第59話 その教義に背くなら……

 2000年の*月*日。


 私は地元であるN県に本社のある消費者金融で、初めてお金を回収する仕事に就いた。

 近隣県を合わせて5店舗と、回収専門の部署しかない小さなサラ金。全社員は70名程度。2020年現在には存在しない会社。

 私は回収専門の部署に配属されて、『お金を払って下さい』という交渉をし、訴訟や差押え等の法的回収の手続きをする毎日を送っていた。


 債務者から集金した帰り道。私はまだ20代前半。同行した先輩『T』とは同じ歳。彼とは当時、友人のような関係だった。その日、彼が同行を申出てきたのも、仕事とは関係なく、昼食がてらハマっているゲームの話をしたいがためだ。


 会社に戻る前にバイトに寄りたいと彼は言った。


 N県の空の下。車のドアに背を預けて、咥えたタバコに火を点ける。ニコチンを大きく吸い込み、私は地面に落とした視線を上げた──バイト……ねぇ。


 何十と、墓標のように古ぼけた団地が並んでいる。50メートル先の1階の部屋。ベランダのドアが開いた。現れたTは手すりを越えて、地面に降りる。小走りで駆けてきた彼の手の中にはゲーム機『PlayStation2』。


 「居なかったわ」──Tは私に告げて、後部座席へゲーム機を放り投げた。本来の持ち主は、彼らの客だ。Tがバイトで手伝っているヤミ金の客。集金に来たが不在だったから、勝手に部屋に入ってゲーム機を持ってきた。利息の足しにしてやるのだと。今から売りに行くとTは私に説明した。


 ヤミ金のバイトは以前から聞いていたが、泥棒まで業務に含まれるとは知らなった。


 Tは率直に言って、『お金を払って下さい』という仕事の才能がある男だった。交渉もできれば法律知識もある、要領も良い。体力も度胸もある。その彼をして『ヤミ金の連中みたいには働けない』と嘆息交じりに呟いた。ヤミ金の連中は四六時中働いている。あんな風には働けないと。


 まさかヤミ金をやっていた連中の全員が勤勉だったわけでもないだろうが──後にその親玉をしている人間と私は少しの間、呑むようになる。少なくとも『儲けているヤミ金の連中』は、本当によく働いていた。善悪は措いて、それは事実だ。



 2000年当時の私は、お金の回収をする仕事に就いてまだ半年程度。働いている消費者金融しか知らなった。いま同じ事をすれば、明らかに大問題となる交渉ばかりそこで見ていた。しかし当時はそれが普通だと思っていた。

 そうはいっても、だ。サラ金はあくまでサラ金。会社員。そもそもの存在からして違法なヤミ金の連中とは違う。明々白々な違法行為は基本的には行わない。


 以前にも書いたけれど、サラ金出身のオッサンは、明らかな『ホラ』の武勇伝を語りたがる。例えば『客が部屋から出てこないからハンマーで窓をぶち破った』だの、『面倒くさい客を池に突き落とした』だの。オマエはSWATか? というような、こんな事、あり得ないのだ。単なる会社員なんだもの。


 それでも──いま考えると許されないような交渉を、行う場合は、確かにあった。

 

 それを容認させたのは、『契約なんだから払わなければならないよね』というシンプルな教義。契約を守れない者は背教者だという盲信。単なる会社員なのに。自分のカネを貸したわけでもないのに。



 2015年の*月*日。N県の曇天の下。


 数年ぶりの帰省。久々にTと会った。殆ど偶然だ。

 彼と共に働いていた会社は既に無い。私は2年程働いて、大手消費者金融へ転職した。その数年後に倒産していた。

 Tはそれを機に実家に戻り、家業である建築業を父親と営んでいる。彼と同僚だった頃に何度か会った彼女とは結婚し、子供は2人いるそうだ。立派だと思った。


 近況を尋ねられて私は、家賃保証会社で働いていて──少しだけカタチは変わってしまったけれど今でも管理(回収)担当者として働いていると自嘲気味に告げた。


 まだこんな事をやっているんだよ。


 Tは、私が働いている会社と契約をしていると答えた。特に何の感想も無い。珍しい事でもない。私はN県の担当でもないので、どうでもいい話だった。


 ただ、記録を見る事はできる。


 それから数年が経過して、仕事中に暇だったから、Tの名前を検索した。3カ月も4カ月も溜める事はなかったが、家賃の延滞を繰り返していた。督促の電話には殆ど出ていない。担当者が訪問するが、妻が居る事はあっても彼は不在。Facebookでは家族団らんの様をいつもUPしているのに。


 家賃すら延滞しているのだ。家賃保証会社へ支払う、年間1万円程度の保証料も未納が積みあがっている。契約では支払わなければならないのに、だ。


 かつて、延滞客に殆ど『死ね』といわんばかりの交渉をしていた男が、延滞している──いや、延滞は仕方ない。延滞して、督促を無視している。逃げている。

 それは、だめだよ。それは、ダメだ。


 我々が、自分の年齢の2倍も歳を重ねた中年へ、早くカネを作れと言い放ったのは──。3倍も歳を重ねた老人へ、今では聞くに堪えない高圧的な取り立てをしてしまったのは──彼らが『支払う契約を守らない』背教者へと堕したと信じたからだ。『契約だから支払わねばならない』──我々はその教義を守る信徒だった。


 だから……それは、だめだよ。



 2020年。コロナ禍が世界を覆う。 

 

 ある記事。

 中国発のコロナウイルスは老人にとって危険のようだが、第一次大戦後に世界を襲ったスペイン風邪の第2波はその逆。老人よりも若者を多く殺した。


 また、ある外国の記事。

 過去250年程で北半球では10回のインフルエンザ・パンデミックが発生した。

 春夏秋冬、全ての季節で発生した。第2波は全て、それから約半年後に起きた。


 別の記事。

 1968年にインフルエンザ・パンデミックが起こった。米国で大量の死者が発生した。次に英国やフランスへ伝播したが、死亡率は低かった。

 翌年に第2波が発生した。米国ではあまり死者が発生せず、今度は英国やフランスで大量に人が死んだ。


 また、別の記事。

 初流行から17年経過したいまも、SARSのワクチンは実用化されていない。



 つまり、コロナ禍だけに限ってみても、未来がどうなるか誰にもわからない。



 関東首都圏はいまだ緊急事態宣言下にある。自粛が解除された地域でも、まさか誰も以前と同様の消費活動が行われるとは思っていまい。

 経済はシュリンクする。世界的に不景気になる。

 アメリカでは、以前より不振だったが大手百貨店チェーンのJCペニーが遂に破産。タイのフラッグキャリアであるタイ国際航空も経営破綻した。


 これから更に大量の失業者が発生する。

 それは、金融機関の管理(回収)担当者や『元』管理(回収)担当者ももちろん例外ではない。

 消費者金融は既に業界そのものが破滅している。家賃保証会社の話をするならば、コロナ事変後にはグローバル賃貸保証が解散した。


 大昔ならともかく、高給をもらっているわけでもない管理(回収)担当者だ。当然にカネに困る事は多々ある。

 それでも、だ。我々は『契約だから支払わねばならない』という教義を信じたからこそ、普通に生活していたらとても経験しないような取り立てを過去に実行してきたのだ。


 医者が人を毒殺したら、警察官が泥棒したら、小学校教師が幼女買春したら、国税職員が脱税したら、軍人が最前線から逃亡したら、他の職業の人間よりも非難されるに決まっている。 


 消費者金融で働いていた頃、ある後輩はとても楽しい人間で、よく呑みに行った。金遣いの荒い男だった。カネに困った彼は、キャッシングをし続けたカード会社へ過払い請求をした。

 もちろん、違法ではない。認めがたい部分はあるにせよ、全く合法だ。ラジオで毎日『過払い請求しましょう』と宣伝もしている。


 それでも、だ。それは、だめだよ。私と同じ管理(回収)の仕事に就いている彼に対して、そう思った。違法合法以前に、もっと大切なものがある。


 消費者金融や家賃保証会社の管理(回収)担当者はたぶん、他の多くの仕事に就く大抵の人よりも『仕事として』これまで、結構な酷い事を、言ってきた。カネを払わない相手に対して。


 意識して強い交渉は行わないようにしている私ですら、たぶん。


 しかし、だ。管理(回収)担当者は自分のカネを盗られたわけではない。延滞客は、管理(回収)担当者が所属する会社のカネを返さない、ただそれだけだ。なぜ単なる会社員の我々に、高圧的な態度を取る権利があるのだろう?──あるわけがない。

 我々は『契約だから支払わねばならない』という教義の信徒だったから、延滞客を折伏しようとしただけだ。



 2020年5月後半、たぶんこれから更に大量の失業者が発生する。失業しなくても、給与は下がるかもしれない。それは、金融機関の管理(回収)担当者や『元』管理(回収)担当者も例外ではない。


 自戒も含めて、彼らに、きっと誰も見ていないだろうけど、ここで伝えたい。仮にどうなろうとも、我々は、他人に強要した──強要してしまった『契約だから支払わねばならない』という教義に背いてはならない。


 払えないのは仕方ないかもしれない。だが、逃げてはいけない。我々が散々苦労して、馬鹿にもしていた『カネを払えない連中』──彼らは電話には出ないし訪問しても居ない。連絡もしてこない。逃げている。そう、我々『管理(回収)担当者』は、それだけは、してはならない。


 もしも我々が信じた教義に自ら背くなら──他の誰でもない私と同じ管理(回収)担当者や『元』管理(回収)担当者にお願いする。もしも我々が信じ、他人に強要までした教義を自ら裏切るなら──頼むから、それ以上恥をさらさず、死ね。死んでくれ。

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