第11話 幸せになりたいか?
状況。
東京都 A市。
契約している物件に契約者は住んでいない。妻子のみ。
理由は離婚調停中のため。
ただし契約者がどこにいるのかは不明。
離婚調停のために弁護士に依頼しているが4ヶ月間、何の進展もない。
実際にその弁護士が離婚成立のために何をしているのかは全く不明だ。
ここまでは前任者から聞いていた。
物件に居住する妻子は生活保護受給中。妻の主張によれば物件は夫の契約のため、住宅扶助は受けてない。あくまで生活保護は生活費のみ。
「ワタシは払う能力がありません。彼か彼の父親に言ってください。住めなくなったらその時は考えます。無理やり住み続ける事はしません」
電話口で平然とそう言ってのける「妻」に対し、気持ちが悪いとだけ思った。
子供はまだ幼児。泣くのが仕事だ。こんな馬鹿な親をもって産まれてきたのだ。泣くという仕事もさぞやり易いだろう。
既に生活保護受給中で、離婚調停中。出ていけば住宅扶助だって出るだろう。
なぜ居座ろうと思うのか、理解できない。
ただ現時点での延滞は1ヶ月分だけだった。
「妻」に電話する10日前、契約者の父親が3か月溜った延滞を支払っていたのだ。
だがもう父親も匙を投げた。カネもないし、連帯保証人でもないのだから払う理由もないしと。
「離婚成立まで契約者の父親が家賃を払い続ける」──「妻」はその約束が彼女の母親と契約者の父親の間で交わされていると主張したが、そんな事実は無いとの事だった。
仮にそんな約束があったとしても払ってくれと追うことはしない。なぜか?
何の解決にもならないから。
この場合の解決は契約者の妻子が退去する事である。父親が代払いするのは有害ですらある、と判断した。前任者はそうではなかったから払わせようと誘導していたのだろうが。
正直にいって、余計な事をしてくれてたものだ。
父親が払わなければとっとと訴訟も提起できた。
父親は息子──契約者とは連絡が取れないと主張した。弁護士に連絡しても取り次いでもくれないと。
現在1ヶ月分しか延滞がない状態である。
契約者に解約通知を出させたあと、「妻」が解約日までに転居すれば一番スムーズだと思った。
口だけかもしれないが「妻」は「無理やり住み続ける事はしない」とは言ったのだから。
その提案を伝えるために弁護士へ連絡する。
もちろん、家賃に関して受任していない事は知っているのだが、なぜかこの弁護士は自分になんでもまず話せと前任者に言ってきていたのだ。
弁護士に対しては少なくとも最初には下手に出るのが無難だ。
先生と呼んでやれば喜ぶ連中も多い。無駄にプライドが高い人も多い。
日本が「北斗の拳」の世界のようになったら、世の中の弁護士という連中は真っ先に欄干やビルから吊るされるだろうと私は思う。
契約者に解約通知を出す方がいいですよ、その後リミットが確定した後に「妻」に退去の話をすればいいのでは? ──弁護士も納得した様子だった。
解約通知は管理会社からもらっている。
弁護士はそれを寄越せというのでFAXしてやる。だから契約者に渡しておいてくれと伝えると、激昂した。
「あのさ、俺はオマエの60倍の年収はあるんだよ。わかってんの? なんだその口の利き方は! オマエの年収の60倍はあるんだよ!」
延々と年収が60倍あると繰り返す。私の年収も知らないだろうし、そもそも電話で話すのは2回目だ。それも前回は殆ど会話らしい会話もなかった。当然会った事もない。
普通イイ大人が、年収で罵倒なんか、するか?
彼は彼一人で弁護士事務所を営んでいる。
実に耳障りの良い「街の弁護士さん」「頼れる弁護士さん」をホームページで謳っている。
例えば「お客様」の中には、TVで笑顔を振りまく男性アイドルがいる。
こういう「弱者の味方」のような連中もいる。
私は、そういう連中が、世間様に見えない場所で、名も無き会社員(私だ)に聞くに耐えない罵詈雑言を叫んでいるのがそんなに嫌いではない。
いつか──「あの時アナタにとてもヒドい罵詈雑言を言われた者ですが、恨みを晴らしに来ました」と、伝えたらどんな顔をするだろう?
「その前に、あの時の事についてお話し合いをしませんか」と提案すると、どんな答えがもらえるのだろう?
いつか無職になってとんでもなくヒマになったらそんな行脚をしてみるのも面白いと思うのだ。
サスペンスの始まりのようではないか。
もちろん、そんな時間の無駄遣いは無い。そんな事をしていたら私は私自身を許せないと思う。だからそんな行動力を維持できないとも思うが。
話を戻そう。契約者に対することなら自分を通せと言ってきたのは弁護士だ。
私は受任もしてない弁護士にわざわざ電話をしてやったのである。
まあ確かに、楽に契約者へ話が通るかも、とも思ったが。
こんなアタマのおかしい弁護士なら、今後は無視して契約者に直接連絡を取る方法を探す。
家賃に関して受任していないと明言しているのだし通知も受け取ってない。本来連絡しているのが変なのだ。
更に言うなら、こんな面倒な連中は、イチイチ連絡など取らなくてもいいのだ。
いきなり訴訟を提起して良い。当社が契約している弁護士に任せれば良い。
ともかくこの弁護士、何が気に障ったのか理解もできないが、およそマトモな社会人のキレ方ではない。
よっぽど、この弁護士が所属する弁護士会に苦情を入れようかと思ったが、録音するのを忘れていた。
「そうですか。怒鳴られる理由があんまりわからないですが、お気に触ったようですので、電話を切りますね」
この弁護士は今後無視する。決めた。
何か言ってきたら、この暴言を言われたので話したくないと伝えよう。お茶を飲みながら被害者っぽい泣き言を言ってやろう。
客でも取引先でもないのだ。無視していればいい。
契約者の住民票を取得する手続きをしていたが──意外な事に、契約者の住民票上の住所は父親宅だった。
父親は契約者とは連絡が取れないと主張している。
暇な時代なら張り込みでもして調査もしたが、最近の私はそんなにヒマではない。
住民票の住所に手紙を送ってみると、契約者から電話が入った。非通知。
離婚したいが、部屋から妻がでていかない。もめている。理由は言いたくない。
支払わず明渡訴訟が提起されるのを待つ、と言い切った。
賃貸物件に住んでいた人間にそうそう財産もないと思うが、一体何で揉めているのだ?
そこがわからないのだが、まあ良い。私には関係ないと割り切る。
そうか。じゃあ、御望み通り、訴訟をいきなり提起しよう。
そこからは彼らに対しては何もしない。
訴訟提起の前提になる延滞月数まで何もしない。あえて、だ。
物件の強制執行には手順がある。明渡訴訟の提起と判決。そして明渡催告。
訴訟の提起と判決は誰でもわかるだろうが、明渡催告とは何か?
簡単に言えば、裁判所からやってきた執行官が、部屋に入り「〇月〇日に強制執行します」という紙を貼る。それだけだ。
もちろん、施錠してあれば鍵屋にドアを開けさせる。
「妻」の住んでいる物件に催告が実施される。
そこで決定された日に強制執行が行われる。
契約者はどうでもいい。「妻」は強制的に退去させられる。淡々と。機械的に。
一切の躊躇も容赦も無く。
よし、これでいこう。
結論から言えば強制執行まで、契約者の所在地が実際のところ不明なため多少時間はかかった。しかしそれでも割合にスムーズに進んだ。
妻にも訴状は送達されているのだが、こういう連中は受け取らない事も多い。実際、受け取らなかった。
口頭弁論には被告側は誰も出廷せず答弁書も出ない。判決自体はアッサリと出た。
強制執行の申立ての直後に「妻」に「判決でましたから強制執行申立てされてますよ」とだけ伝えた。
だからどうしろ、とかは言わない。コイツらとは話をしないと私の意志で決めたからだ。
会社に何かいわれたら『いやー出て行くように言っているんですけど、中々難しいですね』くらいの嘘はつこうと思ってたが、誰も何も聞いてこなかった。
交渉履歴に残した私の文章が『こんな狂人共相手なら仕方ないね』と、上司同僚をだまくらかせたという事か。
口頭弁論直前には弁護士から連絡が入ってはいた。ただ、私には応対する理由がない。
「家賃に関して受任しているんですか? しているならまず通知を送ってほしい、話はそれからで」とだけ伝える。してないという。
「受任もしてないのに、何の話するんですか? それに、言いたい事があるなら口頭弁論の場で言えば良いのではないでしょうか?」 ──それ以後は何の連絡もなかった。前述したように契約者からの答弁書すら出なかった。なんだ、コイツらは。
明渡催告の日「妻」は居なかった。
3週間後が強制執行日と決定されて、その旨を記した紙が部屋の壁に貼られた。
それから2週間後、部屋の出入りはなくなった。
強制執行日、家財道具の大半がなくなっていた。
「妻」は出て行っていたようだと、強制執行へ立会していた人間から連絡が入った。
「妻」もやればできるじゃないかと、同僚と笑いあった。
会った事もない、電話口で敵対しかしてこない相手に対しての感情なんてこんなもんだ。
──私はこの散漫な文章で何が言いたいのか?
あんまり狂犬みたいに他人にケンカを売っても良い事はないですよ、と言いたいのだ。
今回、契約者も「妻」も弁護士も、私に無闇矢鱈に敵対している。
正確に言えば私個人というより、私という会社員と敵対している。
確かに私は彼らから見ると名前のない単なる会社員で、取り立てて何の力もない。
それは全く正しい。しかし、力こそないが、相手に無駄にコストを使わせ、デメリットを与える事はできる。
それはもちろん私には何の得にもならないのも事実ではあるのだが。
普通に話せば同じ日本人。大抵の会社員は、誰にとってもまあ最善の納得できる落とし所を見つけようとする。こちらも一歩引くから、あなたも引いてね。
あなたにとってもそう悪い話ではないと思うから。
その進め方が一番ココロにストレスがかからないからだ。
私は彼らに対して交渉を拒否しようと決めた。訴訟を提起し私が介在せずとも強制執行=「終了」させる事を選んだ。何か言ってきても話半分に不誠実に聞くだけで、強制執行への最短ルートを進めようと考えていた。
彼らの誰とも、話すだけストレスがたまるし無駄だと判断したからだ。
これは間違ってはいないと今でも思うが100点ではない。絶対に違う。
なんとか粘り強く交渉し、訴訟せずに退去させるのがコスト的にもベストなんだろうとは思う。訴訟を提起すると、保証会社がカネを払う。タダではない。
もしも私が自営業者の「保証会社」なら──そんなのいないと思うが──なんとしても交渉だけで退去させようとしたかもしれない。
もちろん、いま改めて考えても彼ら相手に訴訟以外の解決手段を私はできなかったし、したくもない。更に言うなら、他人に勧めもしない。
力量の問題も多少あるが、疲れるからだ。会社員なんだもの。
心が擦り切れては仕方ない。
他にもたくさん仕事を抱えている身で、こんな連中に関わる時間は極限したいのが本音なのだ。
彼らの離婚が成立したのか、私は知らない。
ただ、契約者への督促は当然に行われる。
手心を加えるなよ──退去後の督促を担当する部署の人間に伝える。
どれだけそのリクエストを聞いてくれるのかは、さっぱりわからないが。
いま、お金がなくて督促を受けている方々へ。
いろいろイライラする事がきっとあるのだと思うけど、あんまり無闇矢鱈に他人を攻撃しない方が良いですよ。
その方がきっと、あなたの問題は解決すると思う。
では──私の人生の問題はどうやったら解決するのだろう?
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