第30話 9daysそして──ノンフィクション『OIDASU~追い出す~』

8時40分。


昼には真夏のような気温が続いていたが、朝はとても涼しい。暦では完全に夏ではない日の、ある朝。


2012年*月3日


正面に玄関ドアが2つある。

一つは101号室。もう一つは201号室。

前者は1階を、後者のドアを開ければ階段があり、2階を使う物件。

お洒落な外観ではない。

一戸建てを無理矢理2世帯で使えるようにした感じで、実際古い。


東京都A区。家賃64000円。

2DKの筈だ。23区内でこの家賃は破格といえる。

当然に駅からは遠い。


私が用があるのは101号室。

物件の横に回ればまず一部屋、そしてキッチン。キッチンの窓から微かにもう一部屋の存在が確かに確認できる。ただし部屋の中までは見ることはできない。


誰かがいるのか、いないのか──?


玄関ドアの金具にテープを貼る。

水道メーターの写真を撮って、数値を記録する。

インターホンを鳴らす。わかりきっていた事だが、応答は無い。


嘆息して──道を挟んだ向かい側のアパートの2階通路に立つ。

101号室から誰から出てくれば、必ず把握できる位置を確保した。


本来なら近くに車を停めてその中から101号室を観察したいが、狭い路地だからやむを得ない。

立ちっぱなしなのは辛いが、寒くも暑くも無い気温に感謝する。


だが、「張り込み」をする事は私は苦手だ。というより、嫌いだ。まず、しない。

何せあまりにも時間の無駄だからだ。


バッグの中の101号室の鍵を再度確認する──早く終わらせよう。そう考えて、烏龍茶の入ったペットボトルに口をつけた。


「張り込み」。簡単にいえば、接触できない延滞客の家の前で待つだけである。

出てきたら、話しかける。それだけ。


2012年頃の話。

朝の5時から延滞客の玄関ドア前に立ち、ドアスコープを延々何時間も凝視し続ける、などという苦行荒行をしている同僚もいた。


延滞客は仕事にも行かねばならないし用事もあるだろうから、いつかは出てこざるを得ない。だから、ドアの前に立ち続ける。が、私はそういう事を一切しなかった。

単に朝の5時から働く気が起きなかったからである。

何時間も一つの物件に張り付く人生の無駄遣いが嫌でもあった。


ただ、張り込みとはそういうものだと理解してくれたらありがたい。


就業時間の浪費。しかし、時間を代償にもしかしたら1件片付ける事ができるかもしれないギャンブル。


1時間程経過して、アパートの2階に居続けるのも限界なので近所を散歩する。

とはいえ、5分に1度は101号室前に戻って、水道メーターを確認できる程度の距離の散歩。


数度それを繰り返すが、メーターに動きがない。

「よう、イケそう?」──背後から声をかけられた。


年長の先輩Kさん。


「わからないですね。メーターに動きがないです」


ただ、たぶん室内にいるとは思う。理由は単純で、今までもこの時間にドアの金具にテープを貼り、そして10時くらいに剥がれている事を確認していたからだ。

たぶん、外から見えない部屋に、いる。

トイレにでも行けば、水道メーターは動く。しかし現時点で動きがない。


契約者はB。男性。24歳。

仕事は入居から2週間後には辞めていた。

現在の仕事は不明だが、家賃も払えない収入ではあるのだろう。

単身世帯だがたぶん彼女と同居している。以前部屋に訪問したときに彼女と名乗る女の子と話をした。ショートボブの可愛い女の子。


もっと他に良い男はおろうに、と思うのは独身の私の僻みだろうか。そうかもしれない。


Bへの通知を渡して、電話をもらえるよう伝えたが、連絡などなかったが。



現在延滞は4ヶ月目。部屋の契約が解除される通知は送られている。

とにかく連絡が取れない。仕事先もわからない。緊急連絡先の従兄弟とやらも、携帯電話が使われていない。


明渡訴訟を提起するかどうか、という際だ。


私としては退去させる事ができるなら、そうしたい。


明渡訴訟の準備はできているが、明日弁護士に任せたとしても、強制執行までは最短でも半年はかかる。であれば、半年間は数字がマイナスだ。


とにかくBと接触ができない。

部屋で生活している事は明白。

ドアの開閉も毎日ある。ライフラインも動いている。


最短で終わらせるなら、交渉して支払わせるか、退去してもらうしかない。

だからこその今日。


最大の問題はBの性格がまったくわからない事だ。

入居して6ヶ月ですでに延滞4ヶ月。そして連絡が取れていない。社内の誰も話をした事もない。一体どういう人間なのだ? 気性が荒い? 大人しい? さっぱりわからない。


鍵は不動産会社から借りてきていた。


最低でもBのいる時間に、警察を呼んで──の前提で──室内を確認する。

そこまでは会社へ黙認してもらえるよう手配している。(適当に何度も部屋に入ればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、他人の部屋に勝手に入るというのは、そうそう許される事ではない)


もちろん、結果は獲得せねばならない。出て行くか、支払うか。

だから、室内にBがいる事を確信したい。


Kさんは私が焦っていると思ったのだろう──柔和な笑顔。目尻も下がる。

「コーヒーでも飲もうよ」


彼はとても仕事ができる人間だ。加えて周囲への気配りもできる。尊敬すべき年長者だと思う。


私が今日ここにいるのも、何気なく昨日聞かれていた。

先月から私は、あまり数字の良くない地域の担当になった。

だからこそ来てくれたのだろう。


それは私を気遣っての意味もあるだろうし、確実に今日「1件終わらせるサポートをするため」だったのかもしれない。

たぶん、どちらもだ。


「コーヒーですか。魅力的ですね。けど、申し訳ありませんが私はあまり長い時間は離れられません」

「缶コーヒーで良いよ。俺、タバコ吸いたいだけだし」


Kさんが私のサポートに来てくれたのは理解していた。時間がもっとかかるなら私が昼食にいく時間は「張り込み」を代わってくれるだろう。

だからこそ、缶コーヒーを自販機で買って──渡す。


心中で呟く。すいません、手間かけさせて。


世間話を数分交わした後──Kさんがまた笑顔を向けた。「じゃあ、行ってみようか」



水道メーターは動いていた。若干だが、明白に。


例えば、蛇口の閉め忘れでも当然メーターは動く。しかし、1時間確認して微動だにしていなかったメーターが動いている。

たぶん、トイレを使ったのではないかと思う。シャワーなのかもしれない。

私には水道メーターの動き方の機微がそれほどわかるわけではない。が、室内で誰かが水を使った事は、わかる。


「いるね」───Kさんが私に笑顔を向ける。

「いますね」───まずは第1段階はクリア。


ただ、Bとコンタクトを取った後の事を考える。

しかし、それはそれだ。今考えても仕方ない。何とかなるだろう。


Kさんが、ドアポストを開ける。

ドアポストからは廊下が見える。誰もいない。ただ廊下が見える。


今までに何度も見た眺め──さて、Bに呼びかけるかと思った瞬間、私を退けてKさんがドアポストから廊下に向け叫んだ。


「Bさーーーーーーん! 中いますよねーーーーーーー!!!! ******社でーーーーす!!!! 心配してまーーーーーーーす! 中で倒れているんですかーーーーー!!!!!!」──大音量で叫ぶ。


「Bさーーーーーーん! 中いますよねーーーーーーー!!!! ******社でーーーーす!!!! 心配してまーーーーーーーす! 中で倒れているんですかーーーーー!!!!!!」──更に大音量で叫ぶ。


「Bさーーーーーーん! 中いますよねーーーーーーー!!!! ******社でーーーーす!!!! 心配してまーーーーーーーす! 中で倒れているんですかーーーーー!!!!!!」──更に更に大音量で叫ぶ。


更に更に更に更に大音量で叫ぶ。


更に更に更に更に更に大音量で叫ぶ。


「心配なんで、警察呼んで中確認させてもらいますよーーーーーーー!」

さらに続ける。

「Bさーーーーーーん!!!!!!」


なんとなく、警察を呼ぶ必要は無い気がしていた。ここまで叫んでいるのに怒鳴り返してこないのだ。そういう人間だ。大丈夫。だから、バッグから私は鍵を取り出していた。


「あ、きた」

「え?」


問い返した瞬間、動きが察知できた。ドアポストを開けたまま、私に見ろ──と促す。


女の子の足が廊下の最奥に見えて、そして男の足も加わった──Bだ。確信する。


Bは強面の見た目とは裏腹に大人しい人物だった。もちろん、Kさんの存在も大きかっただろう。率直に言って、Kさんに喧嘩を売ろうとは普通の人間は思わない。そういう外見。


うなだれたBとその彼女が、玄関ドアを開けた──彼らはとても大人しかった。


交渉は5分で終わった。


イマカラ一時間待ツ。ダカラ必要ナ荷物ヲ纏メテ退去シテクレ。


もう、どうしたい?とか、どうするんだ? とかは聞かない。退去前提での交渉。


もちろん、一応は相手の状況は聞いたが、完全に日雇い、その日暮らし、支払い目処はない。

私は1時間後にはBから鍵を受け取っていた。退去だ。.


ただこれは私ではなくKさんの交渉力の賜物である。


詳細は省く。


退去するか、退去したいのか、退去しなければならないのか、どれかを選べ──明言はしないが確かにそう匂わせる話し方。


選択肢はどれも退去。どれを選んでも退去のカードしかひけないゲーム。


彼らの荷造りを待っている間、不動産会社にも電話する──本日退去スルソウデス。


Bから鍵を受け取り、2度と部屋には戻ってこないよう念を押す。

残した荷物は当社が処分しておく。書面を書いてもらう。

残した債務は、いずれ支払ってもらうから、電話には出るよう念を押す。


Bとその彼女を見送って、Kさんにお礼を言う。


2019年現在、家賃保証会社も世間様に認知されてきたのか忙しくなった。


しかし2012年頃はまだまだ「張り込み」などという、一人の延滞客に何時間もかける事が、それも複数人で、できたのだ。


それはある意味、牧歌的な時代でもあったのかもしれない。


「第25話 6 days」は、最も忙しい25日から月末までの時期の話だ。そして現在の話でもある。


月初から大体9日間くらいは、いまでも多少ゆとりがある時間ではあると思う。

ただ、こんな「張り込み」みたいな事はしてないのではないだろうか。時間の無駄だからだ。


私は自分が働いている家賃保証会社の他は、知人の働いている2社くらいしか知らない。それも話で聞くだけではあるが、そうではないかと思う。


ただし知人が働いている、社長自らクレイジーな会社では、問答もなくいきなり延滞客宅のドアを開ける連中が揃っている。


そういう意味では、良くも悪くも発展途上で画一化されていない業界ではあるのかもしれない。


翻って──月初めは、先月に回収できなかった延滞客に対して行動を取る時期だ。

ただ、先月内に回収したかったのだから、月を越えてしまえばそれほど急ぎでもない。

それほど急いでも仕方ないものだけが残っている。


2019年にもなれば、それなりにコンプライアンスもある。2012年頃行っていたような事は普通の家賃保証会社では、しないと思う。

一人一人の細かな行動まではわからないが、少なくとも私が働いている会社ではしてないと思う。少なくとも私は、しない。


先月内に回収できなかったものに対して必要なのは──今後どうしていくかの方向性の決定だ。


2月に回収できなかったもの、或いは1月から回収できてないもの、先年12月から回収できてないものを、3月にどうしようかと行動する。


明渡訴訟なのか、交渉を試みるのか、いずれ夜逃げするのでそれを待つのか、どうするのか。


まだ3月分の延滞は保証会社では確認できでないか、できていても数がまだ出揃ってない。

だから、先月まで回収できていないものに専念できる時期。それが月初めから最初の9日間程である。時間にそれほど追われない時期だ。


死体部屋へ入ったり、面倒くさい交渉をしたり、事務仕事をしたり。そういう、無意義に時間を取られる仕事は、月初めから9日間程の期間に集中させるようにしている。


家賃保証会社というものが認知されてきたせいなのか、2012年頃に比べれば格段に忙しくなった。


月初めには多少は時間があるが、とはいえ「張り込み」などという、1件に何時間もかける余裕は、今の私には無い。


雨が降った。延滞客は留守だ。ドアポストへ通知を投函する。

風が冷たい。延滞客は留守だ。集合ポストへ通知を投函する。

日差しが強い。文字通りの酷暑。延滞客は留守だ。ドアの金具へ貼ったテープはねじ切れている。出入りはある。

寒い。雪が舞ってきた。延滞客は留守だ。不規則に適当な額を入金してくる延滞客。延滞解消に向かう金額を支払ってくるわけでもない。何の解決にもならない支払い。


留守だ。居留守だ。留守だ。居留守だ──当たり前だ。


先月も訪問しているではないか。留守か居留守か知らないが、コンタクトが取れないのが前提ではないか。


以前より一人が担当する件数は倍化した。1件にかける時間は削らざるを得ない。


留守、居留守、留守、居留守。


雨。風。暑い。寒い。


嫌になる。


だけど鈴木傾城先生(作家・ブロガー)の──「『稼ぐのを止める』のは、許されない贅沢と知れ」という言葉を思い出す。


働かねばと、深呼吸する。

コインパーキングに停めた車から延滞客の部屋まで歩く。


私がタイやフィリピン等の東南アジアが好きだからか。

私は友を買った。


タイの、インドネシアの、東南アジアの、個人向け融資をしている会社の株をほんの少しだけ私は持っている。


雨。風。暑い。寒い。トボトボと歩く。


子供の頃、もっと勉強しておけば良かった……。そしたらもっと楽で儲かる仕事に就けたかもしれない。

楽して儲かる仕事とは何なのか、勉強してないから知らないけど……。


私が株を買った会社の「管理(回収)担当者」(たぶんいると思うが)──に胸中で語りかける。


雨。風。暑い。寒い。君の国の今日の天気はどうだい?

私は大変だ。きっと君も大変だろう。


お互い大変だ。ロクでもない連中ばっかりだ。


こんな仕事をしている我らも相当ロクでもないのかもしれない。


そして、こんな事も満足にできてはいないのかもしれない──それならば、お互い頑張ろう。


あなたはしんどい時、リアルタイムに愚痴をこぼせる友がいるか?

私にはいないので、友を買った。

返答を寄越してくれるわけではない。会ったこともない。


ただ単に株をほんの少し買っただけの会社の、私と同じような仕事をしている異国の友。

だが、そんなのでもいないよりは救われる。


あなたの友は、誰だ?


いないなら、私が友になろう。


お互い頑張ろう。

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