは自然に乾くだろう。さすがに水たまりを完全に放置するのは不動産管理会社に対して気が引けるし、無駄な原状回復費用が発生するおそれがある。


 社用車に戻る途中で電話がなった。今まで全く連絡の取れなかったD。女性。32歳。やはり、生活保護を受給している。


 精神的に弱っていて電話も出れなかった。当社が送った通知は『郵便を受け取るのが苦手で』見ていないという──郵便を受け取るのが苦手って何だ?


 お金は保護費を残しているが、精神的に弱っていて外に出られない──本日は月末。数字もあるし、さほど今いる場所から遠くもない。集金の約束をする。


 東京都E市。

 部屋から出てきたDは後ろ手にドアを閉めた。黒い大きなマスク。長い黒髪。大スターのプライベートかよと言いたくなるほど、顔が見えない。率直に言えば、気味が悪い装いだ。


 お金を受け取り、領収書を渡す。次の家賃が発生するので、数日後の6月の保護費支給日に支払えるのか質問する。Dが叫んだ──『廊下で話さないで!』

 家賃として支給されている住宅扶助を、家賃として支払っていない罪悪感などは微塵も無い目が私を見ていた。


「じゃあ、次の支払いは、当社の口座に振り込んでください」


 それだけ伝えて背を向ける。Dが部屋に戻りドアを閉めた──2秒後、彼女が室内から、鉄の玄関ドアを全力で蹴飛ばした音が通路に響く。


「頭がおかしいって大変だ」──私は思わず、そう口にしていた。



 本当に日本は、言うてはなんだが、こんな、穀潰しみたいな連中を養える程に豊かな国なのか?



 それからほぼ1年後、コロナ禍が世界を覆っている。水害も発生して、そうでなくても色々な問題は山積だ。

 

 本当に日本という国は、言うてはなんだが、こんな、でくのぼうみたいな連中を養える程に、カネがあるのか?


 いや、誰もがわかっているはずだ。少子高齢化が進行する日本で、現在の福祉水準を維持し続けられるわけがない。

 いずれ生活保護の在り方は大幅に見直される。2020年現在で20代や30代、場合によっては40代の生活保護受給者はいつか必ず、今とは比較にならない程に自助努力を要求されるようになる。


 もちろん『働いていても給料が少ないので生活保護も利用している』人は、話が全く別。今回は、完全に生活保護費で生活している人の話だ。


 もしもホームレスに彼らがなったなら、東南アジアの貧困地帯などによくいる『何もせずにただ立っている人』になるのだろうか?

 そんな風になるかどうかはともかく、何らかのカタチで社会に戻って、ありていにいえば自らカネを稼ぐ必要が出てくるだろう。


 『ただただ国家が養い続ける』事は、いつか無理がくる。いつか『五体満足な大人を養い続けるなんておかしいだろう』と多くの人が声を上げる。


 そうはいっても、こんな面倒くさい連中が社会に戻ってこられても、喜ぶ人より困る人が多い気がする。


 養う事もできない、出てこられても困る。本当に、どうするのだ。

 それでも、私がリタイアするまでは、今の生活保護の水準が維持される事を祈る。

 

 こんな連中は、封印しておいてくれ。


 それに、私が生活保護を利用する可能性もある。できれば私が死ぬまでは今の水準を維持してほしい。


 その後は、知らないが。

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