第12話 ゴミ屋敷。乳飲み子。そしてクズ。

2014年8月。

とても暑い日だった。


強制執行に立ち会う部署が忙しかったので、私が代わって現場にいた。

私の担当の案件だったから。



乳飲み子を抱えたEの状態を執行補助者が確認する。


「すぐに福祉課へ連絡します」

少なくとも危険な状態ではない事を確認した後、彼は執行官へ告げた。


室温は──何度だ?40度は軽く越えているだろう。


室内の異常な騒ぎに玄関口まで入る。ゴミ屋敷。部屋の最奥に座り込んでいるEが見えた。

俯いているため顔は確認できない。


ただ、乳児の泣き声が、セミの声を掻き消した。




まず、執行補助者とは何者であるかを説明する。

一言でいえば「裁判所へ出入りする撤去業者」である。


第11話で、執行官催告の話をした。

「〇月〇日に強制執行します」という紙を貼るセレモニーだ。

だが、強制執行しますといっても、トラックが何台、何人の作業員が必要かなど執行官にわかるわけがない。

それを算出し手配するのが執行補助者だ。当然、残置物の保管期限も執行官が決めるためその倉庫も用意する。


執行官は、法律に関する実務を長年している人間である。

なんというか、銀行員とか事務員みたいな人々だ。


執行補助者は、裁判所へ出入りする海千山千の胡散臭い「産廃処理業者」という印象。

サングラスをかけて執行官催告へ来るのも、そんなに珍しくもない。

普通の会社員は仕事中サングラスをかける事はない。


余談だが強制執行はとかくカネがかかる。1Kの部屋なのに強制執行費用30万円など、ザラである。荷物を運び出すだけなのに、だ。なぜか?


理由は単純。人件費なのだ。


引越し屋に頼めば「〇〇時から〇〇時の間に来ます」と指定されると思う。

時間はアバウトだが、安い。



強制執行はそれが許されない。〇〇時開始~〇〇時までに終了、なのだ。

規定された時間内に終了させねばならない。

1人2万の日当として、10人揃えれば20万円。人件費はとにかく高いのだ。




Eの出入りは不定期だった。


30代前半の女性。

東京都B市。家賃55000円。

単身世帯。


延滞後、あまりにも接触ができないため訴訟を提起していた。

ライフラインは4ヶ月前から水道以外停止していたが、出入りは1週間に数度ある。

だから室内の確認も実施はできなかった。

4時間くらいの張り込み監視も行った事が数度あるが、空振りに終わっていた。


本当に、全く接触できないのだ。私も、前任者も。


明渡訴訟はスムーズに進んだ。

郵便物は受け取らなかったが、水道のメーターも動いており、市役所からの通知も届いている。裁判所へ提出する「住んでますよ」という報告書も作りやすい。


裁判は滞りなく結審し、執行官催告も終わった。不在だった。

そして強制執行の日がやってきた。


そこにいたのが契約者本人「E」である。

強制執行なので家財道具は搬出される。


Eと乳児は危ないし邪魔なので通路へ出された。

入居開始は2年前だが、独身だし子供などいなかったはずだ。


いつ産んだんだ?


執行官も驚いていた。乳児が生活する道具が一切ないのだ。


私には子供がいないので、その子が生後どれくらいなのかイマイチわからない。

しかしどう見ても生後3ヶ月とかそこらだと思う。



──いつ産まれたんですか?


執行補助者がEへ質問したところやはり3ヶ月くらい前との事だった。


ただEは、精神に異常をきたしているように見えた。

別に狂乱しているとかではないが、本当に反応が薄いのだ。

鬱病とかそういう類なんだろう。

ただ、餓死寸前とかいう状況でもないので、ポーズという可能性を否定しない。



それでも、ゴミの中で乳児を抱えて、常人が耐えられない室温の中、座っているなど、普通できるものでもない。マトモでないのは確かだ。



そんな感情以前に、この現場は強制執行、はい終了さようなら──とはいかなくなったようだ。多少、面倒に思った事をここに告白する。


たまに思う。

ユダヤ人をガス室に送ったSSの連中も、単に仕事だからやってたんだろうと。

あんまり罪悪感を感じる事もなかったんだろうと。

なぜならそれは仕事だから。根拠が無茶苦茶だが、たぶんそんなもんだ。



Eはこのゴミ屋敷で生活し、出産後すぐに退院しまたこのゴミ屋敷で引きこもり、たまに出たり、何をどうやって食料を調達していたのかは知らないが暮らしていたらしい。


乳児も一見して元気になように思えた。

あのクーラーも動いてない部屋にいたのに!


もちろん、強制執行を終了させたとしても、まさかEと乳児を道端へ放置するなどできるわけがない。そんな事をすれば大問題になる可能性がある。


だから執行補助者が福祉課へ連絡した。


女性であれば専用のシェルターもあるし、なくても屋根のある場所で保護くらいされるだろう。

格差社会を嘆く風潮はあるが、日本は本当に恵まれた国なのだ。


東南アジアや中央アジアのようなストリートチルドレンや物乞いなど、少なくとも首都圏では有り得ない。それくらいのサポート体制は存在する。



だから本当に行くところもなく、カネもなければ福祉課へ連絡しましょう。屋根のあるところで寝る方法くらいは教えてもらえる。




そうはいっても、通路でうずくまるEの姿は私にとって衝撃だった。

どうする? と思った。正直に言えば早く目の前から消えて欲しかった。

会話もまともに成立しないのだ。早く福祉課の人間来い。



強制執行は、民間の引越しのような丁寧なものではない。

そもそも強制執行される部屋だってゴミ屋敷が常なのだから、丁寧にしようがない部分もある。

30分程度で終わったが──幸いな事に強制執行終了と同時に福祉課の職員がやってきた。

市役所が近かったのが幸いしたのだろう。自転車でやってきた。

30代にさしかかろうかという女性。


事情を説明する。女性はEと目線を合わせようと屈んだ。

名前も知らないEの子供が泣いていた。



「あとはこちらで対応しますから」


市役所から来た女性は、メガネをかけた利発そうな方だった。

職務熱心そうで好感を覚えた。


既に執行官と執行補助者は次の現場へ向かっていた。


市役所の女性へ名刺を渡そうかと思ったが──やめた。

Eが事実無根の悪口を言い始めるかもしれないから、素性を明かすのは最低限で良い。



Eと乳児を連れて歩いて行く。市役所の方へ。どこかで市役所から車で迎えにきてもらうといっていた。Eの部屋のある物件はとにかく道が狭いしわかりにくい。大通りまで出るのだろう。



管理会社へ連絡する。余計な事は言わない──いま、強制執行が終了しました。Eが戻ってくると面倒ですし、鍵はすぐに変えておいてくださいね。もしEが部屋にいたら、不法侵入で警察へ連絡してください。



停めていた車へ戻る。暑い。暑い。暑い。



車内の空気が冷えるまでの間、冷たいお茶を飲んで心を癒す。


電話が鳴った──やはり訴訟を提起し執行官催告日も決まった相手「D」。


東京都C市。とても人気のある駅から徒歩15分の一戸建て。家賃20万。

4人世帯。Dの職業はフリーのコンサルタント。さっぱり実態がわからない職業だ。


ちなみに家賃20万の家に住んだ事がある人って、日本にどれだけいるのだろう?私は無い。


この半年ずっと「払えないがカネがないので出ていけない」と丁寧ではあるが、頑なな態度と、明渡訴訟の判例などを例に出して、退去もしなかった男だ。頭は悪くない。

使い道が世の中の誰にも役立っていないが。


金額の高い物件なので延滞3ヶ月を超えた直後に訴訟を提起した。



彼からの用件は単純だった「出て行ってやってもいい。だから、引越費用と次の物件の契約金はあんたの会社が負担しろ。強制執行で使う金に比べたら安く済むはずだ」──口調も今までとは変わって乱暴なものになっていた。


ついに本性出したか。クズが。できるわけねえだろ。できたとしても、絶対にしない。するべきではないんだよ。



乳児の泣き声はまだ耳に残っている。


「ちょっと運転中なんです。申し訳ありません、一回電話切らせてください。5分以内に電話かけなおします」



車内はそろそろ冷え始めただろうか。風はないが麦茶が美味しい。アタマが冷える。空を見上げる。とても綺麗な夏の空。ただただ、青い。



先ほど見たゴミ屋敷。


うずくまったE。わけもわからず泣いている乳児。


なんでこんなバカな状況を発生させるんだろう?──という哀れみと困惑がごちゃませになった目をEに向けていた、育ちの良さそうな市役所職員。やる気だけはありそうだったからせめてもの救いか。


いま、15時。


バカな要求をしてきたよ。五体満足、健康で悪知恵だけが働く大の大人がバカな要求をしてきたよ。

なあ、名前も知らない乳児。これからきっと面倒くさい子供時代を送るだろう君は、こんなナメた大人が要求を通すのを容認するかい?


答えは、知らない。


私は容認したくない。


さて、電話をかけ直そう。次の仕事をしよう。

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